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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (27)

  • 現代日本社会研究のための覚え書き――スピリチュアル/アイデンティティ(第3版) - on the ground

    16日付ですが、書いているのは12日です。既に書いた項の改訂版を一挙に載せたかったので、7日から16日まで使って1日ずつ載せました。一度に10個更新したわけですが、ほとんどの項は細かな修正がほとんどで、加筆・増補と言えるようなことをしているのはわずかに留まります。ただ、「家族」の項は構成を組み換え、元々文章化していなかった「共同体/市民社会」は一応見られるようにまとめました。全体に議論の基線は変えていないので、「共同体/市民社会」だけ読んで頂ければ十分です。あとは自己満足(と自己便宜)に近い。 連載目次 第1版 第2版 「スピリチュアル」的なものの台頭 21世紀の日では、「スピリチュアル」的なものが市民権を得ている。「スピリチュアル spiritual」とは、「スピリチュアリティ spirituality」の形容詞形であり、来は「精神的な」「霊的な」などと訳されるべき言葉である。一般

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  • 民主党の組織と政策 - on the ground

    民主党の組織と政策 作者: 上神貴佳/堤英敬出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2011/09/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 66回この商品を含むブログ (18件) を見る 今夏、書籍としてはほぼ初と言っていい、民主党についての実証的研究が出版された。若手の研究者を中心とする書では、民主党の特徴を予め(1)理念や政策の曖昧さ、(2)政権獲得の追求、(3)組織戦略の不明確性の3つに見定めた上で、その曖昧な組織と政策についての分析を行っている。 1章では、地方議会における民主党所属議員の議席割合が自民・公明・共産各党などと比較して低水準であり続けていることや、党員・サポーター数が自民党の3分の1程度に留まっていることなどから、民主党の地方組織の脆弱さが示される。これは、国会議員を中心として結成されたため、院外の社会的基盤を欠いている同党の性格を現わすものとされる。

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  • 哲学的想像力の滞留――東浩紀『一般意志2.0』 - on the ground

    一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/11/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 581回この商品を含むブログ (164件) を見る 東浩紀『一般意志2.0−−ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)を強いて言えば、公共哲学のと言えるだろう。表題の通り、書は、グーグルに象徴されるような高度に発達した情報技術環境に刻まれる行動履歴が人々のフロイト的な無意識(当の望み)を統計的に可視化することを通じて、かつてジャン・ジャック・ルソーが『社会契約論』の中で示したような「一般意志」の新たな形態と言えるものが現れ得るのであり、またそうした「一般意志2.0」こそが従来的な政治過程を規律する原理になり得ると主張する。著者は「政治」(過程/イメージ)の刷新を志しているが、考えられているのは、狭い意味での政治にとらわ

    哲学的想像力の滞留――東浩紀『一般意志2.0』 - on the ground
    tukinoha
    tukinoha 2011/11/28
    kihamuさんなら当然そう書きますよね。
  • 掲載告知:「権力と自由――「自然の暴力」についての政治学」 - on the ground

    論文掲載のお知らせです。 10月刊行の『法政大学 大学院紀要』第67号(91-111頁)に、「権力と自由――「自然の暴力」についての政治学」と題する拙論が掲載されました。 内容は、修論の権力論(第1章第3節)と「自由の終焉」の一部(こちらから読めます)を合体させたもので、その前後に辻褄合わせで少しだけ何か言っています。 随分と大きなテーマを扱っているので、タイトルに見合うような議論が展開されているのかと言えば分かりませんが、それでも何かしら人様の思考のヒントとなり得るような一断片でも含まれているのではないかなぁ、とは期待しておるところです。 全国の大学図書館にはそれなりに所蔵されているようですので、ご興味をお持ち頂いた方には是非パラパラとめくってもらえれば幸いです(ただし第1節は冗長なので、飛ばした方がいいです)。ある程度時日が経てば、リポジトリの方にも載るのかなぁとは思いますが、定かでは

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  • デモクラシーを可能にする「オウム的なもの」――森達也『A3』から - on the ground

    A3 作者: 森達也出版社/メーカー: 集英社インターナショナル発売日: 2010/11/26メディア: 単行購入: 2人 クリック: 89回この商品を含むブログ (30件) を見る オウム側の視点から日社会を映した『A』『A2』の監督・著者による、『月刊PLAYBOY』連載(2005年2月号〜2007年10月号)に基づく単行化。今回の「A」は明確に「麻原」の「A」であるとして、2004年2月に一審判決が下り、2006年3月に高裁が控訴棄却、同年9月に最高裁が特別抗告を棄却して死刑が確定した麻原彰晃氏の裁判(2010年9月に再審を求める特別抗告を最高裁が棄却)と並走しながら、彼の実像に焦点を当てて書かれている。 教祖の生い立ち、家族、人となり、宗教家としての実際、法廷および拘置所での姿、教団の形成過程、教義の解釈と変遷、教祖と信者・幹部との関係、警察・検察・裁判所を含む社会の側の反応

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  • 「暴力装置」イコール問題発言の構図 - on the ground

    仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 抗議受け謝罪、首相も陳謝 http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010111801000326.html ツイッターでは政治家が政治学/社会学における初歩の初歩も知らないのか、として批判者を問題視する反応が(私のタイムラインでは)多かったように思いますが、今回の事案で重要なのはヴェーバーやレーニンがどうということではなく、現代の日において市民がいかに訓致化されているかということです。 市井の一般の人々がヴェーバーなど読むはずもなく、その多くが暴力なる機能語に規範的意味を過剰に読み取ってしまうのは自然であり、その反映としての側面を持つマスメディアや政治家が仙谷発言を批判的に捉えること自体は大した話ではありません。日ほど相対的高度に民主化された国家において、軍事組織を「暴力装置」と表現することがこれ程の反発を呼び起こすのは、むしろ当

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  • 社会運動は日本を変えてこなかったか? - on the ground

    多少時宜を外した感が無きにしも非ずですが、西田亮介氏がシノドスブログに寄稿している「「あたらしい『新しい公共』円卓会議」は、市民運動を越えられるか?」(2010年7月5日)と題する記事について、少しコメントしたいと思います。 予め言っておきますと、私はこの記事では非常に重要な問題が扱われていると思いますし、その結論にも概ね賛成です。しかしながら、いかにひいき目に見ても、「「アマチュアリズム」とパトスに支えられた「社会運動」は、日社会の変革に大きな実行力を持ちえなかった」との診断は、随分と大味で、容易に受け容れることはできないものです。たぶん、いささか狭義の――つまり昔ながらの大文字の――「政治」や、トータルにイメージされた――日文化論と結び付きやすいような――社会の「構造的問題」などへの意識に引っ張られ過ぎたゆえの認識なのかな、という感じを抱きます。 「運動」は日社会を大して変革して

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  • 最近のアナーキズム周りについて - on the ground

    最近書店を歩くと、チョムスキーやグレーバーのアナーキズム論の翻訳が並んでいたり、「新しいアナキズム」が云々などというまで売られていたりします。 チョムスキーの「アナキズム論」 作者: ノームチョムスキー,木下ちがや出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2009/01/30メディア: 単行購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (8件) を見る資主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座) 作者: デヴィッドグレーバー,高祖岩三郎出版社/メーカー: 以文社発売日: 2009/03/30メディア: 単行購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (24件) を見る新しいアナキズムの系譜学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 高祖岩三郎出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2009/03/26メディア: 単行購入: 1人 クリック: 29回この商品を含むブ

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  • リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground

    今日は少し、色々な文脈を縫い合わせるようなお話をしてみたいと思います。例によって長いですが、ご関心の向きはしばしお付き合い下さい。 1.立場で争うことの不毛 あなたは、目指している方向性や考えそのものは大して違わないのに、感情的対立や形式的な事柄(手続き、名称、身分、肩書き、…)に発するい違いなどのため、相手との合意に結び付かない、といった経験をしたこと(あるいは見聞きしたこと)は無いでしょうか。友人や恋人との間で、家庭で、学校で、職場で、地域で、複数の人が何らかの関係を取り結んで事にあたろうとする場面において、これは往々にして発生する事態であると思います。「合意など必要無い」と独力で目的を達成できる人であれば問題ありませんが、多くの人にとっては、広く合意を取り付けておくに越したことはありません。 円滑な合意形成を図るにはどうしたらよいか。この点について研究を行っている交渉学では、「立場

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    tukinoha
    tukinoha 2010/03/26
    id:blackshadow>社会科学の研究ってそういうものじゃないかなぁ。「相手を批判するなら『その人がなぜ間違えたか』まで考えて批判しろ」と教わりませんか?kihamu氏がいいたいのはそういうことじゃないかと。
  • 「情報戦時代」の本当の意味――ポスト・ヘゲモニーの時代 - on the ground

    「情報戦」などという言葉はチープに響くが、その奥に読み込むことのできる意味は重い。今日は、そういう話をしてみたいと思う。 加藤(2001)は、前世紀にA.グラムシが社会主義の新たな展開を模索して書き留めた「機動戦から陣地戦へ」のテーゼを引き取り、21世紀における政治のアリーナの変貌を「陣地戦から情報戦へ」の移行として描いて見せた。 グラムシの「陣地戦」論は、社会主義勢力の権力奪取へのプロセスを軍事的手段に例えて構想されたものである*1。19世紀は武器を手にした暴力革命が現実味を持った時代であり、局地的な決戦や個別の市街戦(機動戦)での勝敗が革命の帰趨を決した。統治者は何よりも軍事的抑圧を是とし、抵抗は前衛によって指導された武装蜂起の形を採った。しかし、産業化が進み、確固たる市民社会が形成されてくる20世紀においては、そのような一点突破を目指す戦略は通用しなくなってくる。そこで要請されるのが

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  • 「セックスの社会化」は可能か? - on the ground

    前エントリに対する反応は、目に入る範囲では相対的に批判的なものが多いかな。ブックマークでのコメントにお答えすることは普段無いんですが、「批判を歓迎する」とわざわざ書いたことだし、たまにはやってみましょうか。 (1)まず、性欲が三大欲求の一つというのは、話の導入として俗説に乗っかってみただけですよ。よっぽど「根拠不明」とカッコ書きしようかと思ったけど、わざわざ必要無いと判断しました。だいたい、「三大〜」とかいう類の呼称である時点で、科学的根拠を論じるレベルの話じゃないでしょう。生活感覚の話です。 問題なのは、「我慢しても死なない」からといって「必要」から除外してもいいという論理をもし仮に採用してしまうと、社会政策の範囲は恐ろしく切り縮められてしまうということで、その点は注意すべきでしょう。 (2)関連して、例えば名誉欲のような他の様々な欲求も社会が手当てすべきなのか(そんなことしたらきりがな

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  • ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground

    私はリアルタイムで見ていたのですが、昨日の『朝まで生テレビ』に出演した東浩紀さんが、「インターネットがある現代なら、5〜10万人の規模でも直接民主政が可能だ」と力強く語っていました。この発言は、これまで彼が展開してきた一連の議論の延長線上にあるものなので、彼の読者にとっては特段新鮮な印象を与えるものではありませんが、その内容が刺激的なものであることは確かです。 過去に何度か採り上げているように、デモクラシーの新たな形についての東さんの提起に対して、私には賛成できるところとできないところがあります。明確に賛成できるのは、私たちが置かれている「ポストモダン」という社会状況についての認識と、「政治的意思決定の仕組みというものを原理的なところから考え直してみる必要がある」との問題意識に対してです。「ポストモダン」なる社会認識については、昨年「現代日社会研究のための覚え書き」と題したシリーズ記事で

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  • 確率の前と後 - on the ground

    東浩紀が福嶋亮大にインタビューを受けた「オルタナティブの思想」『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』(講談社BOX、2007年)から(初出2006年)。 じゃあおまえはなぜ一回性とか確率とか言うんだ、というと、これはちょっと難しい話で、僕もよく言語化できません。そのうえで言うとこんな感じです。つまり、人生が百万回くらいあったとする。永劫回帰です。みな人生は一回しかないから貴重だと思っているわけだけど、当はそうじゃない。それで、僕の人生はすでに十回繰り返されていて、いまがその七回目だとする。僕の哲学というのは、その七回目の人生は七回目なりにグッドエンドを目指そう、みたいな感じなんです。僕が『ファウスト』の原稿で言いたかった一回性は、そういう一回性です。無数の反復のなかの一回。 こんなことを言うとバカにされそうだけど、僕のポストモダンの二層構造とか、ああいう話の根底にあるのは当に美少女ゲ

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  • ステークホルダー民主主義の射程 - on the ground

    濱口桂一郎『新しい労働社会』の末尾近くでは、目指すべき方向性として「ステークホルダー民主主義」への言及が見られる。まだ全体をきちんと読めていないので、書評ということではないが、これは一応私の専門に属することなので、備忘がてら思うところを書き留めておきたい。 新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書) 作者: 濱口桂一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/07/22メディア: 新書購入: 18人 クリック: 401回この商品を含むブログ (84件) を見る 私の知る限り、日で「ステークホルダー民主主義」なる言葉を使っての議論の蓄積はほとんど無い。海外でも、“stakeholder democracy”や“stakeholder society”について語られている事例は若干存在するものの、いずれもあまり突っ込んだ議論とは言えない*1。これまで当ブログでは、「現代日

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  • 政治を巡って今読むべき10冊 - on the ground

    http://synodos.livedoor.biz/archives/958940.html こういうのを見ると、自分でも選んでみたくなる。とりあえず、ささーっと棚を眺めながら思い付いたところをリストアップ。古典は避け、なるたけ新しく、かつ政治との直接的な繋がりが見えやすいを選びました。 境界線の政治学 作者: 杉田敦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/02/10メディア: 単行購入: 1人 クリック: 29回この商品を含むブログ (34件) を見る変貌する民主主義 (ちくま新書) 作者: 森政稔出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/05/01メディア: 新書購入: 10人 クリック: 123回この商品を含むブログ (67件) を見る集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス) 作者: 仲正昌樹出版社/メーカー: NHK出版発売日:

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  • 幽霊と亡霊と - on the ground

    ソファの在る書店にて、3時間近くかけて以下の主に1、4、5章を読む。 マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル 作者: ジャック・デリダ,増田一夫出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 2007/09/25メディア: 単行購入: 1人 クリック: 32回この商品を含むブログ (51件) を見る 非常に面白い。プロパーとしての立場からは、シュティルナーがマルクスと同じく「悪魔祓い」を企図していたという理解は間違っていると言わねばならないけれども、その点は別にして少なくない刺激を与えてくれるテクストである。「亡霊(幽霊/再来霊)」と「精神」の――マルクスによる「絶望的」な・それにもかかわらずデリダが継承してみせようとする――区別は、まだストンと腑に落ちるまで至らないものの、とっても興味深く感じる*1。 たぶん事前に稲葉振一郎『モダンのクールダウン』の7章あたりを再

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  • 正しいのはオレだ - on the ground

    例えば音楽で世界を変えようとすることは、愚かなことだろうか。「愛と平和」と叫んで暴力を止めようとすることは、馬鹿げているだろうか。気で世界を変えようとしている人は馬鹿と呼ばれても別に何も思わないだろうが、実際のところ馬鹿でもなんでもない。確かに、争いの無い世界を皆で想像すれば争いを無くすことができると考えるのは、社会科学的観点からして認められない見解である。けれども、そう考えることは間違いでも、それを実行しようとすることは社会科学と相容れないわけではない。 もちろん、音楽では世界を変えることはできない。そんなことは、いい大人なら誰でも薄々解っていることだ。でも、世の中には歌う人がいる。音楽に限らず、人に世界を変えることは不可能である。それでも、人はそれをしようとする。そして、それは決して愚かな行為ではない。 なぜか。世界を変えることはできないと解っていて、それでもなお変えようとすることが

    正しいのはオレだ - on the ground
    tukinoha
    tukinoha 2009/05/04
    マックス・ウェーバーが言うように「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ」(職業としての政治)ということか。
  • 責任論ノート―責任など引き受けなくてよい - on the ground

    この記事は「「愚民」でいいから幸せが欲しいニャア」「「規約」をめぐる二元論とその相対化」「責任って何かね」「責任と自由―3.他者と無関心」を素材として加筆・修正を施したものです。 道徳的責任の性質 人の道徳的責任を問う、という行為は、来的に不安定性を伴う。道徳的責任がどのような場合に発生し、どのような場合に果たされたことになるのかについての判断は、社会ごと、個人ごとに異なる。これに対して、法的責任の場合は、その発生は法が確定するものであり、法的行為によってそれを果たしたことになるので、比較的明瞭である。そのため、規範的議論においてその所在、内容、範囲などについて問題となるのは、主に道徳的責任の方である。 一般的に、道徳的責任の所在、内容、範囲は、当該社会内における支配的な道徳的感覚に基づいて定まる。通常、AがBに対して、Bが事象Cについての責任を負っていることを認めさせるためには、論理や

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  • 国家論のために - on the ground

    国家論 日社会をどう強化するか (NHKブックス) 作者: 佐藤優出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/12/21メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 48回この商品を含むブログ (60件) を見る 最近、国家についての思考を改めてまとめておく必要があるなと思い直したところで、このを読んだ。国家論として読む限り新たに得るものは多くないが、参考にならないわけではない。ちょっと今、萱野稔人『国家とはなにか』の射程がどこまでだったか確認するために読み直しているのだが、萱野と照らし合わせる形で思考を進める助けにしようかと思う。以下は、特に国家について論じた過去のエントリ。 萱野国家論の補足 http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20061221/1166691154 esperantoとconvention http://d.hatena

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  • 利害対立と民主主義モデル - on the ground

    吉原直毅「最近思う事:湯浅誠・堤未果『正社員が没落する--貧困スパイラルを止めろ!』(角川新書)を読んで」を読んで、「分断統治」という観点は確かに重要であるとしても、正規・非正規ないし中間層・低所得層という対立軸だけでなく、世代間の対立についての目配りを盛り込んだ議論構成にしなくては、いわゆるロストジェネレーション層への応答なり批判なりにはならないだろうと、若干の違和と物足りなさを覚えた*1。その方面について私には何の専門的知見も無いが、世代の軸を加えるなら、単なる情緒的認識の問題には尽くすことのできない程度の敵対性は存在するのではないか。 無用な対立を煽ることは避けるべきだが、分断統治を目論む上位のプレーヤーが無条件に存在すると前提した上で誰だって仲良くできると考えるのは妄想である。「少なくとも民主主義的政治システムの存在する現代においては」*2、そのような上位のプレーヤーは居ない。「支

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