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中世と文化に関するusataroのブックマーク (18)

  • 16世紀末のキリシタン信仰画か 神奈川で収蔵の巻物:朝日新聞デジタル

    神奈川県大磯町の「澤田美喜(みき)記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。 記念館などによると、和紙に墨で描かれた巻物で、縦22センチ、横約320センチ。「受胎告知」や「受難」「聖母の戴冠(たいかん)」など15の場面がある。ラテン語の祈りの言葉も仮名で書かれている。「御出世以来千五百九十二年 はうろ」とも記されており、「パウロ」という洗礼名の信者が西暦1592年に作ったとみることができるという。 記念館と共同調査した横浜歴史博物館によると、文字の書体や描かれた風俗には、江戸時代より前の特徴がある。記念館が外部の研究機関に放射性炭素を用いた年代測定を依頼したところ、1556~1633年に作られた紙との結果が出

    16世紀末のキリシタン信仰画か 神奈川で収蔵の巻物:朝日新聞デジタル
    usataro
    usataro 2018/11/19
    “「澤田美喜記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高い”
  • 朝鮮伝来の経典集が国の重文に|NHK 長崎県のニュース

    14世紀に高麗王朝時代の朝鮮で印刷され、その後、対馬にもたらされた仏教の経典集、「高麗版大般若経」が、新たに国の重要文化財に指定されることになりました。 これは9日、文化庁の文化審議会が文部科学大臣に答申したものです。 対馬市の金剛院に伝わる「高麗版大般若経」は、高麗王朝時代の朝鮮で、14世紀に木版印刷された165巻の経典集で、室町時代に当時の対馬当主、宗貞盛が朝鮮王朝からもらいうけ、その後、島内の寺や神社に寄進した経典の1つとされています。 この中の記録から、経典が印刷された経緯や、当時の対馬と朝鮮の関係を読み解くことができ、宗氏と金剛院とのつながりを示す31通の資料と合わせて、保存すべき価値があるとされています。 このほか、国の登録有形文化財に、長崎市にある国道三四号一之橋と国道三四号中之橋、それに国道三四号鎮西橋が登録されることになりました。 いずれも昭和9年に作られた鉄筋コンクリー

    朝鮮伝来の経典集が国の重文に|NHK 長崎県のニュース
    usataro
    usataro 2018/03/09
    15年も前の話だが、この大般若経の調査と整理に携わった。あれから気にはなっていたんだが、こういう形で保存が実現したのは非常に喜ばしい。
  • 「鎌倉」でなく「北条時代」が区切り 時代区分に新提案:朝日新聞デジタル

    時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授 歴史には時代区分がある。だが、日史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。 ――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。 「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」 「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。王権の変化で区切るほかありません」 ――では、最初の王権はいつできたので

    「鎌倉」でなく「北条時代」が区切り 時代区分に新提案:朝日新聞デジタル
    usataro
    usataro 2017/11/10
    歴史学のグランドセオリーが失われた現在、本当はきちんと考えるべきだが正直あまり研究者間で盛り上がっているとは言いがたいなあ。/中世の始まりは承久の乱でなく院政期が通説で「山城」の括りには違和感ある。
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「避難所でもお湯が何度も使えた」断水が続く能登に強い味方「水を98%再利用できるシャワー」 被災者が自ら運用、新しい支援の形に AIの教育活用に踏み出すシンガポール…世界トップ級の学力、生き残りに懸ける カメラで児童の動きを検出、中国技術の台頭がもたらすものは「監視」か「安全」か

    47NEWS(よんななニュース)
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    usataro 2013/01/26
    「柳之御所遺跡」から、擬人化されたカエルが墨で描かれた木片が見つかり、県教育委員会が25日、発表した。国宝「鳥獣人物戯画」(平安―鎌倉時代)に似ており、同時に出土した遺物から12世紀後半のものと推定さ
  • 北条泰時、極楽往生の願い…阿弥陀像に墨書 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    鎌倉幕府の根法典「御成敗式目」の制定で知られる3代執権・北条泰時(1183~1242年)が創建した、神奈川県鎌倉市の常楽寺の尊、阿弥陀(あみだ)三尊像から、制作時期とみられる「仁治三年(1242年)六月十二日」の墨書が確認された。 泰時の出家の33日後、死の3日前にあたり、専門家は「死期を予感した泰時が、極楽往生を願って急いで造らせたのでは」としている。 三尊像は木造で、中央の阿弥陀如来像は像高70センチ、左右の観音・勢至菩薩像は同85センチ前後。作風に中国・宋の影響があり、鎌倉時代の仏師・定慶(じょうけい)の作とみられるという。 これまで室町時代の作とされていたが、昨秋、山勉・清泉女子大教授(日彫刻史)が調査。阿弥陀像の台座内部に、僧侶の名や日付が書かれているのを確認した。17日、市の文化財に指定された。

    usataro
    usataro 2012/02/19
    「鎌倉市の常楽寺の本尊、阿弥陀三尊像から、制作時期とみられる「仁治三年六月十二日」の墨書が確認」
  • 文化審答申:坂越の船祭、国の重要無形民俗文化財に 中世からの祭礼、海の安全祈願--赤穂・大避神社 /兵庫 - 毎日jp(毎日新聞)

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    usataro 2012/01/29
    「赤穂市坂越地区に中世から伝わるとされる海の安全を祈願する祭礼「坂越の船祭」」「大避神社の祭礼で、毎年10月の第2日曜とその前日に開催」矢野荘にゆかりの深い地だ。
  • 中世の舞楽 息づく 福岡・みやま市で「幸若舞」奉納 / 西日本新聞

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    usataro 2012/01/23
    「福岡県みやま市瀬高町の大江地区に残る国指定重要無形民俗文化財の「幸若舞」が20日、大江天満神社に奉納」
  • 寺家遺跡を国史跡に 文化審答申 : 石川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    旧松波城庭園は名勝 国の文化審議会による史跡や名勝などの指定答申で、県内からは、羽咋市寺家町の「寺家(じけ)遺跡」が国史跡、能登町松波の「旧松波城庭園」が国名勝に選ばれた。指定されれば、2009年度の「辰巳用水」「末浄水場園地」以来2年ぶりで、県内の国指定史跡は25件、国指定名勝は8件となる。 寺家遺跡(5万8000平方メートル)は8~9世紀にかけての古代の祭祀(さいし)遺跡。1978年、能登有料道路の建設時に発見され、銅鏡や焼土遺構、竪穴建物跡などが発掘された。 溝と柵によって規則的に配置された掘立柱建物を中心とする建物群は、祭事を管理していた施設とされる。刀やまが玉、土の馬などが出土していることが、国家も祭祀に関与していたと考えられるという。 「万葉集」などの文献には、この地域に「気太(けた)神宮」(現在の気多大社)が存在していたことを示す記述がある。実際、気多大社と寺家遺跡の距離は約

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    usataro 2011/11/19
    「羽咋市寺家町の「寺家(じけ)遺跡」が国史跡」「8~9世紀にかけての古代の祭祀遺跡」「能登町松波の「旧松波城庭園」が国名勝」「15世紀後半から16世紀にかけての中世の枯山水遺構」
  • 中世たたら製鉄を再現 砂鉄と木炭入れ、徹夜で 岡山・新見 - MSN産経ニュース

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    usataro 2011/11/19
    「岡山県新見市で5、6の両日、日本古来の製鉄方法を再現する「中世たたら製鉄再現」」「鉄の生産技術を後世に伝えようと、国選定保存技術保持者の木原明さん(76)の指導」
  • asahi.com(朝日新聞社):金剛峯寺の仏像は「快慶作」 高野山霊宝館が発表 - 文化

    印刷 執金剛神立像=高野山霊宝館提供右上から左下に向けて「阿弥陀佛」の文字が見える=高野山霊宝館提供  和歌山県・高野山にある金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)」(高さ149センチ)の内部に、鎌倉時代を代表する仏師、快慶(生没年不詳)の作であることを示す墨書銘が残っていることが分かった。山内の文化財を調査・展示している高野山霊宝館が21日発表した。  館内に展示していた木造の像が9月、台座とつながっている左足首の部分で折れ、倒れて破損したのが調査のきっかけ。数十年前に補修で使った接着剤が劣化したのが原因とみられる。  内部の空洞にファイバースコープを入れたところ、首のあたりに「アン」と読む梵字(ぼんじ)1文字と、漢字の「阿弥陀佛」4文字が続けて墨で書かれているのが見つかった。快慶は初期の作品に同じ墨書銘を入れており、筆跡も似ているため、快慶作と判断した。  

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    usataro 2011/10/22
    「金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像」の内部に」「快慶の作」「を示す墨書銘」「高野山霊宝館が21日発表」「首のあたりに「アン」と読む梵字」と「「阿弥陀佛」」
  • 宇佐神宮の伝統行事 ニナ貝を放つ放生会祭【大分のニュース】- 大分合同新聞

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    usataro 2011/10/11
    「9日、宇佐市和間地区の寄藻川河口近くでニナ貝を放つ「放生会祭」」「神職や国東六郷満山の僧侶、放生会祭典委員会」「「道行き囃子(ばやし)」を奏でる」「和間小児童ら」」
  • asahi.com(朝日新聞社):表裏の原画はがし、台紙に貼り直す 鳥獣戯画、技法解明 - 文化

    【動画】鳥獣人物戯画 和紙の表裏をはがす様子を再現会見で、和紙を2枚にはがすことで裏に絵が写る過程が実演された=15日午後、京都市東山区の京都国立博物館、飯塚晋一撮影    動物たちを擬人化して描き、「日最古の漫画」とも評される国宝・鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)の一部で、和紙の表と裏に描かれた原画を後世にはがして両面を台紙に貼りつけ、絵巻物に仕立て直していたことが、保存修理を進めている京都国立博物館の調査でわかった。同館と所有者の高山寺(京都市)が15日発表した。こうした絵巻物の制作技法が解明されたのは初めてという。  修理は朝日新聞文化財団の文化財保護助成事業の一環で、2009年から進められている。同館によると、補修に伴う事前調査で、全巻にわたって不自然な墨の跡が100カ所以上、点在しているのが確認された。絵柄を反転させるなどした結果、絵の裏側に描かれていた別の絵の墨がにじんでできたと判明

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    usataro 2011/02/16
    「和紙の表と裏に描かれた原画を後世にはがして両面を台紙に貼りつけ、絵巻物に仕立て直していた」「不自然な墨の跡」「絵の裏側に描かれていた別の絵の墨がにじんでできた」「完成品ではない「下絵」だった可能性」
  • 意外?戦国期の甲冑、奈良が独占 寺の武装影響…職人440人 - MSN産経ニュース

    戦国武将が着飾った甲冑(かっちゅう)の最大生産地が、戦国時代では存在感の薄い奈良だったとみられることが25日、元奈良県立美術館長の宮崎隆旨(たかし)さん(67)の研究で明らかになった。シェアだけでなく品質も他産地を圧倒していたとみられ、需要がピークだった慶長年間(1596~1615年)には、奈良に約440人の甲冑師がいたと推計。奈良産の甲冑が全国的なトップブランドだった可能性が高いという。 甲冑には製造場所が記されず、産業としての研究は進んでいなかったが、宮崎さんは生産地側の文献史料を集め、時代や地域ごとに甲冑師の概数を比較した。 その結果、室町後期から戦国時代を経て江戸中期にかけ、奈良は全国最大の生産地で、ピーク時には約440人の甲冑師が存在し、京都、大阪、江戸がこれに続くことが判明した。 甲冑の一部には作者の銘が印刻されており、海外も含めた各地の甲冑の銘を解読した結果、奈良が群を抜いて

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    usataro 2011/01/29
    「周防の戦国大名・大内義隆が厳島神社に寄進した奈良製で最古級の甲冑」「シェアだけでなく品質も他産地を圧倒」「慶長年間には、奈良に約440人の甲冑師」「奈良産の甲冑が全国的なトップブランドだった可能性」
  • asahi.com(朝日新聞社):時代との関係で解釈される中世 田中貴子・甲南大教授が新刊 - 文化トピックス - 文化

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    usataro 2010/07/09
    「新刊『中世幻妖――近代人が憧れた時代』(幻戯書房)」
  • 「火焚き神事」で社殿が全焼…阿蘇の霜神社 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    26日午後0時15分頃、熊県阿蘇市役犬原(やくいんばる)、霜神社の火焚(ひたき)殿から出火、木造平屋約60平方メートルを全焼した。けが人はなかった。 霜神社は、国指定重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」の一つ「火焚き神事」を行うことで知られる。火焚き神事は毎年8月19日〜10月16日、火焚殿の中で火を燃やし続け、煙をご神体にあてて農作物の霜よけを願う祭事で、2千数百年前から行われていたと地元では言い伝えられている。今年も行われ、地元の住民が交代で火を絶やさぬよう見守っていた。 県警阿蘇署の発表などによると、火焚殿内には出火当時、当番の女性2人(いずれも70歳代)が、火を燃やしていた場所とは少し離れた部屋にいた。出火に気付いた時には建物内から炎が上がっていたという。 神社には殿、火焚殿、御仮屋(おかりや)があり、神事用の火は火焚殿の隣の御仮屋で引き続き燃やす。地元区長の男性(68)は「大

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    usataro 2009/09/28
    以前この神事について原稿書いたことがある。確か籠る役は少女だったと思うんだが。
  • 「ポニョの海辺」埋め立て計画、宮崎監督が思い語る : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    万葉集にも詠まれた広島県福山市の景勝地・鞆の浦の埋め立て・架橋事業を巡り、計画に反対する住民らが県に埋め立て差し止めを求めた訴訟の判決が10月1日、広島地裁で言い渡される。 鞆の浦に滞在し、映画「崖(がけ)の上のポニョ」の構想を練ったという宮崎駿監督(68)が、判決を前に読売新聞のインタビューに応じ、開発か、景観保護かで揺れる鞆の町への思いを語った。(諏訪智史) ◇ スタジオジブリの社員旅行で初めて鞆の浦を訪れた時、たまたま泊まったのが崖の上の家だった。(ポニョの制作を前に)その家が気になって、2005年2月から約2か月間、滞在した。 家の窓から海の景色を毎日見ていて、海に色々な表情があることがわかっておもしろかった。鞆の浦に行かなければ、ああいう映画にはならなかったと思う。 埋め立て・架橋事業については、自分なりの考えは持っているけれど、賛成か反対かを主張する気はない。地元の人たちが決め

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    usataro 2009/09/22
    正直なところ埋め立てしちゃったらもう観光客は来ないだろ。あの景観だからこその価値が鞆にはある。
  • 秀吉の威勢、聚楽第行幸の屏風…上越で発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第(じゅらくだい)に招いた際の光景を描いた一対の屏風(びょうぶ)が新潟県上越市で見つかり、市立総合博物館で12日、一般公開が始まった。 「御所参内・聚楽第行幸図屏風」(各高さ約1・6メートル、幅約3・6メートル)は、右に天皇が乗った輿(こし)の行列が聚楽第に向かう様子が、左に秀吉の牛車の列が聚楽第から御所に向かう様子が、それぞれ描かれている。 聚楽第は、秀吉が現在の京都市上京区周辺に築いた豪邸で、「聚楽第行幸」(1588年)によって自らの威勢を天下に示したとされる。しかし、建物は完成からわずか8年で解体された。 同館によると、聚楽第を描いた屏風は3例確認されているが、秀吉の御所参内と行幸の光景がそろったものが発見されたのは初めて。 秀吉の死後、慶長年間に制作されたとみられ、上越市の個人が所蔵し、昨年11月、同館に鑑定を依頼した。花岡公貴・主任学芸員は「聚楽第を研究

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    usataro 2009/09/13
    どういう経緯で作成され伝わったんだろ?
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

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    usataro 2009/08/08
    いろんなものがあるんだな。
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