タグ

ブックマーク / aki1770.hatenablog.com (69)

  • フリーミアムとフリーエコノミクス - 考えたヒント - 駒田明彦

    Freemium and Freeconomics (July 4, 2009 Fred Wilson) (This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.) 今週はクリス・アンダーソンの『フリー』が発売され、「ニューヨーカー」(マルコム・グラッドウェル)と「フィナンシャル・タイムズ」による書評が出てきた。わたしはここでちょっと、フリーエコノミクス(というのがクリスので出てくる)が解き放った騒動について話したいと思う。だがまずは、はっきりさせておきたいことがひとつある。 FTの記事はこう書いている。 インターネットによって可能となった「まったく新しいエコノミク・モデル」について言われているなかで、いちばんもっともらしい主張は、ニュー・ヨークのヴェンチャ・キャピタリストであるフレッド・ウィルソ

    フリーミアムとフリーエコノミクス - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 広場は果てしなく広がるかもしれない。梅田はそのことに気づき、決断した - 考えたヒント - 駒田明彦

    一冊の著作物がになって、それが多くの人の手に渡る。それを手に入れて読みたいと思った人が、時間、労力、金銭によるコストを負担せずに手に入れられる。 そのような世の中は、もうすでにやってきていると思う。 グーグルの書籍検索サーヴィス? アマゾンのなか見!検索? それもあると思う。だけれど、それとは違った風が、局所的ではあるけれど、誰にもそれを阻むことのできないようなかたちで、巻き起こっている。 こんどの梅田望夫の著書『シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代』は、そのような事件かもしれない。 梅田望夫は自分の書いた著作物をタダで配ることに、早くから意識的であった。「英語で読むITトレンド」というブログ連載では、自分の集めたテクノロジ産業のヴィジョナリー(将来を予見する人)の論考に解説をつけ、それを1年半ほどにわたって毎日タダで配布した。それが売り物として価値のあるものか、当時すでに著

    広場は果てしなく広がるかもしれない。梅田はそのことに気づき、決断した - 考えたヒント - 駒田明彦
  • メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う(3) - 考えたヒント - 駒田明彦

    Melinda and Bill Gates: saving lives - Times Online (November 29, 2008 Janice Turner) Although her children use public parks and eat in local burger restaurants, mostly unhassled by chilled-out, down-to-earth Seattle folks, the Gateses still like to escape the public gaze. “We have the space at home. We could stay there all weekend if we wanted and not go out and be bothered. If we want to swim on

    メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う(3) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う(2) - 考えたヒント - 駒田明彦

    Melinda and Bill Gates: saving lives - Times Online (November 29, 2008 Janice Turner) From the birth of their first child in 1996 to their youngest starting full-time school a decade later, Melinda Gates kept a low public profile. She makes stay-at-home motherhood sound a little like a start-up company she needed to get on track before she expanded: “I had to know they were well protected and we w

    メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う(2) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う - 考えたヒント - 駒田明彦

    Melinda and Bill Gates: saving lives - Times Online (November 29, 2008 Janice Turner ) If you had married the world’s richest man, how would you live? Perhaps when the private islands, yachts and jets, the parties and Paris couture start to pall, you might schedule in a little light do-gooding. Maybe you’d bestow a gift upon a symphony orchestra or endow a museum. Something elegant with social cac

    メリンダとビル・ゲイツ: 多くの命を救う - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦

    しばらく待ってみたところ、わたしの期待していた以上のひとことを言ってくれた方がいた。 その方の見方は、小説としての『日語が亡びるとき』を読んで、その主人公である「私」が結末の章で思い至ったことが衝撃であり問題となっている、というものだった。 思わずひざを打ってしまいそうなひとことだった。わたし自身がうだうだと考えつづけていたことをさらりと言って、その先へと論を進めている方がいて、ああなるほど、これでよかったのかなと思った。 なにがよかったのかというと、自分がこのを読んで思いついたことを何回かに分けてぼそぼそと書きながら、周りの方がどのようにこのを読んでいるのかをこっそり垣間見てきたことだ。わたしはどちらかといえば、を読むのは内向きで完結してもかまわないと考えていて、を読んだということをわざわざ人に言って回るほどのことはないと思っていた。を読むのは学校の授業でなにかを一斉に読むの

    「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦

    気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日語が亡びるとき』の読み方にはいろいろあると思う。自分でもいろいろなところに後から注意が散らばっていくのを感じて、読み返せば読み返すだけ違った気持が新たに生まれてくる。これはちょっと不思議な感じだ。 『三四郎』に出てくる広田先生という人物が水村の語りによってしばらく焦点を当てられる。先生といっても三四郎の通うことになる大学の先生ではなくて、広田先生は高等学校の英語教師で、西洋語の書物に詳しい人物という役回りとして現れる。広田先生は一種の変わり者として描かれていて、それは漱石のねらいと水村の解釈が一致していると思われる点だ。それはどういうことかというと、翻訳者を養成する役回りで自分は十分と考えていることで、自分はたくさん読むけれど、ほとんど書こうと思わない人物で、これが変わり者であったということ。これについては水村が例によって秀

    「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦

    「新潮」9月号に掲載された冒頭3章を読んでから2か月以上たってあらためて単行『日語が亡びるとき』を読んだわたしの感想は、これを読んだ人から見て、いくらか焦点がずれているかもしれない。わたしがいま書いていて心配に思うのはそこがうまく通じるかどうかだ。 正直なところ、この単行は値段が高い。もうすこし安く、多くの人に届けばいいと思うのだけれど。 いや、そんなことは気にならない、読みたくなければ買わなければいいだけという言い分もあるだろうと思う。だがひとつここで確かめておきたいのは、誰かがなにかを書いて言おうとしたとき、それがどのように伝わるかは書き手には決められないということだ。なにが問題かというと、現代では出版物の値段が高いということが、読者を選ぶということにはかならずしもならず、むしろ出版された自体よりも出版されたという事実がいちはやく知れ渡り、その周辺で語られたことが注目されやすく

    「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦

    『日語が亡びるとき』という題名について云々論じたけれど、ここで解題が求められているのかどうか自分でもよくわからない。次になにを話したらいいかしばらく考えてみたけれど、あんまり突っ込んだ話はしないほうがよさそうな気がした。というわけで話をずらしてみる。 吉田健一、エリオットと、わたしが思いついた作家たちはふたりとも、フランス語の詩にかなり深く入れこんでいた。水村が18世紀、19世紀、20世紀にわたって世界でもっとも尊敬されていた<国語>は英語ではなくフランス語だと述べている(2章の冒頭)。それはたしかにその通りかもしれなくて、その頃の哲学者にしろ、詩人にしろ、フランス語で活動して大きな仕事をした巨人は20世紀の終わりまでずっと、避けて通れない門だった。それはもう、わたしが説明しなくても言い尽くされていると思う。 その水村がパリでの国際学会に呼ばれて人前で話した、そのフランス語での講演を自分

    「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦

    吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。 いや、「日語が亡びるとき」をはじめて目にしたとき、なんだか見覚えのある題名だなと思ったのだ。それがしばらくたってからよくよく考えてみたら、うーむこれじゃないかなと思えてきた。たぶんこれであろう、とあたりをつけてみたのだ。邪推と言われそうだけれど。 「文学が文学でなくなる時」とはなにか。要は文学を「真面目に」人に教えるようになったとき、それが「文学が文学でなくなる時」だというのが吉田の意図だったと覚えている。 (わたしの偏見が入った)説明をすると、じっさい英国で文学科が大学に置かれたのは19世紀になってからで、そもそも文学という呼び方じたい、あとから付けてみたものだった。というか、日では「昔は文学のことをただ文と言った」と吉田は言う。英国で文にあたるものはそれまで「クラシックス」などと呼ばれ、英国の寄宿学校や大学で、男子学生に

    「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(6) - 考えたヒント - 駒田明彦

    単行として完結した「日語が亡びるとき」が今日、アマゾンから届いた。 ちょうど5分前ほどに読み終えて、ふと思い立って梅田さんのブログを見に行ったらなんと、梅田さんも一読後の所感を書かれていた。 水村美苗「日語が亡びるとき」は、すべての日人がいま読むべきだと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan (2008-11-07) なんと、インターネットの世界は驚きに満ちていることか。 たぶん、いま梅田さんはアメリカにいて、そこからブログを書き込んだのだと思われる。 その数分後には、わたしがそれを見つけて(ちなみにわたしはRSSリーダーをつかわない)おおお、とびっくりする。 しかも、それを書いてブログに公開したとたん、梅田さんに読んでもらえる状況になる。 それだけではない。 水村さん(日に住まわれているのかわからないけれど)にも、読んでも

    「日本語が亡びるとき」を読んで(6) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • フェースブック: 収益計画は2011年までに、いまは成長が鍵 - 考えたヒント - 駒田明彦

    Facebook: Revenue plan by 2011; Growth is key for now. | Between the Lines | ZDNet.com (October 9th, 2008 Posted by Sam Diaz @ 5:36 pm) Facebook CEO Mark Zuckerberg says he’s more focused on growing the social networking site than he is in finding a way to monetize it - at least for now. In a Q&A interview with German blog Netzökonom, Zuckerberg has basically given himself and the company three ye

    フェースブック: 収益計画は2011年までに、いまは成長が鍵 - 考えたヒント - 駒田明彦
  • モジラの驚くべき道のりをたどる - 考えたヒント - 駒田明彦

    Business & Technology | Tracking Mozilla's amazing journey | Seattle Times Newspaper (October 6, 2008 at 12:00 AM By Pete Carey, San Jose Mercury News) John Lilly became chief executive of Mozilla in January, moving up from his role as chief operating officer. He's been with the company that created the open-source Firefox browser since 2005, the year Firefox 1.5 was released. ジョン・リリーは1月にモジラの最高経営責

    モジラの驚くべき道のりをたどる - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 複数言語のソーシャル・ネットワーキング - 考えたヒント - 駒田明彦

    ジェフリー・サックス『コモン・ウェルス』を読んで、梅田望夫さんはソーシャル・ネットワーキングが果たす役割について書かれていることを指摘していた(参照)。そこでわたしも『コモン・ウェルス』を注文して、さっそく届いたので読んでいる。ソーシャル・ネットワーキングの話はどこに出てくるだろうか。 マイスペース、フェースブック、スカイプの話が見つかった。あんがい、すぐに見つかった。 すぐに見つかったのだが、問題がひとつあった。 話にうまくついていけない。というのは、わたしに問題があるのだけれど。 どうも話の流れからして、恵まれない人、弱い立場にいる人を救うにはどうすればいいか、という文脈で語られているらしいということだ。そのためにテクノロジ(サックスによると「コミュニケーションズ・テクノロジ」)をどのように使っていくか。それを考えるために、たとえばビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の話が出てくる。 ど

    複数言語のソーシャル・ネットワーキング - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(5) - 考えたヒント - 駒田明彦

    水村美苗さんが小説家として「日語が亡びるとき」を書いたことは、すぐには多くの賛同が得られないかもしれないけれど、そのうちに「ああ、あれはこのことだったんだな」と思い返す日が来るのではないかな。なんというか、ゆっくり効く湿布薬のように。 そう思わせるのは、この部分を読んだのがきっかけだろうと思う。 数え切れないほどの文学の新人賞が生まれ、日語に細かい網をはって、わずかでも書く才があれば拾い上げてくれるようになって久しい。すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日にはいち早く到来していたのであった。 だが、そのときすでに日近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった。 ここで日近代文学が亡びる、と言っているのは日文化が西洋で広く受け入れられ、主要な文学と認められていた土台が崩れるということを意味してい

    「日本語が亡びるとき」を読んで(5) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(4) - 考えたヒント - 駒田明彦

    ちょっと待て、駒田よ、ほんとうにそれでいいのか。それがお前がこの論考を読んだ感想でほんとうにいいのか。なにか忘れてはいないか。 どこかからそんな声が聞こえてきたような気がしたので、頬っぺをつねって夢じゃないことを確かめてから、もういちど考えてみた。 じゃあお前はどうするのか。それを問われてしまうのが、「日語が亡びるとき」を読んだ人の抱える悩みかもしれない。 正直にいって、この時代に生まれたことは自分で選べなかったのだから、これから考えてみるしか方法がない、と思う。 この水村論考でもっともすぐれた点は、筆者が自分もその混沌のなかに置かれているひとりだということをひげ先から尻尾まで敏感なのように感じ取っていることだ。自分は知っているから高みから見物、などと思っていないことが読みだしから伝わってくる。 わたしが水村さんの意見にいちばんシンパシーというか連帯感を感じたのは、翻訳のことを書いてい

    「日本語が亡びるとき」を読んで(4) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(3) - 考えたヒント - 駒田明彦

    つまり、英語の優位はたしかにあって、日語で書かれたものが長い目で見て強く残っていくとは思えず、かといって英語文化が日語をもうすこし柔軟なものにしていくのかといえばそれもあやうい。 それでも、力強い日語で書かれたものはしっかりと、外に出て行き衆目にさらされて正しく評価されるだけの可能性がじゅうぶんある。 たとえば、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』は韓国語に翻訳され、それを読んだ韓国人が梅田さんのブログに日語でコメントしたという。これは梅田さんの日語が力強いものだったからだろう。 日語を再編成していくのも無理ではないといったのは、そういう意味だ。いったん日語の形式が壊れてしまっても、外国語に翻訳され、読まれることによって日語が強くなることは可能だ。つながる磁力は言葉が生き残るチカラになる。 これを、わたしは「日語が亡びるとき」を遠ざけるひとつの手だと考える。 だが話が言うほど

    「日本語が亡びるとき」を読んで(3) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(2) - 考えたヒント - 駒田明彦

    前の記事では、「日語が亡びるとき」を読んで自分がつづけてきたことに、おおきな刺激となったことを書いた。他人事ではないような気がした。言葉にうまくならない部分をもういちど考えてみるために、まずは自分がひっかかった言葉をいくつか抜き出してみよう。 思うに、英語という言葉は、ほかの言葉を母語とする人間にとって、決して学びやすい言葉ではない。もとはゲルマン系の言葉にフランス語がまざり、ごちゃごちゃしている上に、文法も単純ではないし、そもそも単語の数が実に多い。 ところが言葉というものはいったんここまで広く流通すると、そのようなこととは無関係に、雪だるま式にさらに広く流通してゆくものなのである。通じるがゆえに、多くの人が使い、多くの人が使うがゆえに、より通じるようになるからである。 ここで水村さんが訴えかけているのは、英語の優位が「日語が亡びるとき」を近づけている、それは必ずしも自然なことではな

    「日本語が亡びるとき」を読んで(2) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(1) - 考えたヒント - 駒田明彦

    翻訳という仕事を名前の一部にいれた会社を設立し、ブログをはじめたとき、わたしはいくつかの決め事を自分に課した。 毎日英語で読む 毎日日語で書く 誰にでもわかるように書く この決め事のなかで、いちばんむずかしかったのは、3つ目のものだった。 誰にでもわかるように書く。 これはわたしにとっては、左腕でボールを投げるようなものだった。使ったことのない筋肉を無理に動かすような感覚で、筋肉がつってしまいそうなものだった。 わたしにとって、相手が誰と決めずになにかを伝える、知らせるために「誰にでもわかるように書く」ことは、そのくらい不慣れなことだった。それが幸か不幸かはわからない。 大学に8年間在籍していたわたしにとって、書くと言ったらまずは論文のことだった。論文はほとんどの場合、先生に見せるために書いていた。わたしは初めにどの先生が読むのか考えて、心が決まってから書き始めた。書き始めた時点で、もう

    「日本語が亡びるとき」を読んで(1) - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 合同会社設立328日目、朝 - 考えたヒント - 駒田明彦

    港区は曇天。 土曜日。 今朝の産経ウェブ版に、梅田望夫さんの「ウェブ立志篇」が寄稿されていた。 【ウェブ立志篇】’08北京 米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫 - MSN産経ニュース (2008.8.23 03:50) ところでここ1週間ほど、オリンピック中継を見ては、ある刺激的な論考を読み、その意味を考える日々を過ごしていた。その論考とは、「新潮」9月号に発表された水村美苗の「日語が亡びるとき−−英語の世紀の中で」(280枚の長編評論)である。 わたしはまだ読んでいませんでした。これから入手して読みたいと思います。 「叡智(えいち)を求める人々」による「書き言葉」は、すべて「普遍語」たる英語になってしまう未来を想像し、警告するのである。 たしかに、英語はどこの国の言葉だったのか、もう考えても仕方ないくらい、つまり「家さがし」には意味がなくなっている気がします。少なくともこれからの

    合同会社設立328日目、朝 - 考えたヒント - 駒田明彦