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今月5日に藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」主催の藤子アニメ上映会が開催されたことはこのブログでも触れたとおりだが、このイベント最大の目玉は、なんと言っても日本テレビ版『ドラえもん』(通称「旧ドラ」)の上映であった。このアニメの制作に携わったかたのご厚意により、「旧ドラ」全52話(26回)のうち2話を鑑賞することができたのである。 「旧ドラ」は、昭和48年4月1日から9月30日まで日本テレビで放送されたテレビアニメだが、ソフト化されることもなく、近年のテレビで動く画像が紹介されることもなく、1980年代以降は再放送もなく、藤子ファン・ドラえもんファン・アニメファンのあいだでは幻の作品として語られ続けてきた。昭和54年にスタートしたテレビ朝日版『ドラえもん』が人気を博し長寿番組化する流れのなかで、この「旧ドラ」は、〝アニメドラえもんの黒歴史〟という扱いさえなされてきたのだった。「作
このニュースを最初に聞いたとき、直感的におかしいと感じた。 直感的と言ってもそれなりに根拠はある。とにかく、冷静に考えれば考える程この件はおかしな事だらけだ。要領を得ない民主党の言い分も含め、ツッコミどころ満載。 とりあえず思いつくままに列挙してみよう。 1.そもそもなぜ「メール」なのか この疑問が私の中では一番大きいし、この1点だけでこれが「ガセ」だという確信に近い思いがある。 私自身、業務で頻繁にメールを利用しているが、その利点は言うまでも無い。「言質が残る」という点である。メールで残しておけば、後になって言った言わないと揉め事になる事が無い。逆に言えば、言質を残したくないやりとりにメールを使う事は個人的な感覚から言ってちょっと有り得ない。 自分が送信メールを削除したところで、相手には残る。万が一削除し忘れるリスクも考えれば、電話の方が遥かに安全だし理に適っている。 自らメール活用本を
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最初出たばっかりの頃には、テレビウォッチャー的な側面が強い人のブログやらで叩かれていたというか嗤われていた大橋巨泉の「金持ち、勝ち組、インテリはテレビなんか見なくなった」ですが、ここに来て好意的というか同調するような意見が、まあ「自分はテレビなんて観ないし、グループの中にもテレビ見る人ってそう言われてみればほとんどいないね」みたいな感じで言い出す人が多くて、なんかこういうのが凄く自分の嫌いな「エリート意識から庶民とか庶民的な現象、感情をバカにする」ということに触れている気がして凄い嫌な感じになりました。 最初はいくつかそういう発言しているサイトのリンク並べていたんですが、まあ個人批判が目的ではないので外したのですが、確かに僕も地上波なんてほとんど観なくなってスカパー!でスポーツチャンネルばっかりだし、バラエティもネタ番組以外観なくなってるように、いまのテレビがどんどんレベルが下がってるのは
TFK22 ■ 「懐かしさ」の幻影 『会社は株主のものではない』(洋泉社)拝受いたしました。 さっそくまず平川君の書いたところをそうだよそうだよと激しく頷きつつ読みました。 功成り名遂げて「ゴールデン・パラシュート」(読者のみなさんへの注:大金を儲けて早々とリタイアしてゴルフやらパーティ三昧の暮らしをすることらしいです)したあとの索漠たる心象風景・・・というところがなかなかいい味でした。 ハリウッド映画には、そういうつまらなそうな引退生活を送っている「元詐欺師」とか「元殺し屋」に昔の仲間が声をかけて「どうだい、また昔取った杵柄で一仕事やらないか」というところから話が始まる・・・というパターン、結構多いんですよ(『オーシャンズ12』とか『隣のヒットマン』とか)。 面白いのは、そういうオッファーをされた「パラシューター」のみなさんが、内心ではわくわくしているのに、表面は渋い顔をして「やだよ」と
AFTERTOUCH surreal SxGx maniac cinema&book; review *めぐりあうたびに溺れて 見失うたびに胸焦がしてた* InverseDiaryFunction SxGx キェェェェ N山家の人々 Dairy ☆質問ダイアリー☆ ネタ帖 むらみぃ 世の中とあたしの繋がり GOOBERS ++今日のechiko++ ロストマインドガール * mayumi blog * モウソウtagebuch 読書感想日記☆ネタバレ注意警報! 癌と煙草と酒と 俺の道 toro's blog. ++ torog ++ ココアシガレット・アンダーグラウンド Deportare gorf net AFTERTOUCH surreal 2ちゃんねるの超怖い話 maniac cinema&book; review CARLTON1976 平凡な日々 秘密のホンネ ゴリラ秘話。 L
前置き ここでは、「メタレベルで〜隠喩として機能している」だとか、 いかにもブンガク的批評といった言葉は使わないことにしよう。 また、公式の設定だとか謎本の解釈だとかもスルーして、 ここではただ作品を見た印象からのみ語ることにしよう。 なぜなら、難解なエヴァを分かりやすく説明しようとしているからだ。 ただしエヴァの分かりにくさの原因を分かりやすくするだけではある。 エヴァはどこが新しかったのか 『新世紀エヴァンゲリオン』は新しいアニメだった。何が違うのか。 巨大ロボットアニメで、主人公が熱血でないという点が新しかった。 しかし、主人公が葛藤するというのはガンダムでもそうではないか。 表面的な意匠はともかく、その点で新しくないのではないだろうか。 実はエヴァが分かりにくいのは、ライバルが不在だからである。 正確に言うと、ライバルからラスボスまで含めた敵役のことだ。 偏見だけで述べるが、例えば
『存在論的、郵便的』(東浩紀)・『終らない消費社会』(大塚英志) 大塚英志と東浩紀、それぞれの解決 ●大塚英志が示した正統でラディカルな解決方法 要はぼくたちに管理職になるカクゴがあるかどうかである。 『終らない消費社会』(大塚英志) 上記の大塚英志の言葉は92年末にバブル崩壊までを総括したコラム(『スタジオ・ボイス』掲載、『仮想現実批評』収録)でのもの。 もともと、これは大塚英志が属する世代であるところのいわゆる新人類世代にとっての大きな問題提議であり、同時にその解決方法でもある。そして私見だが、解決方法はこれしかないというのが現況の全てであり必要なのだ。大塚英志はここで団塊の世代などとは違ってカチッとした父性を提示する必要を問うている。それは父性あるいは超越的自我の不在にあって、自らはどうあるべきかをラディカルに問うものでもある。 団塊世代がニューファミリーのコンセプトのもと
ホームページをぼんやり見ていて、すごいページを見付けました。 小説家になりたくて投稿している人たちのページですが、小説をアップして「酷評」しあおう、というものです。 で、ちょっと読んでみたんですが、なんかこう、胸が悪くなってしまいました。 切磋琢磨して上手になっていこうね、という趣旨はすごくよくわかるのですが、酷評からは何も生まれないですよ。少なくとも、私は酷評はされたくないですね。 私は、小説教室に通ったときがありましたが、その教室では生徒たちが批評しあうのを禁じていました。先生が批評をするのはいいんですが、生徒同士はダメなんです。理由は、ミスリードしやすいし、感情的になりやすいから。 酷評を受けて、悪いところを無くしていったら小説は良くなるのか? 私は違うと思う。 プロ作家の書いたものでさえ、つっこみどころはあります。 たとえばの話、アニメになってすごい売れ
このエントリーは id:genesis:20060215:p1 の焼き直しです。傍論として「ついでに」書いておいたところを id:REV さんに注目していただき,それが縁となって『カトゆー家断絶』でもご紹介いただきました。おそらく関心を持たれたのであろうゲーム論に関する部分を,読みやすいように取りだして書き改めました。 私の認識不足でなければ,1980年代後期の少女まんがについての考察が,マンガ研究という分野では抜け落ちているようです。時期的には,柊あおいが乙女のバイブル『星の瞳のシルエット』(1985年)を描き始めてから,原作版『耳をすませば』(1989年)を送り出すあたりまで。具体的な作家としては,わかつきめぐみ/谷川史子/岡野史佳など。 特徴づけるならば,等身大の少女と少年が日常を繰り広げるなかで関係性を形成していく〈ガール・ミーツ・ボーイ〉もの。 マンガ研究の中では顧みられることが
1 地味に政治活動。現在浪人中である山花郁夫さんとこへ。 東京22区の同志諸兄は、次期選挙では山花郁夫さんをぜひ応援してほしい。 2 都議会選で惜しくも敗れた松本しょうじさん。 ともに捲土重来を期待したい。同志諸兄の応援を求む。 3 山花郁夫さんとはわりと心安くつきあっていただいているので、以下のようなことを申し上げた。 17日のNHK国会中継で民主党原口一博議員が、「日本経済に《闇》の勢力が入るのを許さない」といった発言をされていらっしゃったけど、原口議員自身、以前、国会に住吉会を呼んで表彰してたわけですが、その後関係を清算されたんですかね? それとも相手が住吉会であることを(いまだに)知らんのですかね? 議員同志は案外疎遠なものだから、山花郁夫さんにそういうこと聞いてもしょうがいないのだけど。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-04/0
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