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socialとessayに関するusadamasaのブックマーク (14)

  • 時計の針が止まったままの世代交代 - シロクマの屑籠

    NYTimes 「日の若者は世代の障害に阻まれている」 上記リンク先は、ニューヨークタイムズを翻訳したものだという。 刺激的な記事内容に、はてなブックマークに大量のコメントがついている様子が凄まじい。年金問題にせよ、就職状況にせよ、古い世代がどっかと居座って(若年世代からみて)にっちもさっちもいかなくなっている現状を見ていると、リンク先の指摘は間違っていないのだろうと思う。 ところで、世代交代という現象は、それぞれの世代が独立して行うものではなく、上の世代・下の世代とも連動してドミノ的に進行するものとして捉えなければならない。思春期世代がなかなか壮年期的役割に移行しないという事態は、壮年期世代が老年期的役割に移行しないという事態と必ずリンクしている。新世代の雇用が増えないという事態は、より上の世代の雇用が減らないという事態とも(イコールの関係ではないが)リンクしているし、新世代が幼いメン

    時計の針が止まったままの世代交代 - シロクマの屑籠
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    usadamasa 2011/02/03
    "四十年前に子どもっぽいと言われていた世代が、還暦を迎えてもなお若さと快楽に執着してやまない有様を見る限り、彼らのかなりの割合は、いまだに思春期~壮年期のメンタリティに留まっているようにみえる。"
  • すべての人間が、成熟を避けるという社会は - シロクマの屑籠

    「すべての人間は、成熟しないで構わない。幼児のまま留保なく生を肯定されるべきである。バブー!」 誰も成熟しなくて良い社会。成熟しなくて済む社会。それどころか、“成熟の真似事”すら引き受けなくても良い社会。もしそんな社会を肯定するとしたら、一体誰が、その成熟を引き受けない人達を養い、世話し、支えるのだろうか? 大人という立場・成熟した振る舞いを受け付けなければならない状況というのは沢山ある。例えば鉄道の駅員、学校教師、民生委員etc…社会のインフラを支える多くの職業、特にface to faceのコミュニケーションを必要とし、ときに忍耐や粘り強さを求められる職業においては、いつも受動的な御客様気分・バブバブ気分だけでは職業として成立しない。上に挙げた例に限らず、これは殆どのサービス業にも当てはまろう。 また、父親や母親として次世代を養い育てる人達も、大人としての立場・養育者としての立場を引き

    すべての人間が、成熟を避けるという社会は - シロクマの屑籠
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    usadamasa 2010/10/16
    [for:@twitter]いっぽう、必要性や立場に応じて、「成熟を引き受ける」という捉え方であればもっと現実的で、なおかつ自分自身と他人に対して、必要な振る舞いを期待しやすいのではないかと私は思う。
  • 生まれ来る子供たちのために - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    少し前になりますが、佐野元春さんと小田和正さんの対談をテレビで観ました。NHKの「THE SONGWRITERS」という番組で、私が観たのは再放送らしいです。 私は、今だに小声で言う感じではありますが、オフコースが好きです。この感覚、もう若い人にはわからないかもしれませんね。オフコースが「さよなら」という曲でブレイクする前は、男性でオフコースファンと公言するのは、少し恥ずかしい感じがありました。よく軟弱と言われていましたね。 そういう扱いを受けていたのは、アルバムで言えば「Three and Two」以前という感じでしょうか。それまでオフコースは、小田和正さんと鈴木康博さんのデュオなのか、それとも5人編成のバンドなのかは、あいまいな感じで、レコードでは多重録音によるかなり作り込まれていたサウンドでした。ライブはともかくレコードでは、ボーカルは、コーラスのパートを含めて、小田さん、鈴木さんだ

    生まれ来る子供たちのために - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    usadamasa 2010/08/21
    [for:@twitter]"それは、イメージとしては子供時代と言ってもいいかもしれないし、もっと言えば、社会という言葉に対するコミュニティ的な場所、あるいは阿部謹也さんが言うところの「世間」なのかもしれないな、とも思い
  • 幼児化する男たち - 内田樹の研究室

    『Ane Can』という雑誌の取材を受ける。 『Camcan』のお姉さんヴァージョンである。 このところ女性誌からの取材が多い。 どうしてだろう。 わからない。 インタビュイーの選考は先方のご事情なので、私の与り知らぬことである。 お題は「愛と自立」 う〜む。 「愛をとるか、自立をとるか」でお悩みの20代後半女性にアドバイスを、というご依頼である。 端的には「仕事をとるか、結婚をとるか」ということのようである。 つねづね申し上げているように、これは問題の立て方が間違っている。 仕事結婚も、どちらも人間が他者と取り結ぶさまざまな interdependent なかかわりの一つであり、どちらも人間が生き延びるためには「あったほうがよい」ものである。 「仕事もない、配偶者もいない」というのがワーストで、「おもしろい仕事もあるし、すてきな配偶者もいる」というのがベストであり、その間に無数のグラデ

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    usadamasa 2010/06/23
    [for:@twitter]これまでも繰り返し説いてきたことだが、「同学齢集団のコンペティションでの相対優位」が意味をもつのは、「ルールがあり、レフェリーのいる、アリーナ」においてだけである。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    京都日記③ 京都日記の③、これで最後です。前回と前々回はこちら。 jyocho.hatenablog.com jyocho.hatenablog.com 7日目 土曜日で、チェックアウトの日だけど11時まで時間があるので朝べるパン(また)とコーヒーを買いにいいく。パンは美味しかったので進々堂のクリームパンと…

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    usadamasa 2010/05/20
     サイヤ人や、ナメック星人やサイヤ人のハーフや悟空一行の関係者しか生きれない世界なんかは、私は御免です。
  • 【社会】今からそいつを これからそいつを 殴りに行く前に知らなくてはいけない話 - busidea

    【社会】今からそいつを これからそいつを 殴りに行く前に知らなくてはいけない話 2010年4月10日 2021年8月24日 2020年以前の記事 理屈抜きに高らかに、”YAH YAH YAH -” とサビが続くチャゲアスは、私にとっても懐かしいグループのひとつです。最近彼らの話をとんと聞かなくなったので、彼らはいつ、どこへ消えたんだろうと調べてみたら、つい最近みたいでした。2009年に無期限活動停止だってさ。へぇ。 彼らのことを思いだしたのは、前回の記事にコメントしてくれた人が居たから。彼/彼女は『YAH YAH YAH』を「ロスジェネ世代ソングだった」と表現していて、ああ確かになあと思いました。あの曲のメロディを名無しの私たちも知っているけれど、1993年に発売されたそれは小学生の私たちのものじゃなかったなと。私たちのお姉さんお兄さんを強く鼓舞し、憤をかき消して立ち向かうパワーをくれる

    【社会】今からそいつを これからそいつを 殴りに行く前に知らなくてはいけない話 - busidea
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    usadamasa 2010/04/10
    [for:@twitter]個人によって見えるものは違うと思うけれど、それらについて、もしあなたが今不当な被害を被っていると感じるなら、私はちゃんと怒っていいと思う。せめて、別の世代から心配されない程度には、もう少し意
  • 史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?

    「みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。 けれどもお互い他の神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』初期形第3稿より) 人が、自分の生まれた村や町で一生を終えていた時代には(想像もつかないほど昔のことじゃない。時間にすれば、人類の歴史のうちほとんどがそうだった)、接する人たちは皆顔見知りで、村や町みんなで同じ神様を祭ったり拝んだりしていた。 コミュニティの中や近くにある岩やらトーテムを、コミュニティのみんなで拝んでおけば、自然と一体感がうまれてうまくいった。 これが原始的な宗教のかたちだった。 そして同じ神様を祭ったり拝んだりする人たちが、要するに「仲間」だった。 ところが、多くの人間が互いに大きく移動し合い、一人の人間がいくつもの集団に所属したり、見も知らぬ人の集まりがあちこちにできたりする時代となると、「同じモノを拝む奴

    史上最大にして、最もささやかな宗教とその帰結:何故我々は満員電車で無視し合うのか?
  • 情報の視覚化と祭りの力学 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 人が道徳に服従するのは、道徳的であるからではない。 道徳への服従は、君主への服従と同じく、奴隷根性からでも、虚栄心からでも、狂信からでも ありうる。それ自体は、それは何ら道徳的なことではない。 道徳的理想の勝利は、他のあらゆる勝利と同じく「不道徳な手段」によって得られる。 嘘、暴力、誹謗中傷、不公正によって。 ニーチェも「にーちぇ」って書くと、ちょっと親しみやすい。なんとなく。 混沌から貴族主義的ネットワークへ 始まりは混沌。 誰もが自分のことで精いっぱい。全ての個体が競争を行う世界。 競争は勝者と敗者を生む。 1回でも勝った経験のある個体というのは、そうでない 個体に比べて、次の競争でも有利になる。 勝利に限界のない世界では、富めるも

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    usadamasa 2006/05/09
    正しいやりかたで「場」ができて、正しいタイミングで「名前」が括られると、 その名前は強力な力を持って一人歩きする。
  • 旅する医者の3つのスタイル - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 医者は旅をする。 研修中のローテーション。大学を出てからの地方巡業。開業。部長と喧嘩。 アフガニスタンで井戸を掘るため。流れ着いたらずっとそこにいる奴。すぐいなくなる奴。 「旅人」には2種類ある。慣れた旅行者と、不慣れな人と。 不慣れな医者の「旅」はたいていろくな結果を生まない。 初対面の人間同士。誰とでもすぐに打ち解けられるほうが異常だ。 移動先のスタッフとトラブったり。上司と上手く行かなかったり。 実力的には問題なくても、上手く行かない理由なんて無数にある。 誰でもどこかで腰を下ろす。「お呼び」がかからなければ、動こうにも動きようがない。 年をとるとともに、雇用のコストは増大する。移動の閾値が高い医師は、 どこかの時点で定住して、そこでず

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    usadamasa 2006/02/17
    旅人の3つのスタイルの違いというのは、たとえば就職後の周囲とのコミュニケーションの違いだ。 拝み屋はなじむ。開拓者は戦う。将軍は勝手にやる。
  • ITmedia +D LifeStyle:男は本当にメカメカしいものが好きなのか (1/3)

    今から約24~25年前、筆者は受験生として始めて東京の地を踏んだ。そのときに、どうしてこっち(東京)の女の子はどこに行っても揃いも揃ってチェックのスカートに紺のハイソックス、そしてデッキシューズを履いているのか、とても不思議だった。 これはもしかしてオレが田舎者だから知らないだけで、東京全体にまたがる日大のような巨大組織の高校があって、そこの制服なのか? と気で思ったものだ。入学が決まって改めて上京したときに、クラスメートの女の子らにその疑問をぶつけたら、「あれはハマトラといって流行なのだ」と笑われたのを覚えている。 そのとき、流行というのはものすごい威力を持つものだなと始めて体感した。筆者が育ったような田舎では、いくら流行っているとは言っても、すれ違う人ほとんどが同じ格好というような状況は、まず考えられなかったのである。 70年代から80年代初期の、都市部の個性や流行とは、こういった形

    ITmedia +D LifeStyle:男は本当にメカメカしいものが好きなのか (1/3)
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    usadamasa 2006/02/13
    だが日常的にそういうものを好むかと言われれば、すべてのものに対してそういう気持ちは持ち合わせない。遺伝子とか本能とかそういうものに照らし合わせるとするならば、男とはメカメ
  • マッチメイカーとしての国の責任 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります プロレスには仕掛け――アングルがある。 これは決して八百長などではなく、リングのファンタジスタであるプロレスラーの 持ち味を最大限に演出するためには欠かせない物語だ。 マッチメイカーは、プロレスの世界観とか、試合前の選手同士の怨恨や対立、 それぞれの選手の背負った肩書きや試合にかける物語といった、テーマとなる筋書きを担当する。 試合展開はあらかじめ決められている。もしかしたら勝敗も。 筋書きのある試合は楽しい 筋書きの決まった試合はつまらないだろうか?そんなことはない。 2005年7月18日の小橋vs健介の試合などは、たぶん昨年で一番の名勝負だった (もっとも「ノアだけはガチ」はファンの間では定説だが…)し、最初から「アングルあり」を 謳って

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    usadamasa 2006/02/07
    よくできたアングルは選手の個性を際立たせるけれど、駄目なアングルは選手を潰してしまう。
  • 責任は「足して100%」ではない、と思う - H-Yamaguchi.net

    よくある議論の流れはこう。まず問題が起きる。たとえばAがBに損害を負わせたとする。するとほぼ同時に「責任」論が浮上する。それも何種類も。 ・「Aが悪い。Aに責任がある」 ・「いやAにはCという黒幕がいる」 ・「この問題を所管する○○省には監督責任がある」 ・「この問題は小泉政権の政策がもたらしたひずみだ」 ・「Aは○○党の幹部にコネがある。きっと何かある」 ・「この問題に関するマスコミの取り上げ方が悪い」 ・「そもそもBの自己責任ではないか」 ・「これはアメリカの陰謀だ」 ・「昔はよかったのに、今の若い者はなっとらん」 ・「教育のせいだ。最近の学校はろくなことを教えない」 ・「Aはもうけすぎだ。この機会にもっとこらしめるべきだ」 ・「世の中にはもっと厳しい状況の人がいる。それをさしおいてBを助けるのはおかしい」 他にもあるかもしれないが、まあこのへんで。よくこれだけあるものだ。何が起きても

    責任は「足して100%」ではない、と思う - H-Yamaguchi.net
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    usadamasa 2006/01/22
    問うべきなのは「誰に責任があるか」ではなく、「この件に関するあなた(私)の責任はどうか」だと思う。
  • 真名と忌み名と - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 白衣の裏には名前を隠す 人に頼られるというのは、基的にはとても怖いことだと思う。 内科の外来。毎日初対面も同然の人たちがやって来ては、自分達の問題を赤の他人に語る。 もちろんこちらを信用してくれてのことなのだけれど、その話を受ける自分が十分な対価を 支払っているのかどうか、全く自信が無い。 「患者」と「医師」との対峙なら、やりかたは習っている。ところが、目の前にいるのは 「患者」なんかで無く、「○○さん」という人間だ。一般化なんかしたら怒られる。 かといって、 自分が「○○さん」レベルに個人化したら、対峙するのは単なる個人と個人。 自分の「個人」によっぽど自信が無いと、これは恐ろしい。 医師は白衣を着ることで身を守る。個人から医師になり、

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    usadamasa 2005/12/31
    現在でさえ、多くの人は通り名と忌み名とを使い分ける。Web上で本名を出している人は 増えたけれど、まだまだハンドルネームを使っている人は多い。本名が知られると、やっぱり怖い。
  • Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本

    Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
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