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オウムとoccultismに関するwhaleboneのブックマーク (9)

  • オウム真理教があった時代を生きていた人が羨ましい

    俺の誕生日は1995年の3月20日。地下鉄サリン事件の日だ。 実家は上九一色村に隣接する市町村にある(今は平成の大合併で同じ市町村になってしまった)。 そういう生い立ちがあるので中学生くらいの頃からオウム真理教について興味があって、オウムについてよく調べていた。 俺の世代は、上九一色村の隣だからって特別オウムに詳しい人なんて居なかった。オウムについて調べていたのなんて俺くらいだ。別に信仰に興味があるわけではない。起こした事件や活動について興味があるのだ。 こう言うと不謹慎かもしれないが、オウム真理教にロマンを感じてしまう。麻原彰晃の不気味な感じとか、バイオテロ・化学テロをそこらじゅうで起こしていたこととか、宗教団体なのにパソコン屋や飲店を経営していたこととか、隣の村に不気味な施設を建てていたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人が心霊現象とか超常現象に惹かれるのと似

    オウム真理教があった時代を生きていた人が羨ましい
  • 彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    22年目の3月20日を迎えた。 あの日に起きた地下鉄サリン事件によって、13人が死亡、6000人以上がサリン中毒となった。中には重症に陥り、今も重篤な後遺症に苦しむ被害者もいる。 さらに甚大な被害の可能性も……これだけでも、十分に重大で深刻な事件だが、実はこれよりはるかに甚大な被害が発生していた可能性もあった。 それを防ぐのに、「サリン残留物を検出 山梨の山ろく『松事件』直後 関連解明急ぐ 長野・山梨県警合同で」と題する1995年1月1日付読売新聞の記事が果たした役割は大きい。記事は、教団の名前は出さないものの、前年に起きた松サリン事件を捜査している警察が、オウム真理教の関与を疑っていることを報じていた。 1995年1月1日付読売新聞一面のスクープ記事この報道にオウムは慌てふためき、ストックしてあったサリンをすべて処分した。その作業に当たった土谷正実と中川智正は、中毒症状を呈して治療を

    彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 4/16(木)やや日刊カルト新聞社主催 オウム事件欠席裁判!@ネイキッドロフト

    書き起こしです。 話し言葉なので、多少わかりやすく編集しました。 動画はこちらです。http://www.ustream.tv/recorded/61170190 名前部分の敬称は略させていただきました。 4/16(木)やや日刊カルト新聞社主催 オウム事件欠席裁判!@ネイキッドロフト 藤倉:どうもこんばんは。やや日刊カルト新聞の藤倉です。今日はあの、カルト新聞史上、最もまじめなイベントになると思います。みなさんは、ロフトに来たことは? 藤田:来たことないよ〜 滝:あ・・私は・・ 藤倉:あの滝さん以外は、ロフト初登場ということで。 ではパソコンをつなぎます・・(ゴソゴソ) 滝:時間空いちゃうと・・ねぇ、オウムの歌でも歌おうか? (一同笑) 藤倉:ちょっと浮いていみせていただいたりとか・・ (客席:ハハハ) 滝:このところ修行してないから・・ 藤倉:すいません、まもなく終わります。よう

    4/16(木)やや日刊カルト新聞社主催 オウム事件欠席裁判!@ネイキッドロフト
  • オウムと私

  • “オウム真理教のナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚の手紙 vol.1

    オウム元信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年に大学生へ向けて書いた手紙(忠告)をまとめました。 目次はこちら【vol.1「カルトに係わる契機」】 【vol.2「宗教的経験(前半)」】 【vol.3「宗教的経験(後半)」】 【vol.4「恐怖心の喚起」】 【vol.5「規範意識を変容させる集団」】 【vol.6「まとめ」】 初めにQ&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして 若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教のナウい教化法 が挙げられていましたね。同様に 若者の宗教的志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組み

    “オウム真理教のナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚の手紙 vol.1
  • オウムはなぜ日本のエリートの心を捉えたのか:日経ビジネスオンライン

    上田 紀行(うえだ・のりゆき) 文化人類学者。1958年生まれ。東京大学教養学部文化人類学科卒業、同大学院博士課程修了。愛媛大学助教授を経て東工大へ。「癒し」という言葉を日に広め、日社会の閉塞性の打破を、新聞、テレビ等でも説く。近年は沈滞する日仏教の再生運動にも関わり、ダライ・ラマとの対談も出版。東工大では学生からの授業評価が全学1位となり、東工大教育賞最優秀賞を受賞。著書『生きる意味』(岩波新書)は2006年度大学入試出題数第1位の著作となる。その他、『生きる覚悟』(角川SSC新書)、『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書)、『ダライ・ラマとの対話』(講談社文庫)など著書多数。(写真:大槻純一、以下同) 上田:もちろんインドを研究対象にしたい、と最初は思いました。自分の洗脳を解くきっかけになった場所ですから。でも、調べ始めて気づきました。インド学って、ものすごく大きいんです。

    オウムはなぜ日本のエリートの心を捉えたのか:日経ビジネスオンライン
  • 菊地直子 - Wikipedia

    菊地 直子(きくち なおこ、1971年〈昭和46年〉12月9日[3] - )は、日の著述家、オウム真理教の元信徒。ホーリーネームはエーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッターで、教団が省庁制を採用した後は「厚生省」(分割後は「第二厚生省」)に所属した。オウム真理教事件被疑者の1人として、警察庁の特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。 菊地は地下鉄サリン事件に使われたサリン製造に、何らかの形でかかわっていたとして逮捕されたが、刑事裁判の過程で無関係であることが明らかとなり、逮捕容疑であった地下鉄サリン事件、VX殺人事件ともに処分保留で不起訴になり、最後に逮捕された東京都庁小包爆弾事件では起訴されたものの、裁判員裁判の東京地方裁判所では殺人未遂の幇助罪で懲役5年の判決が出たが、東京高等裁判所では無罪となった[4]。 その後、最高裁判所で最高検察庁の上告が棄却され、無罪の確定判決[1]

    whalebone
    whalebone 2012/07/11
    『「風の行者」は、瞑想しながら神秘的な「風」(ルン)の力を伴い凄まじい速度で高原を駆け抜けていく』
  • 村井秀夫 - Wikipedia

    村井 秀夫(むらい ひでお、1958年〈昭和33年〉12月5日 - 1995年〈平成7年〉4月24日[注 1])は、オウム真理教幹部。大阪府吹田市出身。ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ、ステージは正大師。省庁制が採用された後は科学技術省大臣だった。教団では麻原に次ぐナンバー2、科学技術部門最高幹部と見られていた。 子供の頃は内向的でSF少年であり、動物や望遠鏡で星を観察したり、グッピーやミジンコを養殖するのが趣味、勉強は得意で体は丈夫だった[1]。城みちるに似ていたため、ついたあだ名は「ジョー君」[2]。 テレビの影響で超能力や精神世界、仙道、ヨガなどに興味があり超人願望があったという[3]。また、1972年に友人の兄がトラックへ飛び込み自殺する光景を目撃している[4]。 大阪府立千里高等学校ではただ1人無遅刻無欠席を成し遂げ表彰された[1]。その後、「歩いて通えるから」という理由

    whalebone
    whalebone 2012/06/04
    『子供の頃はSF少年であり、また望遠鏡で星を観察するのが趣味』『金属加工の研究に携わる』『入信理由は「かもめのジョナサン」の心境になったから』
  • 自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰

    オウム真理教による地下鉄サリン事件から、今年で16年が経過した。15年の節目には各出版社もオウム問題を総括すべく、書籍の刊行や雑誌で特集を組むなどしたが、大きな反響もなく、もはや事件は風化したというのが現実ではないだろうか。しかし、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件は、いまだにきちんとした総括が行われているとは言いがたい。宗教学者の大田俊寛氏は、今年3月に出版された『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社)において、宗教学者の責務を果たすべく、オウム事件の総括を試みた。今回、その大田氏と、元オウム真理教幹部でアーレフ(現アレフ)の元代表でもあった野田成人氏に対談を行ってもらった。野田氏自身、事件を総括すべく、昨年オウム真理教とアーレフ時代の出来事を克明に綴った『革命か戦争か オウムはグローバル資主義への警鐘だった』(サイゾー)を上梓している。オウムという存在を

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