呉清源『以文会友』に、呉と小田秀人の世界紅卍字会訪問が詳しく書かれていた。 第五局が始まる前の昭和十七年三月初め、私は小田秀人さんとともに、宗教上の用事でおよそ二か月にわたり、中国大陸と朝鮮を旅行した。旅行のおもな目的は大陸の紅卍を訪問し、健在ならば「璽宇」もかつての大本教のように、紅卍と宗教上の交流を求めようというものであった。(略) 当時、北京には青木一男先生が大臣をしている興亜院という日本の行政府の出先機関があり、私たちは、その出先機関で大陸における宗教の動向を調査、監督する仕事を担当している志智嘉九郎を訪ねた。志智氏は橋本(宇太郎)さんと親しく、戦後、関西棋院の理事を務めたこともある人で、私たちを快く迎えてくれた。彼は紅卍についていろいろたずね、私たちはそれに対してていねいに説明を加えた。 翌日、私たちは志智氏を伴なって紅卍北京総院を訪れ、世界紅卍会の最長老である許蘭洲氏に面会して