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2008年11月29日のブックマーク (2件)

  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦

    しばらく待ってみたところ、わたしの期待していた以上のひとことを言ってくれた方がいた。 その方の見方は、小説としての『日語が亡びるとき』を読んで、その主人公である「私」が結末の章で思い至ったことが衝撃であり問題となっている、というものだった。 思わずひざを打ってしまいそうなひとことだった。わたし自身がうだうだと考えつづけていたことをさらりと言って、その先へと論を進めている方がいて、ああなるほど、これでよかったのかなと思った。 なにがよかったのかというと、自分がこのを読んで思いついたことを何回かに分けてぼそぼそと書きながら、周りの方がどのようにこのを読んでいるのかをこっそり垣間見てきたことだ。わたしはどちらかといえば、を読むのは内向きで完結してもかまわないと考えていて、を読んだということをわざわざ人に言って回るほどのことはないと思っていた。を読むのは学校の授業でなにかを一斉に読むの

    「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 小説『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記

    水村美苗の新作小説『日語が亡びるとき』は、作者の二作目の小説『私小説 from left to right』を参照する形でのメタ私小説となっている。アメリカで生活しながらも英語に馴染めず、日語にこだわり続ける主人公が、日にもどって作家となり、その後どのような考えに至ったかを、主人公の立場から評論のような形式で語っている。 主人公の「私」が最終的にどういう考えにいたったか、その衝撃のラストが問題作となっている。この結論について異論反論を戦わせる人もいよう。そしてそれを見た人がもうこの小説を読んだつもりになってしまうかもしれない。しかし、この小説の醍醐味はなんといっても、その結論に至るまでの過程である。その物語は、特に英語圏で奮闘する人々の心を打つ。それはなぜだろうか。 「私」は12歳のとき、父の仕事の関係で、好むと好まざるとにかかわらず英語の世界に放り込まれた。好むと好まざるとにかかわ

    小説『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記