社蓄という言葉がある。会社が、ヒトであるところの日本のサラリーマンをあたかも所有しているかのように見える状況を指す言葉として、なかなかわかりやすい。 所有と言う関係は、本来ヒトからモノへの一方通行である。ヒトが、モノを、所有する。ヒトがヒトを所有したり、モノがモノを所有したり、ましてやモノがヒトを所有するような事態というのはありえない。なぜなら、モノは所有という意識的になされる行為に必要な意識そのものを持ち合わせていないし、一方で、所有されるヒトというのは奴隷であって、現代の世の中では、意図的に禁止されているからだ。にもかかわらず、多くの日本のサラリーマンは、会社に所有されていると感じており、会社が社蓄を所有するという、一見モノがヒトを所有しているかのような関係が現に存在しているのはなぜだろうか。 会社がモノを所有できるのはなぜかという問題については、岩井克人氏の著作「会社はこれからどうな