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ブックマーク / tatemura.hatenadiary.org (16)

  • 盤上の自由のために:シリコンバレーで将棋本を読む(2) - tatemuraの日記

    『シリコンバレーから将棋を観る』では、現代将棋のプロたちの世界とシリコンバレーとを重ね合わせた記述が多く見られる。これには、競争の中を生き抜いてきた人々に共通する雰囲気を将棋のトッププロたちが持っているという点もあるかもしれない。が、それよりも興味深いのは、現代将棋におけるイノベーションのあり方、進化の仕方にシリコンバレー的なものを見出している部分である。 書では、「知のオープン化」の中で棋士たちが多様な手を互いに探索・共有している様が、現代将棋の今として描かれているが、この点だけを見れば、シリコンバレー的と言わずともたとえば日のWebでも起こっていることではないか、と思うかもしれない。 確かに、オープンな情報共有による進化の速さは2ちゃんねるやニコニコ動画でもよくみられる。コンテンツが誰に帰属するか関係なくさまざまなパターンの探索がすごい速さで行われるところは、むしろ将棋以上であろう

    盤上の自由のために:シリコンバレーで将棋本を読む(2) - tatemuraの日記
  • シリコンバレーで将棋本を読む(1) - tatemuraの日記

    将棋を指さない人でも楽しめる将棋、ということで、まったく指さないのに『シリコンバレーから将棋を観る』を読んだ。「サバティカル」中に生まれたこのは、梅田さんのこれまでの著書のようなひとつのテーマをめぐって論考をめぐらせるようなではなく、次のようなさまざまな側面を持っている。 観賞の対象としての将棋 ウェブ実況の文芸的可能性 イノベーションと将棋 探求者・研究者としての羽生さん 今回はこの中で、まずは最初の2点について感じたことを書いてみたい。 ひとつのの中にこのようなさまざまな側面があると発散しそうなものであるが、それらを貫くひとつの軸となっているのが、将棋好きな無邪気なおっさんであるところの梅田さん自身である。このを総体的に語ろうとすると梅田望夫論になってしまう。その点に関しても少しだけ触れたいと思う。 観賞の対象としての将棋 自分はこれまで将棋に関しては基的なルールを知ってい

    シリコンバレーで将棋本を読む(1) - tatemuraの日記
  • 日本を拡張する - tatemuraの日記

    渡辺千賀さんの「日はもう立ち直れないと思う」という発言がずいぶん反響を呼んだわけだが、*1これは日という現行システムの限界を指摘しているのであり、中の人までが駄目だとまではいっていないと思う。渡辺千賀さんの趣旨そのものではないかもしれないが、次の二点に言い換えた上で同意したい: 今のシステムで「かつてのような形での」繁栄は望めない(景気回復→海外に日製品が売れまくり→みんなの所得が右肩上がり*2)。 今のシステムを変えるには、もっと多くの人が(一時的にでも)外に出るほうがよい。 日人が個人としてもっと海外に展開するようになり、今の日を「拡張」することによって、かつてとは違った形での「日」の繁栄はありうるのではないか。それが自分の思いである。これはessaさんのいう「広がっている日」と基的には同じことだと思う。 今日が直面しているのは、景気の波というだけでなく、政治・産業・

    日本を拡張する - tatemuraの日記
  • 小説『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記

    水村美苗の新作小説『日語が亡びるとき』は、作者の二作目の小説『私小説 from left to right』を参照する形でのメタ私小説となっている。アメリカで生活しながらも英語に馴染めず、日語にこだわり続ける主人公が、日にもどって作家となり、その後どのような考えに至ったかを、主人公の立場から評論のような形式で語っている。 主人公の「私」が最終的にどういう考えにいたったか、その衝撃のラストが問題作となっている。この結論について異論反論を戦わせる人もいよう。そしてそれを見た人がもうこの小説を読んだつもりになってしまうかもしれない。しかし、この小説の醍醐味はなんといっても、その結論に至るまでの過程である。その物語は、特に英語圏で奮闘する人々の心を打つ。それはなぜだろうか。 「私」は12歳のとき、父の仕事の関係で、好むと好まざるとにかかわらず英語の世界に放り込まれた。好むと好まざるとにかかわ

    小説『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記
  • 『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記

    梅田さんの釣りにかかって、水村美苗の新作エッセイ『日語が亡びるとき』を日から取り寄せて読んだ。すでに各所で指摘されているとおり、論考にはかなり飛躍や不整合があって、これが論文ならrejectだと思う。だが、エッセイとしては面白く、読み応えがある。国語としての日語の成り立ちとか、考えたことも無かった人には三章から五章のくだりは大変刺激的であろう。そんなこと前からよく知ってるよ、それにちょっと偏ってんじゃないの、という人も一章・二章を中心に「小説」として楽しめる。その中間の多くの人にとっては、問題意識をより多くの人と共有するのに役立つのではないか。 三章では、現在の「国語」である日語がいかに成り立っているか、日近代文学が「国民文学」としていかに日という近代国家の成り立ちに寄与しているか、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』をベースにしつつ語っている。 古来人類は文字を持たず

    『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記
  • 『ウェブ時代5つの定理』:第4定理の証明をめぐって - tatemuraの日記

    証明されなければ定理とはいえない…。理系の人間として、最初はそんな無粋なことを思いながら『ウェブ時代 5つの定理』(isbn:4163700005)を読み始めた。だが第1章(第1定理)を読み進めていくうちに、「定理」の比喩するところがなんとなくわかってきた。このに集められた言葉は単に羅列されているのではなく、それぞれ梅田さんの実体験と結び付けられて語られている。これが引用された言葉に説得力を与え、まるで定理に対する証明を与えているかのようである。つまり、ここでいう定理は「実体験で裏づけされてきた言葉」ということだろう。 ここに集められた言葉は、梅田さん人だけでなく、シリコンバレーに象徴されるような場で多くの人によって証明されてきた(体験されてきた)ことである。僕は起業には携わっていないけれど、ここに書かれている言葉たちに深く共感するし、起業というコンテクストを超えて普遍性のある言葉だと

    『ウェブ時代5つの定理』:第4定理の証明をめぐって - tatemuraの日記
  • 知の開国:大学の若手研究者ができる4つのこと - tatemuraの日記

    IT業界は鎖国状態に近い。国内だけで回るシステムが産官共同で構築され、閉じた世界の中で生産性は一向に上がらず、日発のソフトウェアやサービスが世界に広まるという事例が極端に少ない。 残念ながら同じことが、大学を中心にした学問の世界でも起きているように思う。国内だけで回るシステムが産官学で構築され、優秀な頭脳が低い生産性の中で無駄遣いされている。この事態を変えられるのは、危機感を持った若い研究者たちだと思う。もちろんこれは、大変難しい問題だ。日全体の構造的な問題なので、一人の力ではどうにもならないと感じるかもしれない。それを力で変えようとすれば、政治的権力を得る必要があり、それを得たころにはもうあなたは今のあなたではなくなっている。危機感はそのうち無力感となり、そして何も感じなくなってしまうかもしれない。 それでも若手研究者に今から具体的にできることは、ある。 (1)英語のレジュメを

    知の開国:大学の若手研究者ができる4つのこと - tatemuraの日記
  • 圏外からの眺め - tatemuraの日記

    衛星からの北朝鮮の夜景を見たことがあるだろうか。周りの国が光を放つ中、闇の中に人々が暮らしているかと思い、どきりとさせられる画像である。 それと同じようなものがある。英語圏から見た日だ。周りの国が光を発している中で、日からの光はまったく目立たない。全くの闇ではないが、その中にあれだけ多くの人が暮らしていることを考えると、この光のなさにはある種の恐怖を覚える。日の中にいると、なかなかこの感覚はわからないかもしれない。国内ではどんなものでもどんな情報でも溢れているように見える。日語圏内では逆に光が強すぎて、外のことが全く見えないんじゃないかと思う。 もちろん、日では英語ができなくても立派に生きていけるし、多くの人は英語で発信することに意味を見出せないかもしれない。英語なんてものは「語学」という教養の一アイテムかもしれない。でも英語圏における、日のこの存在感のなさは異常に感じる。日

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  • 大企業をゆく - tatemuraの日記

    更新をサボっている間に今日またひとつ歳をとってしまった。ちょっとここで、大企業に勤める研究者として自分の身を振り返ってみたい。 『ウェブ時代をゆく』関連で大組織と小組織の対比が話題になったが、そもそも自分はなぜ大企業に勤めるのだろうか。『ウェブ時代をゆく』の「大組織適応性」チェックリストは必ずしも当てはまらない。むしろ逆に思う点も多い。例えば、 「配属」「転勤」「配置転換」のような「自分の生活や時間の使い方を他者によって規定されること」を、「未知との遭遇」として心から楽しめる。(p93) という点。会社の命令で赴任し、会社の命令で突然帰任させられる出向者の人々を見てきているので、日的企業戦士の適応性としては納得するのだが…。自分にはできないだろう。*1 そんな自分でも今ここにいるのは、大企業ならではの研究職というものに意義を感じているからだろう。 大企業のゆるさと研究職 まず言えるのは、

    大企業をゆく - tatemuraの日記
  • ケータイ進化論 本当の「黒船」はこれから現れる

    来年はついにiPhone上陸か、といわれており、Appleと組むキャリアはドコモか、ソフトバンクか、といわれている。iPhoneの参入は、パラダイス鎖国日への黒船来襲ではないかとも言われる。だが、iPhoneもまた垂直統合型のクローズドな製品である。確かに今のケータイ業界に風穴を開けるかもしれないが、これまでのキャリア主導の体制を大きく揺るがすものではないだろう。これに対して、次に来るオープンな「黒船」の破壊力は風穴どころではないだろう。まだ間に合うかもしれない。その黒船に日のメーカーが乗るチャンスも皆無ではないから…。 日のケータイ業界の構造的な問題はいろいろ指摘されているが、実は、米国も日のようにキャリアによる業界の支配が強い。日のように携帯のブランドまでコントロールすることはないけれど、販売奨励金やSIMロックの問題が程度の差こそあれ存在する。その状況下で、自分がよいと

    ケータイ進化論 本当の「黒船」はこれから現れる
  • 「ウェブ時代をゆく」(2)ロールモデリング―「よいこと」を抽出する技術 - tatemuraの日記

    「ウェブ時代をゆく」が日で発売されてからサンノゼの書店になかなか入荷されなかったので、それまでの間書に関するネット上の記事や感想を読んでいた。結局、著者人のこれまでのブログも含め、事前情報を仕入れた上で書を読んだわけであるが、それでも実際に読んでみて新たな発見があった。ひとつはスモールビジネスに関することだが、もうひとつはロールモデル思考法である。 読前感としては、ロールモデル思考法の「何でもロールモデルにしてよい」という意味は「ただ、子どもが王貞治になりたいというのと一緒で、どんなにえらいものでも消費してしまえというのがこの考え方です。」(CNET記事)という程度(失礼)のものだと思っていた。が、読んでみると、その「消費」の仕方は自分の予想を超えていた。 ロールモデル(role model)とは、「(特定の分野で)よい行いの見となる人物」のことをいう。典型的には、有名人(かっこ

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  • 国家プロジェクトをやめてみる(2)日本という「大組織」 - tatemuraの日記

    前回、「ウェブ時代をゆく」で梅田さんが提案する「何か大切なものをやめてみる」を国家プロジェクトに適用し、企業側から国家プロジェクトの受託をやめてみることを提案してみた。国側については、 官の側にも少し申し上げたい。 研究的なものは、民間企業に対しても科研費のような自由公募型にすべき。 とくに基礎技術に対して、産学の垣根を取り払って公募・助成すべき。 一方、産業応用までは官主導でやるべきではない。ビジネスチャンスは企業が自分で切り開くべき。 として、これは民間企業がやめてみるより大変だと述べた。実際、これは省庁の現場レベルでできる話ではなく、省をまたがった改革が必要になる。 自分は今まで産と学の中の人になったことはあるが、官の内情については知っているわけではない。やめてみるメソッドを適用する前に、まずは資料をもとに現状認識をしてみたい。 まず経産省の情報通信関連に話を絞って、公開されている資

    国家プロジェクトをやめてみる(2)日本という「大組織」 - tatemuraの日記
  • 「ウェブ時代をゆく」(1) 儲からない仕事がしたい - tatemuraの日記

    梅田さんの「ウェブ時代をゆく」を読んで、シリコンバレーに来たころを思い出した。911テロの直後に渡米し、それからしばらくしてのことである。こちらにきて将来的に何がしたいのかに問われ、こう答えたのだった。 「儲からない仕事がしたい」 にはずいぶんあきれられてしまった。 まあ確かに、それならなぜ大学を辞めて資主義の最先端のようなところに来るんだ、と普通は考えるだろう。でもこれは、その当時自分なりにネットの行き着く先を考えてのことなのだ。ネットが今後発展していけば、儲からない仕事ができるようになる。ネットが未発達な今は、儲からない仕事ができる社会を作るため、技術的貢献をしたい。技術革新で社会を変えていきたいと思うならシリコンバレーが理想の地だと考えた。 その後、しばらくしてから、自分のいう「儲からない」、という意味がスモールビジネスとベンチャービジネスの違いのことだと知った。 書の第二章

    「ウェブ時代をゆく」(1) 儲からない仕事がしたい - tatemuraの日記
  • 国家プロジェクトをやめてみる - tatemuraの日記

    はじめに:筆者の勤める研究所の親会社は日の大手ITベンダーのひとつですが、ここに書くのはあくまでも筆者個人としての意見です。ですが、会社の、さらには日IT全体の長期的な発展を願うものとしての一般論をここに発言するしだいです。 「やめてみる」シリーズとして、やめてみるメソッドを是非適用してみたいものがある。国家プロジェクトだ。 ただし、 国家プロジェクトやめてみ、といっても発注側(政府)と受注側(企業)と立場があるが、今回は企業側にたって、「やめてみ」と提案してみたい。 国家プロジェクトといってもあくまで研究プロジェクトのことであり、政府が使うITシステムの受注といった話とは異なる。 情報通信系の話で、ライフサイエンス系など別分野は違うかもしれない。情報通信系の中でも、主にソフトウェアの研究開発に議論が偏っているかもしれない。 また、最近で言えば『汎用京速計算機』の是非が池田氏のブログ

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  • 梅田発言にまつわる雑感:入り口で絞るか、出口で絞るか - tatemuraの日記

    梅田さんの発言 (直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan) を読んで、「まあそうだよねえ」と思っていたら、 ネットでのすごい反響(嵐のような反応を読んで - My Life Between Silicon Valley and Japan)。 その反響のほうにある意味感銘を受けた。 以下、思ったことを書いてみる。 discouragingな日の言説 いま自分は業では米国の研究者(といっても中国人が多いが)と同じ立場で、日(の社)に対して 研究成果を売り込んでいる立場にある。 その立場(我々=米国、彼ら=日)からみると、日の人たちとの会議にはげんなりさせられることが多い。 まあ英語力の問題とか、会議をするのに意思決定がされないとか、他にも

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  • 情報大航海の中の人にきいてみた。。。 - tatemuraの日記

    出張で久しぶりに古巣の大学を訪問し、情報大航海プロジェクトの中のえらいひとにお会いした。 当初、官製グーグル(日の丸検索エンジン)つくってどうする?みたいな批判が多かったが、経済産業省の人の反論もあった。官僚側のえらいひとやITベンダーの中の人々と、大学のえらいひとでは考えも違うかもしれないが、実際のところを(酒の席で)うかがった。 たしかにプロジェクト構想の初期には、打倒グーグルみたいな発想があったそうだ。でも議論を進めてすぐに、同じ方向性で対抗してもしょうがない、という結論に達したそうだ(まあそりゃそうだ)。映像解析やセンサー技術など、日に優位な技術がある分野に注力するということと、インターネットの情報だけに限らず、実世界の情報(センサー情報とか)を対象にしようという話になったとのこと。 プロジェクトの成果としては、従来のように「ITベンダーが集まってプロダクト(のようなもの)を

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