・第一段階 目標をしっかり見定め、成功へと一直線に進んでいく。 ・第二段階 成功した結果、「頼れる人」という評判を得る。「あの人に任せておけば大丈夫」と言われ、どんどん多様な仕事を振られるようになる。 ・第三段階 やる事が増えすぎて、時間とエネルギーがどんどん拡散されていく。疲れるばかりですべてが中途半端になる。 ・第四段階 本当にやるべきことができなくなる。成功したせいで、自分を成功に導いてくれた方向性を見失ってしまう。 上記は「成功のパラドックス」と呼ばれるものです。優秀な人ほどこの状態に陥りやすいそうです。 せっかく成功を収めたのに、その成功のせいで自分がどんどん失敗の道に引っ張られて、奈落に落ちて行ってしまう。なんとも奇妙な話ではありますが、上記のようになっている人が存在する事は容易に想像できてしまいます。 確かに、成功すれば「自分はもっとできる」とか高みを望むものだし、「あの人は
本日今年最初のアルバイトに来ています。 大雪のせいで全くアルバイトができていなかったのですが、やっと出勤できました。 でも上越は、また今晩から雪が降るそうです。 もう勘弁してくれ・・・。来月のお給料が心配・・・。 さて、昨日は久しぶりに外食をしました。 最近は外に出ることができていなかったので、買いだめしていた食材で自炊の日々でした。 しかし、アパートの前の除雪が入り、車が出せるようになりました。 本当にありがたい、、、。 ついでにドンキホーテに買い物にもいったり。 外に出られることのありがたさを感じました。 普段当たり前と思ってることでも、制限されることで当たり前のこともありがたく感じる事がたまにありますが まさか、「外に出る事」というくくりでその実感が訪れると思っていませんでした。 その他にも郵便を頼むこと、駐車をすること等本当に普段当たり前のようにできていることができませんでした。
上越にいる友人のSNSの様子を見ていると本当に恐ろしいです。雪で歩くことすらままならない状態になっているようです。神戸は快晴なのに、、、。明後日帰るのか、、、。 さて、日本では三箇日と言われ3日までお正月ですが、松村家では親せきと会ってお正月っぽいことをするのは2日まで。昨日いとこが返ってから上越にいるときと何ら変わらずパソコンとにらめっこです。 今年は帰省する人も少なく、東京駅も大阪駅も人がかなり少ないようです。政府が「静かな年末年始をお願いします」というお願いをするだけで、日本人はこうして動かなくなる。日本人のすごい所ですよね。僕も公共交通機関を使うのはちょっと気が引けたので車で帰省しています。 去年の2月ぐらいからコロナの騒動が始まったので来月で1年ぐらいが立つんですね。3月の中旬に「ここが一番の踏ん張りどころ」と言われて国民は頑張りましたが、コロナはなかなか収まってくれません。今年
今日は、今年最後の連携校でした。非常勤講師としては来年度からもお世話になりますが、学校支援プロジェクトとしては最後でした。 今日は、球技大会ということで、審判をするつもりでしたが、生徒がほとんどやってくれていたので僕はただ応援しに行っただけという形になりました。 連携としては、今まで2年生のクラスに入らせていただいていたので、そのクラスの応援をしていました。でも、そこで事件が起こりました。 ある女の子が立て続けにミスをして、段々と機嫌が悪くなっていっているのはわかっていたのですが、彼女がやがて舌打ちや暴言を吐くようになってしまいました。 それを見た対戦相手の3年生が激怒。「暴言禁止」という諸注意が最初にあった事もあり、「先生、暴言はかれたんだけど」とその後は雰囲気の悪いまま試合が進みました。 終わった後もおさまる様子はなく、むしろ3年生は集団で2年生を威圧し、2年生も言い返す。 そんな状態
今、2つの研究をしていますが、そのうちの一つは「体育授業での子どもたちによるルール変更」についての研究です。 「ルールは守るためにある」と言われたりもしますが、本当にどうでしょうか? もちろん積極的に「破る」必要はありませんが、都合の悪いルールがあるならば、みんなで合意形成していきながら変えていくべきだと思いませんか? 日本人は圧倒的にその経験が少ない。 学校教育の中でそのようなことができるのは社会科や生徒会活動があげられます。 しかし、社会科の模擬議会のようなものでは実際に決まったことを体験することができない。 生徒会活動はそれができますが、サイクルが大きすぎて体験したことを踏まえて改良することができない。 でも、体育はできるんです。 そもそも学校体育は公式にスポーツをしているわけではないんで、ルールなんて都合の良いように変えていいはずなんです。 まずやってみる。ダメなところを変えてみる
最近、「イライラする事少なくなったよね?」と言われます。 まぁそもそも性格上あまりイライラすることは無い人間だと思うのですが、イライラしたり怒ったりすることの生産性がないことに気付き始めたという事はもしかしたらあるのかもしれません。 西川先生がこんなことを言っていました。 「相手との議論に勝つには、相手を感情的にさせればいい」 上司の二つの議論がぶつかっていたとして、部下である自分はどちらかに従う必要がある。 その議論を見ていて、ひとりは淡々と冷静に、自分の意見を言っているのに対して、もう片方の人は感情的になって、何なら声量で相手を押さえつけようとしている。 さて、どちらの意見を聴きますか??? という話見たいです。 ちなみに、人間が感情的になるのは、自分が劣勢になったと自覚した時って誰かがってたような、、、 感情的にさせるってことは、自分が優位になるためにも有効な事だったんですね。 まぁ
人生で初めてかっぱ寿司にいきました。 今住んでいるアパートから一番近い回転ずしチェーンはかっぱ寿司なんですが、いつもはま寿司、魚べい、くら寿司に行きます。 なぜかっぱ寿司を避けてきたのか。 それは 「かっぱ寿司はあまりおいしくない」 という根拠のない口コミを信じて、なぜか避けてきました。 でも、ある時 「なんでおいしくないって言われてる回転ずしの全国チェーンがいまだに残ってるんや?ほんまにおいしくないんか?」 とふと思い、一回行ってみたいなと思い、ゼミ室にいたゼミ生を誘っていきました。 行ってみると、休日のお昼にも関わらずお店はすいていて、、、 やっぱ口コミ通りなんか? おいしくないからか??? そう思って、期待値を下げながらくら寿司のお寿司を食べてみると、、、 いや、別においしいやん。 ネタによっては他の回転ずしチェーンよりもおいしいのではないか? そう感じる物もありました。 僕がかっぱ
今日は、ひっさびさにチョーク&トークの授業をしました。 流れ的には 5分 授業の流れの説明 ↓ 20分 講義 ↓ 15分 勉強 ↓ 5分 小テスト ↓ 5分 まとめ といった感じで進めました。 今日の授業の目標は、「全員が最後の小テストで満点を取る」こと。 小テストの内容は今日の授業の内容からしか出さない事、そんなに難しい問題は出さない事、勉強の時間は全員が満点を取れるように活動することを伝え、授業に臨みました。 自分の思うとおりに授業を進めることが出来たのですが、、、 チョーク&トークの授業ってやっぱり何か違う。 いつも『学び合い』の生徒の姿を見ているか分かりませんが、寝ている生徒がいたり、違う教科のワークをしている人がいたり、鬼滅の刃の絵を書いている生徒がいたり、、、 そういった生徒を当てながら授業は進めましたが、やはりどこかいつものいきいき感がなくなっている気がしました。 その後の1
最近、N校がS校を発表したり、世間のオンラインに対する抵抗がなくなってきたり(もはや身近なものになったともいえるのではないでしょうか)、オンライン授業やオンデマンドの授業も非常に充実してきたりと、従来の学校よりも効率のいい学習スタイルが確立されるようになってきています。 別のゼミの院生も、オンラインで高校生と大学生をつないで小論文の書き方の練習をしたりと校種を超えての交流も盛んになってきました。 しかし、普通の公立学校は文科省や各自治体が管轄し、長い歴史と共に今のスタイルが確立されてきたため、世間の変化に対応できずいまだwi-fiの完備すらされていない学校も多くあります。 私立の学校の学費もだんだんと安価になってきていることもあり、このままでは公立の学校は私立の学校に淘汰されてしまうのではないかという話もよぎってきます。 このまま、公立の学校はやられてしまうのでしょうか、、、。 僕はそんな
自分は現在居酒屋でアルバイトをしています。 そこの店長が変わった人で、、、。 変わったといってもいい方の変わってるですよ?(笑) 何が変わってるかって、人が好きすぎます。 学校で勉強してたらいきなり「飲もう」と電話がかかってきたり、今はコロナの関係で自粛になってしまっていますが月に1回はお店で飲み会があったり、、、 結構ハチャメチャな時もあるんですが、やっぱり店長のその人間が好きという人柄にみんな惹かれて飲み会に行っちゃいます。 バイト終わりにも飲みに行くことが多いのですが、それは店長が東京で修業をしていた時のお店にルーツがあるみたいです。 店長は若いころ、東京の下北沢の料亭で修業をしていました。 体罰とかハラスメントとか言う言葉すらない時代だったのでとても厳しい環境だったそうですが、その中で店長が修業を続けていたのはやはり人間関係によるところが要因だったそうです。 なぜ人間関係が築かれて
友人と一緒に焼き肉を食べに行きました。 その中には一緒の連携校に言っている友人もいたのですが、彼女去年小学校の連携に行ったうえで 「来年も高校の連携に行きたい。なんなら現場も高校行きたい」 って言ってました。 連携が楽しいんやろうなぁ、、、 良い事ですね! しかし、その後の彼女の一言は全国の多くの教員志望者が言っているんだろうなと容易に予想することができました。 「でも、部活が無ければね。」 西川研究室には部活LOVEみないなゼミ生もいるのですが、そのゼミ生ですら部活動の顧問にはなりたくないと言っていました。 こんな教職志望者は全国にたくさんいると思います。 小学校に流れる人ならまだいいんですが、それが原因で教師になりたくない人、また教師を辞める人がたくさんでてしまっています。 このままじゃ、先生いなくなりますよね、、、?
先日、アルバイト先の居酒屋の店長が、間違えてお店のグループラインに 「生タコ足1本、大根1本、レタス1束・・・お願いします」 といった注文のLINEが流れてきました。 「あぁ、店長流すところ間違えてるな、、、」 そう思って僕はそのLINEをスルーしました。 すると次の日 「俺間違えてたね…!誰か教えてよ~」 といったLINEが店長から送られてきました。 確かに間違えた店長も悪かったのかもしれませんが、それに気づいておきながら返信のLINEを流さなかった僕も一言「間違えてますよ!」とLINEを送ることが出来ればこれは問題にはなっていませんでした。 僕は何でその一言が言えなかったのか。 それは 「教えてあげた方がいいと思うんやけど、めんどくさいなぁ…。まぁ、誰かが教えてるやろ」 と思ったことが原因です。 多分、全員が同じことを思ったのだと思います。 本当に猛省しています。 だって、これって自分
前回、こんなブログを書きました。 nbnl-takashi.hatenablog.com このクラスで先日『学び合い』をしました。 今度は、全員達成はできませんでしたが、彼らの動きが見違えるように変わりました。 いつも寝ている生徒が課題に積極的に取り組み、さらにその子は寝ている友達を起こして最後まで課題を終わらせることが出来ていました。 テストが終わった日の最初の授業にも関わらず、みんな頑張っているのを見て関心しっぱなしでした。 課題の内容についても深く議論していましたし、僕が一人で黒板を使ってやる授業なんかよりもよっぽど彼らに任せてしまった方がいいんだなと実感しました。 今回は、課題の内容を少し分かりやすくしました。 具体的には「保険サービスについて、3つ以上上げて、それぞれ説明しなさい」から、「かかりつけ医について、200字程度で説明しなさい」って感じの課題にしました。 前回は、課題の
最近、サラタメさんのYoutubeをよく見ています。 www.youtube.com サラタメさんは言うなれば”書籍解説系Youtuber”。 本が苦手な僕にとって神様みたいな存在です。 見始めたきっかけは、西川先生に「イノベーションのジレンマを読みな」と言われたので、素直にゼミ生から借りて読んだんですが、出てくる用語が難しすぎて読めない。 「例えば・・・」が難しいなんて、、、。 難しい例えなんて例えの意味があるのか、、、 まぁそれはいいや。 でも、そこで「こんな時代やから解説してくれてる人ぐらいおるんやろな」と考え、Youtubeでイノベーションのジレンマと検索をかけると出てきました。 見てみるとやっぱり分かりやすいんですよね。 youtu.be まぁ内容はいいとして、本を読まずしてもこれを聞けばだいたいのことは分かると思います。 まぁ一言で言えば、「大企業は新規企業には勝てない」って感
「長時間集中できない、、、」 「本を読んでいても長続きしない、、、」 そんな悩みがあり、この本を読んでみました。 自分を操る超集中力 メンタリストDaiGo https://www.amazon.co.jp/dp/4761271760/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_WuMDFb14ZN9X1 西川先生には鼻で笑われ、同じゼミ室の後ろの席の奴には「安直やな、、、(笑)」と言われてしまいましたが、実際読み進めてみると、読んでよかったと思いました。 人間には「ウィルパワー」なるものがあるそうです。 ウィルパワーとは、前頭葉の体力のようなもので、特徴として 1.ウィルパワーの総量には限りがあり、集中力を使う事によって消耗していく 2.ウィルパワーの出どころは1つしかない の2つがあります。 ちなみに、人間の前頭葉は集中力の源です。 1について、人間は1日に使えるウィルパワーの量、すなわち
「部活動がブラックだ!」と言われ始めて結構時間が経ちましたよね。 文科省は、希望しない教員が土日に部活動に従事しないように令和5年度から段階的に取り組んでいくという事を先日の通知でも出しました。 その土日は部活動をどうするのかというと、社会体育に預けます。 「外部指導員は勝利至上主義になりがちだ!」 「外部に任せて教育的な観点はどうするんだ!」 そうやって言う先生方も多いと思います。 でも、よくよく考えると、部活動を外部に委託して、その外部の団体が勝利至上主義だったとしても、子どもが「勝てるチームに入りたい」と望んで入ったなら、むしろ自然な事ですよね? 逆に、現状の部活動って、「勝てるチームでスポーツがしたい」という子どもに対しても「ただスポーツを趣味として楽しみたい」という子どもに対しても「スポーツを通じて友達を増やしたい」という子どもに対しても、教育を擦り付けています。 いうなれば、教
連携校の先生にすごい人がいます。 なんと、競技の世界大会に出た方がいるんです。 国体選手とかは何人か見たことがありますが、世界大会って規模が違いすぎて、、、 そんな方がなんで先生になったかはさておき 実は、そんな先生でも部活動の顧問を持っていないんです。 「世界大会に出た人が部活動の顧問を持ってないなんて、新潟は逆に最先端やな、、、」 と、同じ連携校に行っている人も言っていましたが、それは新潟の人事ではなく、本人の希望だそうです。 なぜ希望して顧問を持たないようになったかと聞くと、それは結婚して子どもが生まれ、そんな時間はないからだそうです。 もちろん、最初は競技の顧問を持っていましたが、そんな人が顧問になると国体選手の合宿とか間違いなくいろんな役員を任されてしまいます。 お子さんはまだ小さく、旦那さんも先生をされているそうで早く家に帰らないといけません。 だから、指導者がしたくでもできな
父と母が連休で新潟に遊びに決ました。 自分は高校の時は香川県、大学は石川県、大学院は新潟県と高校から神戸を離れて暮らしています。 それに便乗して自分の家族は僕の引っ越し先に遊びに来ています。 四国、北陸ともに、家族みんな初上陸だったそうで、いつも旅行に来ては楽しそうにしていました。 高校の時は別ですが、石川、新潟にいる時は僕は運転手兼ガイドさん。 家族に第2、第3、第4の故郷を案内しました。 今回、父と母が帰る時に父が自分にお小遣いをくれたのですが、今回のお小遣いはなぜかいつもより重みがありました。 1日目に父と母と恋人となぜか友達も1人いたのですが、5人で居酒屋さんにいきました。 そこで、その友達がまぁ自分が聞けないようなことをズバズバと聞くんです。 「お父さんとお母さんはどこで出会ってどうやって恋に発展したんですか?」 とか。 意外と息子がいる前でも父と母は友達の質問に普通に答えていた
最近、"頑張る”って言葉に違和感を感じています。 頑張るとはgoo辞書で調べると 1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」 2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」 3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」 と書かれていました。 頑張るって我慢することなのか? 我を張ることなのか? 自分は5歳から大学まで野球を続けてきました。 高校・大学は全国を狙える(なんなら常連ぐらいの)チームに所属し、自分の実力のなさを痛感した自分は人より練習をしてきました。 大学ではその努力が認められて、最後の大会ではベンチに入ることが出来ました。 でも、その過程で"我慢する”ということはあまりなかったように思います。 確かに朝早くに起きて練習したり人より長く練習場に残ったりはしていましたが、我慢している
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