2月3日の早朝、夫の父が亡くなった。91歳だった。 最期は苦しむことなく、眠るように逝ったので、大往生というべきだろうが、優しい義父で、慕ってもいたので、悲しくてたまらない。まだ元気だったとき、義父は「たとえ自分に何かあっても、孫を呼び寄せるようなことをしては駄目だよ。若い世代はやることがいっぱいあるんだから」と、言っていたが、肺炎で入院してからずっと大好きな孫に会いたいと思っているのがわかった。 そこで、言いつけを破って、今、英国で暮らしている息子夫婦に連絡すると、すぐに帰ってきてくれた。何もしてあげられなかったけれど、彼らが臨終に間に合ったことだけが、せめてもの救いだ。 お見舞いのはずが臨終に立ち会ったことがあるだいぶ前のことになるが、知り合いのお見舞いに行き、臨終に立ち会ってしまったことがある。具合が悪いと聞いてはいたが、深刻な気持ちはなく、文庫本を持ってお見舞いに行ったら、あろうこ
安倍政権ともつながりが深い日本最大の右派団体「日本会議」が、いま、出版・言論界で注目を浴びている。 今年5月には、著述家の菅野完氏がウェブメディア「ハーバー・ビジネス・オンライン」で昨年2月から連載していた論考を書籍化した『日本会議の研究』が発売。書店に並ぶ前から、椛島有三日本会議事務総長の名義で、版元の扶桑社に出版差し止めを要求する申し入れ書が送られるなどし、大きな話題になっている。椛島氏は、菅野氏が同書で日本会議の中枢に座る「生長の家原理主義」の一人として名指しした人物だ。 言論活動に対して、それが巷間に出る以前から「抗議」と称して差し止めを要求する。これは明らかに言論、出版の萎縮を狙った威嚇行為だ。断じて許されるものではない。 しかし、日本会議側がいくら圧力をかけても、昨年以降、メディアは日本会議を大きく取り上げるようになった。新聞でもたびたび取り上げられるようになり、追及の動きは止
この本、すごく面白かったし、勉強になりました。 執筆者は、「やや日刊カルト新聞」(主にカルト問題についての記事を扱う、ニュースサイト形式のブログ)の元主筆を務められていた「藤倉善郎」さんという方。 最近まで、ブログの執筆を手掛けていたらしいのですが、現在は主筆の座を退いて「総裁」「創始者」と名乗っているようです。 カルト宗教は全般的にやや下火傾向の昨今ですが、とはいえ完全に消沈したわけはなく、依然社会にのさばっている息の長い教団もあれば、先般の寺社に油のような液体がまかれた事件で有名になった、キリスト系の某新宗教のような新手の教団も勃興してきているのも事実。 この本では、世間でも良く知られている、割と知名度の高い教団を中心に取り上げられているし、 2012年8月に発刊された著書ということで、情報としては比較的新しい部類に入るのではないかと。 本の裏面には、 体当たりで取材を挑み続けてきた筆
11月6日、アメリカ大統領選はオバマ大統領の再選で幕を閉じた。 2001年開戦以来、収集がつかない事態となったアフガニスタン戦争。現在全土の8割以上をタリバンが掌握するというアフガニスタンにおいて、オバマ大統領は2014年の全面撤退を表明している。アメリカはアフガニスタンの再建を目標にかの地で行動してきたが、果たしてアフガニスタン戦争とはなんだったのか?毎日新聞ワシントン特派員として、アメリカから、そして従軍取材で訪れたアフガニスタンから今回の戦争を日本人の眼で取材した記録が『勝てないアメリカ――「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)だ。今回、著者の大治朋子氏に、米軍兵士の死亡原因1位のIED、そして従軍取材で訪れたアフガニスタンについてお話を伺った。 ――本書前半部分では、日本のメディアではあまり報じられていないIED(即席爆破装置)とTBI(外傷性脳損傷、外力による脳の組織の損傷。典型的な
書物は知識の宝庫であり、いつの時代も人類にインスピレーションを与え続けてきたものですが、時には間違った情報や偏った物の見方を流布したり、戦争や大量殺害、恐怖政治の大義名分に使われることもあります。 影響力のある本というのはすべて、人類に対して良い影響と悪い影響の両面を併せ持つものかもしれませんが、歴史上で強い影響力を持った本の中で、著者の意図するしないにかかわらず読者をあざむくことになった本、多くの人の死につながった本など、悪影響の方が大きかったと言わざるを得ない「世界に悪をもたらした本」を10冊挙げたリストを紹介します。 必ずしも「読むべきでない本のリスト」ではないので、読書好きの人はその本がもたらした結果を念頭に置いて読んでみると興味深いかもしれません。10 Books that Screwed Up The World - Top 10 Lists | Listverse ◆「魔女に
明治から昭和初期にかけて、全国各地をまわり、人々の前に生身の身体をさらした3人の天皇・皇太子。その足どりをつぶさに追うことを通して、全国規模で展開される「視覚的支配」の場に、一つの政治思想が浮かび上がる。 近代天皇制は、イデオロギーによる観念的な支配というよりは、むしろ、個別の天皇・皇太子の身体を前提とした大がかりな仕掛けによる支配とみるべきではないのか。たび重なる国家儀礼に動員される「臣民」たちは、天皇との一体感を身体ごと体験し、記憶に深く刻み込んだのではなかったか。だからこそ、象徴天皇制のもとでも、昭和天皇の戦後巡幸は熱狂をもって迎えられ、元号は平成に変わっても、1999年秋には現天皇の在位十年を祝う「国民祭典」が、2万5000の群衆と日の丸・君が代・万歳の儀礼空間を再現したのではないだろうか。 鉄道というテクノロジーへの注目など、行幸啓の光景のきわめてリアルな把握から、やがて大正期を
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