「引き出しの中にきちんと折ってくるめられた綺麗なパンツが沢山詰まっているというのは人生における小さくはあるが、確固として幸せのひとつ(略して小確幸)。 ---村上春樹「小確幸」『ランゲルハンス島の午後』(新潮社) 「語源」(「語原」とも書く)というとどうしても思い出してしまう話がある。 金田一春彦さんが隠岐に旅行された時である。 トイレに入ったら、当時はまだトイレットペーパーがなくて草の葉が置いてあった。 それが「蕗」(ふき)の葉だった。 国語学者の金田一さんは「なるほど、これが蕗の語源だったのか」と納得したという。 人は、ある日突然、語源を意識する。 父とは50歳近くも離れていてあまり思い出がないのだが、小さい頃、連れられて富山市の大和(だいわ)デパートの食堂で「親子丼」を食べたのが唯一の楽しい思い出かもしれない。 だから、「親子丼」というのは親子で仲良く食べるから「親子丼」だと思って