2010年センター試験世界史A 第3問 アメリカ綿花栽培は、東から西に アパラチア東麓の綿花栽培 18世紀、アメリカでの成功を夢に、イギリスからの移民の一部が、アパラチア山脈東麓のピードモント台地に落ち着いた。ピードモント台地とアパラチア山脈を越えて西部に向かった開拓者が多かったものの、子供連れ、老人連れの開拓者はピードモント台地に落ち着き、ここを当座の居住地として綿花栽培を始めた。アパラチア東麓〜ピードモント台地〜大西洋岸海岸平野には、小規模経営の綿花農場が広がった。小規模の綿工場もできた。 アパラチア山脈を源流として、ピードモント台地を流れ、大西洋に向かう河川は、ピードモント台地東麓の海岸平野との境界線で、傾斜が滝のように急流になり、移民を乗せた船舶の終点になった。ピードモント東麓の各河川の滝を結んだのが滝線都市である。滝線都市には水車を動力とする綿工場が立地し、その周囲に綿花