林家九蔵襲名差し止め事件 落語家の名前について少々、話題になっている。 三遊亭好楽が、弟子の好の助に自分の前名の「林家九蔵」を継がさせようとして、待ったがかかり、諦めた、という話である。 少しだけテレビでも扱われていた。 みんな芯の部分がわからない、という雰囲気のなか、それぞれの感想を述べるばかりである。落語家もコメントしていたが、まあ、忖度の忖度の、その上の忖度をしないと生き残れない世界だから、そんなに歯切れのいい話が出てくるわけでもない(忖度の忖度の忖度をしていれば、何とか生き残れるという世界でもある)。 テレビで扱われたのは、断ったのが林家正蔵で、水を差されたのが三遊亭好楽という、テレビでよく見る顔だったからだろう。 林家九蔵の名前で襲名できなかった当の本人「三遊亭好の助」については、たぶん、ほとんどの人が知らないのではないか。 そこそこ落語が好き、というレベルでもなかなか見かけない
テーマが論者によって微妙にずれたり重なったりしていますが、「皇帝」の称号などを例にして『長い歴史や社会の中で、支配者や国の地位や格式、称号がどう定まっていったか、どのように変遷していったか』みたいな話をしたわけです。 国家や王家の正統性や系譜の議論は面白いですよね。
山梨県甲州市塩山下於曽(えんざんしもおぞ)の平安時代の「ケカチ遺跡」の居館跡から、和歌を刻んだ10世紀半ばの土器が見つかった。甲州市と市教委が25日、発表した。土器を調べた県立博物館の平川南館長(日本古代史)は「この時期のひらがなのみで書かれた和歌1首が出土資料として発見された例はなく、中央から地方へのひらがなの伝播(でんぱ)を知る上で極めて重要だ」と話している。 発表によると、甲斐型土器と呼ばれる素焼きの土師器(はじき)の皿(直径約12センチ)の内面に、1文字の欠損部分を含め31文字が5行にわたって刻まれている。生乾きの状態で竹べらの先端を用いて彫り、その後焼成されたとみられる。すずりや鉄製のおもりなどとともに出土した。 和歌は、一例として「我(われ)により 思ひ繰(くく)らむ 絓糸(しけいと)の 逢(あ)はずやみなば 更(ふ)くるばかりぞ」と読めるという。万葉集や古今和歌集などに見られ
隕石 ( いんせき ) に含まれる鉄を使って明治時代に作られた希少な日本刀「流星刀」が、小樽市の龍宮神社に奉納された。 流星刀は、旧幕臣で北海道開拓にも貢献した榎本武揚(1836~1908年)が私財を投じて作らせた刃渡り約19センチの短刀だ。家宝として大切に保管してきた、ひ孫の隆充さん(82)(東京都在住)が、武揚が創建した同神社に託すことにした。 科学技術に通じていた武揚はロシア公使在任中、同国で隕石で作った刀を見る機会があり、自分も作ってみようと、富山県で発見された隕石を購入。依頼を受けた刀工が1897年(明治30年)、隕石から鉄を取り出し、大小計5本の刀を作った。1本は皇室にも献上されたという。武揚はこの件を論文にまとめ、学術誌に寄稿している。 流星刀は20日に奉納され、本間公祐宮司(50)は「榎本公の命をお預かりするつもりで、大切に保管したい」と語り、一般公開は行わないという。
なぜ日本が世界共通語「Emoji」を生み出したのか、そしてその影響とは/古川健介『TOKYO INTERNET』 Daily PLANETSでは毎月第2水曜日に、古川健介さんの連載『TOKYO INTERNET』を配信しています。 今回のテーマは、日本社会で生まれ世界中に普及した「Emoji」です。この独特の表現形式がどのようにして生まれたのかを、日本語のデザイン特性や表現の歴史から紐解きます。 (イラスト・たかくらかずき) 絵文字の簡単な歴史を振り返る今回のテーマは「絵文字」です。絵文字の普及には日本が大きな影響を与えており、日本が絵文字を生み出した、といっても過言ではありません。 絵文字の起源には諸説あり、いま使われているような絵文字の原型は、もともとはアメリカの雑誌で使われた顔文字から、という説(※1)や、「:-)」という横から見た時に笑顔に見えるという、英語圏の顔文字が起源だ、とい
たられば @tarareba722 ①平安ガチ百合文学の泰斗といえばもちろん清少納言先輩ですが(なにしろ『枕草子』は3ページに1回くらい(体感)「中宮定子さますごい」「定子さま最高」「定子さま超キュート」とある世紀のラブレター)皆様ご存じ『源氏物語』にも相当な百合要素が織り込まれているのは古典クラスタには常識です。 たられば @tarareba722 ②なにしろ『源氏物語』主人公・光源氏初恋の相手にして永遠の思い人、理想の女性として描かれ続ける義母・藤壺中宮。このモデルこそ、当時平安京御所のうち「庭に美しい藤が植えられていた」という理由で「藤壺宮」と呼ばれていた飛香舎に住まう、中宮・藤原彰子(=紫式部の上司)その人でした。 たられば @tarareba722 ③もちろん当時の殿上人は姓名など呼び合いません。呼称はだいたい住んでいる場所と身分。つまり「藤壺宮」と聞けば誰だって「こ、これは彰子
「我が国フランスでは非常に高く評価されているにもかかわらず、日本では永年の間タブーとされてきたことが不思議でなりません」(シャネル代表取締役 リシャール・コラス社長) 本日は愛と笑いの浮世絵、春画のお話。 東京・永青文庫で、今年9月19日から国内初の展示会『春画展』が開催される。入場料は1500円。残念ながら18歳未満は入館禁止の“大人の美術展”だ。展示点数は前期・後期入れ替え制で合計120点。 じつは2014年、先駆けてイギリスの大英博物館で春画展が開催、大成功をおさめていた。ロンドンでそれを見た宇多田ヒカルさんが日本での開催が決まっていないのを残念がった。それを新聞屋が書いて話題になったりもした。 が、ふしぎなことはある。 春画そのものは昔から大人気の美術ジャンルだ。芸術雑誌もたびたび春画の特集を組んできたし、書籍を出せば豪華版でも飛ぶように売れる。なのに、今になってようやく美術展開催
“耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日本の歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。 著者は日本各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。 なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。 私は日本中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利
幕末に日本を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日本人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日本在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日本人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日本人商人に尋ねるが、そんな日本人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日本人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日本人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら
2015年02月21日18:00 馬場正博「食事前に手を合わせて『いただきます』という奇習が日本で蔓延して行儀が良い事になっているのが凄く嫌だ」 Tweet 1: キングコングラリアット(北海道)@\(^o^)/ 2015/02/21(土) 11:48:29.19 ID:yfvam35N0.net BE:755456936-2BP(2000) 私はジジイなので食事前に手を合わせて「いただきます」という奇習が日本で蔓延して、 しかもそれが行儀が良いことになっているのが、凄く嫌だ。 小津安二郎の映画ではあんなシーンは絶対なかった。誰があんな変なことを始めたんだ。 https://twitter.com/realwavebaba/status/297913121736101889 転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1424486909/
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/30(火) 22:46:59.78 ID:BU/AaYCl0 麻酔手術に成功してたとかそういう有名なのでもいいから 江戸時代の外科医。記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/華岡青洲 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/30(火) 22:48:29.47 ID:AGqh5wTX0 ベタだけど伊能忠敬の地図の完成度の高さ 正確過ぎてビビる 江戸時代後期の測量家伊能忠敬が中心となって作製された日本全土の実測地図である。「伊能図(いのうず)」とも称される。 http://ja.wikipedia.org/wiki/大日本沿海輿地全図 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2
劣化して波打ったマイクロフィルム=京都市、西山写す 古い文書や画像を記録したマイクロフィルムの劣化が、各地で問題になっている。酢のようなにおいを放ち、ワカメのようにゆがんでしまう「ビネガーシンドローム」。図書館などでは劣化を遅らせる工夫をしたり、新しいフィルムに複写したりするなど対応に追われている。 京都市内の私立大学の図書館。資料室に入ると、鼻を突くような酸っぱいにおいが漂っていた。原因は、貴重な仏典などを撮影したマイクロフィルムだった。10年ほど前、資料を閲覧した利用者の指摘で、異変に気づいた。フィルムが波を打ち、表面に白い粉が付いていた。まるで酢こんぶのような状態で、機器で映し出すこともできなかった。 この図書館では、2千本を超えるフィルムのうち、約半分がビネガーシンドロームになっている可能性があるという。担当者は「将来、大切な文献だと判明するフィルムも含まれているはず」と考え
2003年11月に松谷創一郎さんが「ネットでの儀礼的無関心の可能性」等にて提唱された、リンクの自由に疑問を呈する「儀礼的無関心」なる考え方は大きな反響を呼び、 確認されただけで2か月程の間に250以上のサイトが言及するトピックとなりました。かつては これらの言及記事は「羊堂本舗 ちょき - 儀礼的無関心反応リンク集」 によって網羅されていたのですが、既に消滅し、当時の論争を追いかけることは難しくなってしまいました。 これはリンクの自由についての論争を知る上で勿体ないことだと思いますので、このページでは上記リンク集を復活させ、 更にそれらの言及記事を若干引用することで当時の論争をわずかでもお伝えしたいと思います。 このページのルール、概要 上記「羊堂本舗 ちょき - 儀礼的無関心反応リンク集」からリンクされた、このトピックを扱った全てのページにここで再度リンクをします。 上記リンク集にはなか
・裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘
カテゴリ 元号を廃止してほしい 井上晃宏(医師) 政府ができる成長促進策として、元号廃止を訴えたい。 元号が使われ続けているために、多くの無駄が生み出されている。 大抵の人の一生は、二つ以上の元号をまたいでしまうので、生年月日から年齢をすぐに計算することができない。私は元号と西暦と年齢の対照表を手元に置いて仕事をしている。 役所の将来見通しに、平成50年度などと書かれていることがあるが、そんな年は実際には来ないだろう。昭和時代に書かれた文書のタイムスタンプは、年号が平成に変わったとたん、対照表を見ないと、今から何年前だったかすら、すぐには計算できなくなった。 元号は民間が好きで使っているのではない。政府が元号を公文書で強制しているため、政府に提出する文書はすべて元号で書かねばならない。それに引きずられて、民間の文書にも元号が使われる続けている。 明治維新の時に、近代化のため、日
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く