後主伝注に見える蜀記に記載されている、蜀滅亡時の統計は、多くの三国志ファンに、蜀の疲弊を裏付けるものとして扱われてきた。 果たして本当にそうなのだろうか? そうしたことについて考えたツイートをまとめた
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後主伝注に見える蜀記に記載されている、蜀滅亡時の統計は、多くの三国志ファンに、蜀の疲弊を裏付けるものとして扱われてきた。 果たして本当にそうなのだろうか? そうしたことについて考えたツイートをまとめた
shinshinohara @ShinShinohara 「農家はいつも虐げられてきた」このフレーズは必ずしも正しくない。明治維新以後に農民が特に苦しい生活を強いられ、このときの体験が江戸時代にまでさかのぼって「江戸時代でも農家は貧しく搾取されていたに違いない」というイメージが定着した可能性がある。 2013-01-24 12:17:55 shinshinohara @ShinShinohara 江戸時代には五公五民など、収穫の半分も租税で持って行かれているのだから重税にあえいでいる、というイメージがある。しかし、このときの計算根拠は江戸初期の収穫量なので、江戸時代に農業技術が発達し収量が上がった結果、実際の租税負担の割合は、実態としてずっと小さかったと言われている。 2013-01-24 12:20:18 shinshinohara @ShinShinohara しかし、明治維新で農家の
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