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黒田期の中津城見えた 築城時の石垣確認で、天守存在も判明 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
内堀に面した本丸南の石垣。解体修復の結果、破線より下部が築城当初のもので、中央のくぼんだ位置の平... 内堀に面した本丸南の石垣。解体修復の結果、破線より下部が築城当初のもので、中央のくぼんだ位置の平面では櫓台跡が確認された 大分県中津市の中津城で行われている本丸石垣の修復・復元工事に伴う調査で、黒田如水(孝高(よしたか))が天正16年(1588年)に手がけた築城当初の石垣が広範囲に現存していることがわかった。史料の検討によっても、これまでなかったとされた天守の存在が判明するなど、九州最古の近世城郭の実態が次第に明らかになってきた。 現存する近世城郭の多くは関ヶ原の戦い(1600年)以降に拡張されたか新たに築かれたものだ。豊臣政権期に築城された中津城も、関ヶ原後に城主となった細川氏が大規模な改修を行っている。こうしたことから「中津城には黒田期のものは残っていないと思われていた」(高崎章子・中津市教委文化振興課主査)。 ところが2001年、埋まっていた本丸南の堀を掘削したところ、高さが最高で7
2010/02/10 リンク