「海外のわけわからないものを紹介する/論じるより、(そのリソースを使って)身近のサブカルチャーを褒めるべきだ」という主張が、さまざまなジャンルにおいてなされることがある。 しかし、私は昔からこうした考えにはひどく懐疑的だ。 そもそも私たちの知識や見識はひどく偏狭なものである。輸入の絶えた文化が自閉して滅びるということは、少し調べてみればわかるはずだし、とすれば、言語、国家、そして習俗といった障壁に阻まれている海外作品という「他者」*1と共存するのがまず先にあるべきだろう。 身近なサブカルチャーは――身近であるがゆえに――本質的に同時代において閉じられたものである。それらをきちんと論じ、外部へと開いていく作業が重要なのは言うまでもないが、それは自ら資格があると任じる者が適切な方法をもって行なえばよいことであり、海外作品を「わけのわからないもの」として遠ざけ、軽視してよい理由にはならない。あえ