2ちゃん(→5ちゃん) 呼び名が変わった頃には全盛期を過ぎてたから、5ちゃんという名前に怪しげなシズルを感じずつまらない。 ソニプラ(→プラザ) プラザってあまりに一般名詞すぎて店の名前と思えない。未だにソニーの店だからおしゃれ、という感覚が残ってる。 荒川線(→東京さくらトラム) 東京さくらトラムって呼んでる人一人も見たことがない。せめてさくらトラムだけならまだ呼んでもらえる可能性もあっただろうに。 碑文谷のダイエー(→イオンスタイル) あまりにダイエーとしての存在感が強かったから未だにダイエーって呼んじゃう。
妻から、「なるほど」は失礼にあたるから、つかうなと言われた。 「なるほど、たしかにそれはわかる、しかし・・・」と続けられそうで、上から目線と感じることが一般的なのだという。 自分としては、反論するつもりはまったくなく、「積極的同意」の意味でつかっていた。 「そうなのですね」や「はい」は、どうにも受け身な気がして、自然とそれが出ない。 反論する気持ちのない積極的同意、をしたいとき、どう言えばいい?? あと、ひろまっているけど、じつは上から目線言葉、他にもあったら教えてほしい。たぶん知らずに使ってる。
ロシア語の固有名詞、カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね! ヴ音の表記揺れこれは純粋に日本語内部の問題だから一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね! 強勢の棒引きをめぐる表記揺れ強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラジミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ! ыの表記揺れыは日本語では書き表せない音なんだ!
濁点を落とした書き方をする人ってなんなの? 英語の発音がどうとかは置いておいて、もう日本語として定着してるはずなのに純粋に疑問。 ドラッグ→ドラックと書いてる人も見かけたけど、こういうのって単なる打ち間違いではなく何回も繰り返しているので確信を持って使っているみたい。 昔アパレル関係の業界に少しだけいたときは、バッグをバックと書く人が異様に多かった。自分が知らないだけであれはもうそういう文化なの? あとはビッグサイト→ビックサイトもイライラする。これはビックカメラが悪い。 ともかく、このような使い方をしている人の頭の中でどういう処理が行われているかを知りたいです。理由があるのかな。 ※追記 たくさんのご意見どうもありがとう。とても興味深く読んでいます。帰ってきたらブクマいっぱいついててびっくりしちゃった。 のですが、 語尾の濁音が日本語にない発音で言いづらいから清音になってしまう(逆もしか
紙とか使って説明するなら書けばいいので誤解はありえない。 問題は口頭で説明するとき。 おれは 重い「を」と軽い「お」 と説明する。 そしてこれはどうやら栃木県民にしか通じないらしい。 東京にきて10年目にして知った衝撃だった。 他の人にきくと、 「を」は「うぉ」、「お」は「お」 と発音することで呼び分けてるらしい。 おれにとっては 「を」も「お」も「お」 なのだ。違和感しかない。 【追記】 思ったよりも伸びて焦った。 そしてたくさんの「お」と「を」をありがとう。 重い「を」と軽い「お」がおれの30年の人生で絶対の基準たった。 「を」に「うぉ(wo)」なんて発音が存在することは衝撃だった。 そしてこれを知った今でもいおれはそんな発音できないし、重い「を」と軽い「お」は子どもにも伝えるだろう。 これはおれの譲れない価値観だ。 でも、こんなにも多くの人の「お」と「を」に出会えたのはすごく嬉しい。
関西弁の「ですやん・ますやん」という言葉が標準語にはないことに今気づいた。 関東の人は 「それちくわですやん」 「さっき言いましたやん」 「もう食べてますやん」 って言いたい時なんて言う? タメ語なら「じゃん」を使うことくらいはわかるけど、敬語の場合は・・・
「ごめんなさい」の方ではなくて、無いから表現しにくいけどしいて言うのなら「ご愁傷様」の方。相手に共感して、残念だと思うという気持ちをあらゆる状況で一言で伝えられるフレーズね。 ご愁傷様だと重すぎるしどうも葬式の時に使う言葉という印象が強すぎて使いにくい。もっとライトに使えて共感してる感のある言葉がいまいちピンと来ない。 残念だったね かな?が近いと思うけど万能ではないし、なんかこちらがそれで会話を打ち止めする様な「わかった、残念だね。はいこの話題はこれで終わり」感がして冷たくかんじる。なので追加で何か言う必要がある(様に自分は感じる)。 ブラジャーの紐が切れて困ってる人に対して第一声として「I'm sorry.」は使えるが、日本語だと それは残念だね。 だけだと「気持ちはわかったが、後は自分でやれよ」という感じが出るので「俺の貸そうか?」など追加で言う必要がある。さらに言うのならブラジャー
友人が死んだ。母からメールが来たとき、「彼の分まで生きて」などと言われた。全く意味がわからなかったし、失意の息子を励ます言葉としては意味が通らないように感じられた。 「の分まで生きて」と言う言葉がフィクションでよく登場することは知っていた。だが、それはその物語の中で、意味が通る状況で使われていると思っていた。現実で使われる場合でも、やはり意味が通らなければならないと思っていた。「こんにちは」のような、文字通りの意味が失われている言葉とは違うだろう。 母に意味を聞いたら、「よく言うから言ったのだ」と言う。つまり、意味なんかなかったのだ。母にとって、言葉とは、似た状況でよく言われる言葉を言うゲームに過ぎないのだろう。 似たことは当時付き合っていた女性との間でもあった。私は彼女のある発言をとって「偽善だ」と言った。そうしたら彼女が言い返したことは「でも、こう言う時はこう言うんだよ」と言う。つまり
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