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ブックマーク / blog.tinect.jp (75)

  • 「会議でトンチンカンな発言をするベテランエンジニア」の、深い洞察。

    まだ駆け出しの頃に私が働いていた会社で、会議やミーティングで「開口一番見当違いのことを言う人」がいました。 その人のことを、仮にYさんと呼びます。 Yさんはベテランのエンジニアで、その時点で既に枯れていたある技術について、極めて深い知見を持った人でした。 一方新しい技術についてはそれ程知識がなく、ご自分でも「技術知識をアップデートするのが大変」というようなことをちょくちょくお話されていました。 気さくで良く笑う方で、若手にも気軽に話しかけられていました。 私も何回か缶コーヒーをおごってもらったことがあります。 Yさんを慕っている人も多い一方、「あの人距離が近すぎて苦手」という人もそこそこの数いた記憶があります。 人見知り多かったんですよ、その会社。パーソナルスペース激広の人がやたらたくさんいました。 で、当時の私には、Yさんについて一つ「不思議だなー」と思っていたことがありまして。 何かし

    「会議でトンチンカンな発言をするベテランエンジニア」の、深い洞察。
  • 急にリモートワークが始まった時起きる、キツい変化を目の当たりにしている。

    皆さんこんにちは、しんざきです。 最近は自宅にこもって子どもたちとアナログゲーム三昧をしたり、イース9をクリアして感動してたりしました。 イース9めっちゃ面白かったです。 ところでしんざきは、仕事で中間管理職的なことをしています。 皆さんご存知の通り、社会は色々とエラいことになっていまして、私の職場にも先々週くらいからその波が押し寄せてきました。 具体的に言うと出社を原則的には避けることになり、ほぼ社員全員が在宅勤務をする形になりました。 取り敢えず大急ぎでwebミーティングやチャットアプリの整備が行われて、各人自宅で最低限の連絡は出来る体制になりました。 あまり細かいことは書けないんですが、諸事情でリモート環境の整備具合にかなりのムラがあり、リモートでもそれ程困らずに仕事が出来る人と、何をすればいいんだ状態になっている人がいます。 まだなかなか、「全員が会社と同じ仕事をリモートで出来るよ

    急にリモートワークが始まった時起きる、キツい変化を目の当たりにしている。
  • 「仕事で成長」って、本当に必要ですか?

    何か月か前の話で申し訳ないんですけど、「まなめはうす」のまなめさんっていう、コーラばっかり飲んでる変な人がこんな記事書いてたんです。 部下の教育に失敗した話 そう思う私だからこそ、部下には学ぶ時間さえ与えれば成長できると思って、業務を進めなくてはいけない立場でありながらも、可能な限り時間をつくってあげたんですよ。 部下になった時点で数か月後には別のPJに異動することも決まってたこともあって、そのための準備とかスキルアップとか必要と思って。 結論から言うと、私が作ってあげた時間は無駄に終わり、後日人からも、もっと仕事をふって欲しかったと言われたのですが。 これ、実は私も同じようなことしちゃった、正確にはしかけちゃった経験があるんですよ。 前の会社の時の話なんですけどね。 その会社って、あるプロジェクトが終わると即他のプロジェクトにアサインされて、「隙間の時間」的なものが当に全然なかったん

    「仕事で成長」って、本当に必要ですか?
  • 「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか

    ちょっと前の話なんですが、職場にて、わたしとはまた別のチームのリーダーが辞めてしまって、とても惜しいなーという気分になっています。 実力がある人でした。色んな知識を持っていて、その知識を応用するやり方も知っていて、課題を見つければその課題を解決する方法を、しかも実現可能なやり方で考えられる人でした。 ただ、私が見る限り、その人にはたった一つだけ、非常に大きな欠点があって。 それは、彼が、 「攻撃の手段としてしか質問をしない人」だった、ということなのです。 まず前提として。 来であれば、「質問」というのは、何か自分が知らないことを教えてもらう、あるいは自分が知っていることと相手が知っていることを合わせて、新しい知見を導くために使うものです。 良い質問があると話が進みますし、皆の知見が深まります。 だから質問は大事ですし、気軽に質問が出来る環境作りも非常に重要です。 その辺の話については以前

    「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか
    wasai
    wasai 2020/02/12
    あー、これ身近にいる人や
  • これじゃあ国が滅びるよ──『韓国 行き過ぎた資本主義』を読んで

    年がら年じゅうブログなどを書き続けている私だが、私なりにメインテーマみたいなものを持っている。 2013年頃まで、そのメインテーマは「自己愛」だったが、2014年頃から「急激な社会の進歩」に変わった。 たとえば2019年の1月に書いた『日の破局的な少子化と、急ぎすぎた近代化』というブログ記事もそうしたテーマに沿ったもので、一日あたりのPV数の記録を塗り替えるほど、たくさんの人に読まれた。 日の破局的な少子化と、急ぎすぎた近代化 -シロクマの屑籠 日も東アジアの新興国も、かつては近代化や経済発展を旗印に、つまり、欧米諸国のようになることを目標としてきた。ほかのアジアやアフリカの途上国も同様だろう。 しかし、急激な近代化とは、いったいどういうものだったのか? 急激に近代化し、経済発展を遂げた国々がたどり着いた破局的な人口減少を目の当たりにした時、長い時間をかけてたくさんの植民地をい荒ら

    これじゃあ国が滅びるよ──『韓国 行き過ぎた資本主義』を読んで
  • 学力も体力もカネで買う時代

    建設業界の人手不足の話を聞くようになって久しい。 帝国データバンクの2014年調査では、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。 飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。 建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良い――そういう年配者の声を聞いたこともある。 昭和時代の頃、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたことを思うと、そういう年配者は「肉体労働なんて誰にでもできる」とみなしているのかもしれない。 しかし、そういう考え方は時代錯誤もいいところだ。 建設業のハイテク化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせるほどの体力を持った若者は、今どれぐらい存在しているだろうか? 持続的に身体を動かせるほどの

    学力も体力もカネで買う時代
  • ホントのところ「皆がやらない面倒な仕事を進んでやって、それが評価される」には、そこそこテクニックが必要。

    ホーム > ホントのところ「皆がやらない面倒な仕事を進んでやって、それが評価される」には、そこそこテクニックが必要。 身も蓋もない話をします。 先日、fujiponさんが書かれた、こちらの記事を拝読しました。 結局「とにかく面倒くさいことを進んでやる」人が、組織で評価される。 「そんなに働きたくはないけれど、肩身が狭い思いをするのは嫌だなあ」というのが僕の音なのですが、そんな「いいとこどり」は難しいのです。 「権利」が整備されたとはいうけれど、まともに仕事もせずに自分の権利ばかり主張する人がうまくやっていけるはずもありません。 『働かない技術』というの紹介を主軸にした内容で、大変分かりやすかったですし、面白そうだったので私もポチってみました。 まだ届いてませんが。(漫画以外の電子書籍ではなく実物で欲しい派) fujiponさんの所感についても全体的に首肯するところなのですが、一点だ

    ホントのところ「皆がやらない面倒な仕事を進んでやって、それが評価される」には、そこそこテクニックが必要。
  • なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。

    ちょっとまえ、面白い記事をツイッターで拝見した。 企業の採用担当が、面接時に見ているポイントを端的に表現したものだ。 曰く、「事実と意見を分けて説明できるかは圧倒的に重要で、これができない人はかなり厳しい。」とのこと。 クローズな勉強会などで話をしたら好評だったのでブログに書きました / 面接時に見ているポイント – VOYAGE GROUP techlog https://t.co/64ehNAYLAi — Masanori KOGA (@makoga) October 29, 2019 彼がこれを重視する理由としては 「事実と意見を分けて説明するのがうまい人が書いた障害報告書は読みやすい」とある。 確かに読みやすい文章を書く人は、知的能力が高い事が多いので、採用の精度は良いのではないかと推測する。 ただ、この文章を読んで感じるのは、 「なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるの

    なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。
  • 「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話

    昔所属していたSI会社で、「職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わったことがあります。 いや、実際にそういうプロジェクト名だった訳ではなくて、確か 「キャリア再考プロジェクト」とか「スキルリデザインプロジェクト」とか、なんかそんなかっこいい名前だったような気がするんですが、 一緒に関わった先輩が言った「これ、やってることは職場で居場所がないおじさんのサルベージだよな…」という言葉が強く印象に残っていて、私の中でプロジェクト名が上書き保存されました。 まあその先輩、「リストラ前のアリバイ作りじゃねーの」とかひどいことも言ってたんですが。 どんなことをやったかというと、要するに人事部のサポートみたいな話でして、 ・所持スキルが案件に合わず、なかなかプロジェクトにアサイン出来ない人 ・プロジェクト内でスキル不足の為タスクが振れず、PMから扱いにくいとアラートが出ている人 ・要は社内

    「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話
  • 「職位が高い人間ほど、技術的な実務から遠ざかってしまう」のを解消しようとして、失敗した時の話。

    どうも、しんざきです。 実を言うと先月・先々月と、プロジェクトが割と生死をさまようレベルで炎上しておりまして、夢のデスマ王国という風情だったんですが、お蔭様で今月はだいぶ落ち着いてきまして、若干人間的な生活が出来る状況になってきました。 デスマ程健康に悪いものはこの世に存在しないと思います。 失敗した時の話をします。 十年近く前の話ですが、システム開発の会社に勤めていたことがあります。 それ程有名な会社ではないのですが、一応独立系で、社員は4桁に届かないくらいで、SI案件とSES案件が大体半々くらい、自社業務と客先常駐も大体半々くらいという、まあよくある「昔ながらのシステム開発会社」だったと思います。 私はその会社で、主に金融関連のプロジェクトを担当する部署に所属していました。 ぬるい案件もあれば地獄案件もあったのですが、まあそれはいずれ、ほとぼりが冷めた頃に書こうと思います。 某大きな銀

    「職位が高い人間ほど、技術的な実務から遠ざかってしまう」のを解消しようとして、失敗した時の話。
  • 仕事ができる人ほど、できない人に優しく振る舞うのは、マネジメントの定石。

    昔、ある会社の営業MTGで、忘れられないやりとりがあった。 少々詳しく描写すると、出席者は以下の通り。 ・役員(部長) ・リーダー ・メンバー 7名のメンバーの能力は各々、高、高、中、中、中、中、低。 二人ぐらい優秀な人物がいて、一人「できない人」が混ざっているイメージだ。 また、役員とリーダーは切れ者で、部下の報告の論理矛盾やダメな点にはすぐに気づく。 さて、こんな状況で来期の「営業計画」について、MTGが開催された。このMTGの議長はリーダーだ。 リーダーはテキパキと議事を進める。 来期の営業部の方針に始まり、具体的な目標設定、個人の役割など、メンバーへの指示も簡潔でわかりやすい。 ここまではなんの問題もなかった。 だが、今年一年を振り返っての営業報告が始まると、雰囲気が変わった。 無理もない。メンバーの一人ひとりが、自分の過去の実績と、これからの具体的行動を発表しているのだから、緊張

    仕事ができる人ほど、できない人に優しく振る舞うのは、マネジメントの定石。
  • Googleの社員食堂に感じた、格差社会のリアル。

    つい先日、Googleランチに行ってきた。 Googleはオフィス内に3つの堂があり、その全てを無料で社員は利用する事ができる。そして社員に知り合いがいると、その堂を外部の人間も利用できるのだ。 <参考 Googleの社員堂行ってきた! – はらぺこグリズリーの料理ブログ > あの有名なGoogleの中に潜入できる!こんなワクワクする展開もそうはあるまい。 というわけでGoogle社員に聞いた色々な話を織り交ぜつつ、現代のグローバル企業の深淵に迫っていこう。 能力不足でクビになった人が1人もいないGoogle支社 六木ヒルズの43階にあるGoogle堂での光景は異様としかいいようがない。 雰囲気を一言で表せば、まるで外国の大学のカフェテリアのようである。 そこに並ぶのは「ホテルのビュッフェかい!」といいたくなるような色とりどりの品目。全部で20種類ぐらいはあったんじゃないだ

    Googleの社員食堂に感じた、格差社会のリアル。
  • そもそも、教育の専門家でもない先輩社員たちに新人教育を丸投げしてしまうこと自体、間違ってません?

    この記事で書きたいことは、大筋下記の3点です。 ・そもそも、部下や後輩を「ちゃんと育てられる」人など滅多にいない ・きちんとした予算も評価もなしに、新人育成を個人任せにするのは会社の重大な錯誤 ・どうしても新人教育の予算がちゃんと取れないのであれば、せめて新人教育をきちんと定型化して誰でも出来るようにする工数をかけるべき よろしくお願いします。 ということで、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 先日、megamouthさんのこちらの記事を拝見しました。 底辺IT企業は『書けない』プログラマとどう向き合ってきたか 最初のほうは優しく教えていたと思う。話したりハンズオンしている時に、あっこの子、変数のことわかってないな、と感じたら、ホワイトボードを持ち出してきて、例の”x”と書いた箱の絵に矢印を引いて、値が入っている図を書いて、「わかった?」「あ、はい

    そもそも、教育の専門家でもない先輩社員たちに新人教育を丸投げしてしまうこと自体、間違ってません?
  • 部下が報連相しない理由は、上司に報告・連絡・相談するメリットがなにも無いから。 | Books&Apps

    ちょくちょく自省します。 皆さん、報連相してますか?ないし、されてますか?新入社員の時に口酸っぱく言われましたよね、報連相。ポパイかよって感じでした。 例えば、自分のタスクの進捗状況、あるいは進捗の不調を上司に共有することは大事です。 リスクを早め早めに共有することも重要ですし、課題について手が打てる内に上司相談することも大変重要です。 「進捗ダメです」なら、ちゃんと「進捗ダメです」と言わないといけません。 リスクを自分ひとりで抱えていることは、その人にとっての不利益にもなります。 リスクを報告していれば「言ったやん」と言えるところを、リスクを共有していなければ「なんでこんなことになるまで一人で抱えこんでたんや」という話になる。リスクを報告することは、責任を移転することでもある。 だから、報連相は「プロジェクトの為」でもなく「会社の為」でもなく、なにより「自分の為」である。 うん、いや、

    部下が報連相しない理由は、上司に報告・連絡・相談するメリットがなにも無いから。 | Books&Apps
  • 日本でリストラされた技術者が台湾企業で大活躍しているのを見て、本気で恐怖を感じた。

    20代や30代の人にはほとんど印象がないかも知れない。 パソコン黎明期の時代、すなわち1990年代後半から2000年代前半にかけて。 この頃に多少なりともパソコンのヘビーユーザーであった40代以上には、台湾製のデバイスや消耗品は最悪であると言う印象を持っていた人が、とても多いのではないだろうか。 30枚が束になっている台湾製のCD-Rをソフマップで買えば、そのうち書き込みエラーが発生する確率はロットによって10枚に迫る勢いで、とても使えない。 そのため、大事なデータは日製CD-Rに焼き、どうでもいいテンポラリーのデータは台湾製で焼くというのが、当時の常識になっていた。 それでも当時、30枚が束になっている台湾製CD-Rが1500~2000円程度であるのに対し、日製CD-Rは3枚で1000円ほど。 そのため、仕事やプライベートでCD-Rを大量に使う人はどうしても、台湾製CD-Rの「当たり

    日本でリストラされた技術者が台湾企業で大活躍しているのを見て、本気で恐怖を感じた。
  • システム技術者が「ちょっと変えるだけでしょ?」という、ユーザーからの注文に辟易する理由。

    どうも、 「単純な要件でも、システムの作りによって大きく難易度が変わる」 「システムは決して規格品ではなく、作る人によって全く出来が異なる」 ということが直感的に理解しにくいところが、色んな問題の根原因の一つなんじゃないかなあ、という気が最近しています。 しんざきは、システム開発関連の仕事をしています。元々の専門分野はDB屋なんですが、まあ他にも色々やります。 で、当然のことながらユーザーと色々やりとりをして、仕様を固めて設計して開発して、みたいなことも何度もやっているのですが、その際何度も何度も聞いた言葉の一つに、 「ちょっと変えるだけでしょ?」 という言葉があるんです。 恐らく、システム開発に携わったことのある人であれば、何度となく聞いた言葉ではないでしょうか。 この「ちょっと変えるだけでしょ?」という言葉は一種の呪いの言葉、パワーワード・キルのようなものでして、ユーザー側と開発側の

    システム技術者が「ちょっと変えるだけでしょ?」という、ユーザーからの注文に辟易する理由。
  • 今の時代、「ふわっとした仕事を具体的なタスクに落とし込むスキル」だけで十分食えると思う

    どうもしんざきです。とある業界の、社員100人ちょっとの企業で中間管理職をしています。 同業他社の管理職同士で飲むことがたまーにありまして、先日は何故か「どれくらい古いパソコン用語を知っているか勝負」という、冗談抜きでひとかけらの生産性もない話で盛り上がっていました。 平成も終わろうかというこの時代に、HYMEM.SYSの記述方法についての宗教議論とか、当になんの役にも立たないのでやめて欲しいです。超楽しかった。 で、その時、もう一つ盛り上がっていた、というか愚痴の言い合いになっていたのが、「ちゃんとタスク切れる人不足」という話でした。 毎度毎度、人手が足りている、足りていないの話になるのは管理職飲み会あるあるです。飲み会の一つの焦点といっても良いかと思います。 業界にもよるのかも知れないんですが、実をいうと今、採用自体は割とスムーズにいっているという話を聞くことが多いんです。 それも、

    今の時代、「ふわっとした仕事を具体的なタスクに落とし込むスキル」だけで十分食えると思う
  • スーパー労働者にしか給与や地位を約束しない社会はどこかおかしい

    「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。 -books&apps 彼らは単純な反復作業はできる。マニュアルがあれば、それ通りに仕事をすることもできる。 でも、すこしイレギュラーがあると、途端に仕事が止まる。 「それぐらい考えてやれよ」といっても、彼らには想像の枠外である。 まして、非定型業務、たとえば作戦を考えたり、タスクを分解してスケジューリングをして関係者の調整を図ったり、前例のない事をやったりすることは、到底無理である。 つまり、 「考えてやれ」 「タスクを設定して管理せよ」 「自分で調べならがらやれ」 「改善しながらすすめてくれ」 こういう指示は彼らには、「難しすぎる」のである。 先日、安達裕哉さんがこのようなブログ記事を投稿されているのを見つけた。 真面目に定型業務をこなせる人々が、産業構造の変化によって重宝され

    スーパー労働者にしか給与や地位を約束しない社会はどこかおかしい
  • 貴重なノウハウの宝庫である「失敗談」を語ってくれる人に、わざわざマウントしに行く、残念な人たち。

    最初にまとめると、この記事で言いたいことは下の三点になります。 ・世の中に成功談は多いが、当に参考にすべき失敗談は極めて観測しにくい ・成功談よりも失敗談の方が、再現性、リスク把握、リスク回避などの観点から、ノウハウとして貴重である ・我々は失敗談をもっと評価するべきであり、失敗談を語ってくれる人を大切にするべきではないか 以上です。よろしくお願いします。 さて、最初に言いたいことは全部まとめてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう、 世の中には、いわゆる「成功談」とか「成功体験の記録」「成功者へのインタビュー」といったものが山ほど転がっています。 石を投げれば成功体験にぶつかる、と言ってもいいくらい、Webではたくさんの成功談を観測出来ます。 何故かというと、「人は基的に自分の成功談を語りたがる」上に、「人は基的に成功談を喜んで聞く」からです。 需要と供給が共にあるのですか

    貴重なノウハウの宝庫である「失敗談」を語ってくれる人に、わざわざマウントしに行く、残念な人たち。
  • 「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。 | Books&Apps

    起業家や「勝ち組」のコミュニティは、障害者やマイノリティなどの社会的弱者には非常に優しい。 彼らはリベラルなので、そういった「生まれつきの属性」に対しては非常に寛容である。 だが「仕事ができない」「変化に対応できない」といった、「努力でなんとかなりそうな」弱者には、非常に厳しい人がゴロゴロいる。 「社会の役に立ちたい」と起業家や「勝ち組」たちは口を揃えて言う。 だが、彼らのいう「社会」に、「仕事のできない人」は含まれていない。 「動かないやつはほっときゃいいんだよ。落ちてくだけ。」と平然と述べる人は、特に珍しいわけではない。 確かに、健康で、大学を出ており、読み書きも普通にできるけれども、仕事が全くできない、という人を「社会的弱者」と認識するのは、通常の感覚ではないだろう。 でも、真実を言えば、実は彼らは現代では「弱者」に含まれる可能性がある。 彼らは単純な反復作業はできる。マニュアルがあ

    「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。 | Books&Apps