1998年、日本のリアリティーテレビ番組の企画で、1人の日本人男性が裸にされ、ほぼ空っぽのアパートの一室に置き去りにされた。
ひろゆき、瞬き激増で完全敗北! 米山隆一議員が語る“論破芸の正体”「彼はたんなる普通の人」 社会・政治FLASH編集部 記事投稿日:2023.12.05 06:00 最終更新日:2023.12.05 06:00 番組配信後に「論破王が論破された!」とネット上で話題になっていた同番組を、米山氏にあらためて見返してもらった。「怒りがこみあげてくるものですか」と問うと「もうなんの感情もわかないですね」と冷静に答えた 「ひろゆきさんのように、相手の感情を揺さぶり、瞬間的に言い返す力を競うのは、ほとんど意味がないと思います」 取材の冒頭でこう断言したのは、立憲民主党所属の米山隆一衆議院議員(56)だ。彼が、ひろゆきこと西村博之氏(47)に言及するのには理由がある。発端は11月25日に配信された、2人の“舌戦”だ。 YouTubeのネット番組『ReHacQs(リハックス)』で、米山氏とひろゆき氏との討
はてな匿名ダイアリーにおいてColaboの問題が是正すべきであるかのように主張され、注目をあつめていた。どれも過去に言及したおぼえがある論点ばかりで、特に新味はないが。 Colaboに問題はなかったと言っている人たち、無知な俺に教えてくれ 以下のツイートや記事によると、不正はともかく不適切な処理が行われていたのは都や当事者も認めているようだけど、これは今回の騒ぎがなくとも是正されたという認識で良いの? はてなブックマークを見ると、id:kotobuki_84氏による下記コメントがはてなスターをあつめて注目コメントの上位にはいっていた。 kotobuki_84 「どこも似た様なガバガバ会計だからColaboだけ特別にアウトというわけでは無い」的な擁護が盛り上がった時、同業者的なNPOだか団体かが複数出てきて「全然違う。一緒にするな💢」って怒られるという事件があったよね。 それが小杉沙織氏の
コラボとは違うけど帰る場所がないとか自立が難しい未成年のケアをするような団体の手伝いをしていたことがあるけど、まずこういうところの支援を必要とするような子は大人や社会を全く信頼してない。 帰る場所がない子の中には居場所が知られたらやばい子(親元に連れ戻されて父親から毎日レイプや虐待とか)も沢山いて「絶対に個人情報が外部に漏れることはない」という安心感を与えてあげないといけない。じゃないとまずケアやサポートができない。 領収書を行政に渡したところで居場所がばれる訳ないやろが、と俺達は思うがまず社会を信用してないので行政も信用してないし、そんなこと言われたってサポートする人たちも大人だから信用ならないのだ。 相手がどこだろうが自分の名前などが書かれたもの(領収書)が他者の手に渡るのはこういう団体のサポート受けるような子からしたらとてつもない恐怖だったりするのだ。 なのでコラボがこの対応をするの
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kanaloco.jp/news/social/article-1027699.html このブクマにはColaboには何ら問題はなかったとするブコメが数多くあるがよく分からないとこがあるので教えてほしい、 今回の騒ぎがなくてもColaboに指導は入らなかったのか以下のツイートや記事によると、不正はともかく不適切な処理が行われていたのは都や当事者も認めているようだけど、これは今回の騒ぎがなくとも是正されたという認識で良いの? それとも今回の批判がなければ見逃し続けられていたとするならば、それは少なくとも批判の一部に意味はあったと理解できるのではないの?(もちろんその態様が誹謗中傷だというのであれば別途そちらで決着をつけるべき)。 https://twitter.com/colabo_official/status/160
埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。 結論から言うとそんな事にはなっておらん。 川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。 https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdf この一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。 この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明とい
colaboの話で連日ここも盛り上がっているが、ぶっちゃけ大半はどっちもしょーもないが若年女性が救われなくなるのは困るなぁぐらいの感覚だろう。 DV被害者女性などが駆け込む場所としてシェルターと称するアパートが事業として回されており、生活保護で支払える家賃で住めて画期的と言っているがこのやり方は人権先進国ではとうに通り過ぎて問題点すら明らかにされている。 それは保護される側とする側の間にどうしようもなく権利勾配が発生してしまうので、生殺与奪の権利を奪われた入居者が "自らの意志で" 辺野古基地建設反対デモに参加させられてしまったり、怪しい宗教に入信したり様々である。 日本でも古くから縁切り寺とかあったし、欧米でも教会などの宗教施設がシェルターの役割を果たしてきたのだが、宗教関係者も権力勾配で力を持ってしまうと無意識に良からぬ事をやってしまうのは想像に難くなく、牧師が未成年を…という例は珍し
最近、英語圏において物理化学系の学術誌に発表されたあるエッセイを起点として、こんな専門誌を舞台に意外な、と思うほどの盛り上がりを見せた論争が起きた。それは、「キャンセルカルチャー」を巡るものなのだが、日本語圏ではこの論争についてほとんど紹介されていないようなので、今回の記事で簡単に紹介してみたい。 アンナ・クリロフ (Anna I. Krylov) が2021 年にアメリカ化学会が発行する物理化学の学術誌 The Journal of Physical Chemistry Letters に発表したエッセイ「科学を政治化することの危険 The Peril of Politicizing Science」*1は、左派的なイデオロギーが今日の科学界において検閲として働いていると指摘し、大きな評判を呼んだ。これに対して、同年フィリップ・ボール(Philip Ball)は、同誌において「科学はそも
ドメスティック・バイオレンスを、私的な関係における私的なトラブルではなく、社会的な対策・介入を必要とする社会問題であることがはじめに主張されたのは、とくに英米両国における第二波フェミニズムの盛り上がりの中においてだった。当初は「バタード・ウーマン」(殴られた女性)という言葉で呼ばれていたそれが、広く社会問題として認知されるにつれ、より範囲の広い−−被害者を女性に限らないという意味だけではなく、精神的・経済的な拘束も射程にいれた−−「ドメスティック・バイオレンス」(DV)という言葉が採用されるようになった。そして米国における一九九四年の「女性に対する暴力法」、日本で二〇〇一年に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」といった法的制度が整備され、また各地に被害者の保護とDV防止をよびかけるさまざまな支援団体や相談窓口も設置された。 そうした支援設備のうちもっとも良く知ら
以下の文章は、米国シアトル在住のフェミニスト、macska氏によるものである。DVシェルターにおける支援者-被支援者の権力の不均衡について書かれている。 DVシェルターという閉鎖空間そのものが、暴力的なパートナー間の関係とよく似た「権力と支配の構図」−−支援者団体ではDVのことをよくこう表現する−−を再生産してしまっている。(中略) 規則や権力の濫用についていかに被害者が不満を持っても、声を挙げられるような制度的環境が存在しない。また、「管理する側」と「管理される側」のあいだに本来の意味でのカウンセリングが成り立たないことは明らかなのに、シェルターにおいてそれは普通に行なわれている。 マツウラマムコ氏が「『二次被害』は終わらない 『支援者』による被害者への暴力」(女性学年報 第二六号)で書いたような、支援者と被害者との権力的関係は、DVシェルターに限った話ではないし、どのような制度を作った
長野市にある「青木島遊園地」をめぐる騒動。発端は、「子どもの声がうるさい」という苦情を受けて、遊園地を2023年3月に廃止すると市が決定したことでした。 この苦情が、実は1軒の住民からのものだったとメディアが報道すると、ネット上やSNSで意見が紛糾。そのほとんどが「子どもたちがかわいそう」「たった1人の要望で行政が動くのはおかしい」といったものでしたが、時間が経つにつれ、「住民側がクレーマーだと一方的には片付けられない」「廃止の前にもっとできることはなかったのか」という意見もあがるようになりました。 3年前にも「騒音問題」が起こっていた 過剰とも思える今回の長野市側の対応には、ある1つの出来事が背景にあると思います。3年前の長野市・後町ホールの騒音訴訟問題です。小学校の跡地に整備された市のスポーツ施設である後町ホールからのバスケットボールのドリブル音などがうるさいと、隣接するマンション住人
Introduction No single experience defines what it means to be Asian in the United States today. Instead, Asian Americans’ lived experiences are in part shaped by where they were born, how connected they are to their family’s ethnic origins, and how others – both Asians and non-Asians – see and engage with them in their daily lives. Yet despite diverse experiences, backgrounds and origins, shared e
当たり前のことですが、この記事はもちろん暇空茜さんのTwitterにインスパイヤされたものです。暇空茜さんが、訴訟のカンパを集めています。文章の一番下にリンクをはっておきました。 Colaboばかりをみていたので、まともな若年女性支援を見たくなりました。 若草プロジェクト、ここは担ぎ上げているのも、村木・”冤罪をはらした”・厚子さんだし、なくなった瀬戸内寂聴さんも見守っている写真も載ってるし、さすがに大丈夫でしょうと、2021年度の活動報告書をみはじめました。 ちなみにここは、ペーパーカンパニーではないですよ、ペーパーカンパニーっていうのが正確に何を指すのか不明ですけど、ちゃんとお茶の水と秋葉原の間にある一軒家をつかって、若年女性保護の活動もしています。 ただ、活動内容は、衝撃しかありません。 2021年度の相談件数 若草プロジェクト2021年度報告書より合計欄を拡大して、大きく見せましょ
内閣府が性別役割意識(男女という区別で役割を分ける発想)に関するアンコンシャス・バイアスの調査結果を公表していました。 令和4年度 性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査研究 | 内閣府男女共同参画局 調査結果を読む前の予想では、若い人はアンコンシャス・バイアスが少なめで、思い込みが強いのは高齢男性だろうと思っていましたが、それは半分正解で、半分不正解でした。 正解なのは、思い込みが強いのは高齢男性というところで、不正解なのは、若い人であっても男性にはまだまだアンコンシャス・バイアスが結構あるということです。 たとえば、「男性は結婚して家庭をもって一人前だ」「デートや食事のお金は男性が負担すべきだ」という問いかけに対して、一番高いのは60代男性である一方で、20代男性もそれなりに高く、女性のどの世代よりも高い結果です。 さらには、職場においては、「女性は男性のサ
「子どもの声がうるさいからって公園を廃止してしまって良いのでしょうか?」。本紙「声のチカラ」(コエチカ)取材班に長野市民から疑問の声が寄せられた。都会では子どもの声を嫌って保育園などの用地が確保できない事例があると聞く。いったい何があったのか。現地を訪ね、関係者に話を聞いた。(牧野容光) ■「長い間ご利用いただき、ありがとうございました」と張り紙 公園は長野市青木島町大塚にある青木島遊園地。小学校の体育館一つ半ぐらいの広さで閑静な住宅街にある。記者が初めて訪れた11月中旬はツツジやケヤキが見事に紅葉していたが、遊び回る子の姿はなかった。 ふとフェンスの張り紙を見ると「青木島遊園地は、令和5年3月31日をもって廃止いたします」とあった。市役所が作った張り紙だ。原状復旧工事のため今月ごろから閉鎖するとし「長い間ご利用いただき、ありがとうございました」と結んでいた。 ■多くの子どもたちにが遊ぶ公
「エスカレーターで歩くな」はしょせん建前か? 利用者ほぼ“ガン無視”の現実、乗り方めぐって暴行事件も 加速する同調圧力社会の行方とは 「真ん中に乗るなんて無理でしょう、何をされるかわからない」 東京都心、秋葉原駅のエスカレーター、ようやく話を聞けた30代サラリーマン男性。視線の先には、見事なまでに左側にずらりと利用客が並び、右側はきれいに空いている。時折早歩き、ごくまれに走るサラリーマンと思わしき方がその空いたスペースを駆け上がって行く。都心でも有数の大規模かつ長いエスカレーター、その光景はまるで映画『十戒』で預言者モーゼが海を割ったかのようだ。 「あなたがやってみたらどうですか、真ん中に立って」 真ん中とは言っていないのに少し強めの言葉。責められたように感じてしまったのだろうか。筆者(日野百草、ノンフィクション作家)はただ、エスカレーターの片側空けとそれに伴う歩き行為、駆け上がり駆け下り
池袋暴走事故 遺族のブログ平成31年4月19日、池袋において発生した交通事故。10人が重軽傷を負い、私の最愛の妻と娘の尊い命が奪われました。 再発防止について活動して行きます。 何卒よろしくお願いいたします。 こちらの報道を受けて、想いを書きます。 最初に申し上げておきます。 いつもは出来る限り前向きに、交通事故のない世の中を目指して発信をしています。 ですが、今回は感情のままに書きます。読んで嫌な想いをする方もいるかもしれません。 ですが、もはや私一人では抱えきれない。だから書きます。 記事に感じる違和感と感情この執筆者(加害者家族の支援者)のこの手の記事を、この3年間、何度も何度も目にしました。その度に、ものすごく違和感を感じています。 違和感を感じる点 私が違和感を感じる点は以下の点です。 ①本当の真実をこの執筆者は知っているのか。 ②バッシングが起きた背景への着眼点がズレている。
2019年、元官僚である飯塚幸三(当時87歳)が自動車を暴走させ、11人を死傷させた「東池袋暴走事故」。当時、飯塚受刑者の家族は、猛烈なバッシングを受けていた。その実態を、NPO法人World Open Heart理事長として、加害者支援活動にたずさわってきた阿部恭子氏が明かす。 【写真】「上級国民」大批判のウラで、池袋暴走事故の「加害者家族」に起きていたこと ※本稿は、阿部恭子『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)の一部を、記事掲載に当たって再編集したものです。 脅迫、中傷、嫌がらせの日々 妻と二人で暮らす自宅の住所は、事故直後にネットで拡散され、すぐさまさまざまな抗議や嫌がらせが手紙で届くようになった。また、家の前で街宣車が抗議活動をしたり、記念写真を撮っていく人々まで現れた。 自宅の郵便受けには、「爆破予告」と書かれた紙が投げ込まれ、「おまえの住んでいるマンションに小型爆弾を十
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