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内田樹に関するwhaleboneのブックマーク (20)

  • 近代市民社会の再興のために - 内田樹の研究室

    『月刊日』8月号にロングインタビューが掲載された。「野蛮への退行が始まった」というタイトルだけれど、私が言いたかったのは「近代市民社会を再興しなければならない」という話である。 ― 現在、世界は歴史的な大転換を迎えています。今、世界では何が起きていると考えていますか。 内田 今起きているのは「近代の危機」だと思います。近代市民社会の基理念は「公共」です。その「公共」が危機的なことになっている。 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論によると、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」を戦っていた。この弱肉強の「自然状態」では、最も強い個体がすべての権力や財貨を独占する。でも、そんな仕組みは、当の「最強の個体」についてさえ自己利益の確保を約束しません。誰だって夜は寝るし、風呂に入るときは裸になるし、たまには病気になるし、いずれ老衰する。どこかで弱みを見せたら、それで

  • 豊かな社会とは - 内田樹の研究室

    『診療研究』というコアな雑誌に標記のような原稿を寄稿した。いつもの話ではあるけれども、こういうことは何度繰り返し語っても足りないのである。 これまでずいぶん長く生きてきたけれども、日の国力がこれほど低下した時期は過去になかった。パンデミック、異常気象、ウクライナ戦争、人口減...など地球的規模での大きな問題が目白押しのところに、国内では、政治とメディアの劣化がとめどなく進行し、経済は衰退局面を転がり落ち、国民生活の最後の支えである教育と医療も気息奄々というありさまである。どこにも希望が見られない。 それでも気を取り直して、よくよく見れば、日の国力にはまだまだ余力がある。列島には豊かな山河がある。温帯モンスーンの温和な気候と肥沃な土壌と豊かな水資源に恵まれ、植物相・動物相は多様で、温泉や桜や紅葉の名所や神社仏閣のような観光資源はいたるところにあり、文化もエンターテインメントも伝統芸能も

  • 安倍元首相銃撃の報に接して - 内田樹の研究室

    信濃毎日に寄稿したもののロングヴァージョン。 この信濃毎日の「今日の視点」の私の連載分は金曜日の正午が締め切りなので、参院選の結果がわからない段階だったけれども、「参院選の歴史的意味」というタイトルですこし長めのタイムスパンの中でこの選挙の歴史的意味について思うところを書いた。 原稿を書き上げた直後に「安倍元首相が銃撃されて心肺停止」というニュースが飛び込んで来た。少し締め切りを遅らせてもらって、とりあえずニュース第一報が入った時点でのこの事件についての私のコメントを記しておくことにした。さいわい、新聞社は締め切りを遅らせてもいいと言ってくれた。雅量を多としたい。 安倍氏の容態についても、犯人が何者でいかなる動機に基づくテロであるのかも、決定的な情報がない段階で書いているので、この原稿が紙面に出る頃には、私の書いていることが事実誤認であったり、無意味なものになっている可能性は残るが、それで

  • 反知性主義3 Part 1: 内田編『日本の反知性主義』は編者のオレ様節が痛々しく浮いた、よじれた本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    しばらく間が空いた。で、反知性主義についての簡単なお勉強を経て、ぼくが手に取ったのは『日の反知性主義』だった。 このの題名は、明らかに『アメリカの反知性主義』を意識しているようだ。その一方で、この面子を見ると、ぼくが冒頭に挙げた『現代思想』の執筆者と重なるようであり、「反知性主義」を「バーカ」の意味で使う連中の集団のようにも思える。で、どうなのよ? それがぼくの興味だった。が、その前に…… 「反知性主義」をちがう意味で使ってはいけないの? まず、そもそも「反知性主義」を「バーカ」の意味で使ってはいかんのか? ぼくはそうは思っていない。ぜんぜん構わないと思う。ただ、その場合にはホフスタッターとかを引き合いに出してはいけない。まるで意味がちがうからだ。 なぜか? ホフスタッターのは、名著とはいえ決してだれでも知っているメジャーなではない。ぼくはたまたま、漠然とホフスタッター的な意味合い

    反知性主義3 Part 1: 内田編『日本の反知性主義』は編者のオレ様節が痛々しく浮いた、よじれた本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    whalebone
    whalebone 2015/10/16
    『これまでの内田樹の著作こそ反知性主義を体現している』
  • 半分あきらめて生きる - 内田樹の研究室

    半分あきらめて生きる 「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についてのお訊ねなのであろうと思った。 なぜ私にそのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に学校教育について論じた中で、「教師のたいせつな仕事のひとつは子供たちの過大な自己評価を適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として小学生が卒業文集に書

  • 内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか 他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人 自己の正当性ばかりをやたら主張する。他人の揚げ足を取っては喜ぶ。他者の痛みに思いが至らず、幼稚な論理を振り回す。気持ち悪い、変な人間がこの国を跋扈している。あなたの周囲にもいますよね。 呪いをかける人たち 現代日社会は「呪い」の言葉が巷間に溢れ返っています。さまざまなメディアで、攻撃的な言葉が節度なく吐き散らされている。 現実に、ネット掲示板に「死ね」と書かれ、それにショックを受けて自殺する人たちがいる。これを「呪殺」と呼ばずにどう呼べばいいのでしょう。 中世までの日人は、呪いの実効性を信じていました。実際に呪いや祟りで人は死に、それに対する呪鎮の技法も存在した。現代人は、呪いなどというものは存在しないと思っています。でも、私たちの社会でもやはり呪いは活発に機能しています。

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz
    whalebone
    whalebone 2012/01/12
    『「邪悪なもの」を本能的に避ける能力は、彼の作家的天才の一部だと僕は思います』 『呪いの言説形式が標準化してきている』
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

  • 『七人の侍』の組織論 - 内田樹の研究室

    どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。 これはなかなか興味深い問いである。 前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。 その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。 どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。 あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。 必ずいる。 全員が標準的なアチーブメントをする集団など

  • マスメディアの凋落 - 内田樹の研究室

    光文社から出る『メディアと知』という仮タイトルのを書いている。 もともとは3年ほど前にやった授業の録音をテープ起こしして、それにちょいちょいと手を入れて・・・というお手軽のつもりだったのだが、書き始めると、「あれも書きたい、これも書きたい」ということで、どんどん話がくどくなる。 まだ第二講なのに、もう3万字。 全体で第七講くらいまでで収めたいのだが、収まるかしら。 メディアに論点を特化している。 マスメディア(テレビと新聞)の凋落、インターネットとメディア、ミドル・メディア、書籍文化、コピーライト、メディア・リテラシー、それにもともと「キャリアデザインプログラム」の中の授業だったので、最初のところではキャリア教育についても語っている。 マスメディア、とりわけ新聞の凋落について今書いている。 新聞メディアの急速な失墜をほとんどの人は「インターネットに取って代わられた」という通信手段のシフ

  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

  • ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性 - 内田樹の研究室

    午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。 村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。 世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。 いずれも人間にとって質的な営みである。 「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。 金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。 「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。 その基は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「えるものは何でもう」である。 村上春樹作品には「ご飯を

  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

    whalebone
    whalebone 2008/05/14
    その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたもの/「自分自身にかけた呪い」
  • 霊的都市論 - 内田樹の研究室

    私にとっての東京とはどの範囲かという話を昨日江さんと堀埜さんを相手にしゃべった翌日に小田嶋隆さんのブログを訪ねたら、小田嶋さんも同じ主題について書かれていた。 おお、シンクロニシティ。 小田嶋さんは東京「キタ」の人であり、私は東京「ミナミ」の人であるので、この差異について若干の思弁を弄したいと思う。 ちなみに「キタ」は「キ」に、「ミナミ」は「ミ」にアクセントを置く(三波春夫と同じ)のが関西風儀である。 まず小田嶋さん的東京とは次のような範囲を指す。 自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。 河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。 で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。 その「範囲」

    whalebone
    whalebone 2008/02/18
    『東京の空間人類学』ISBN:4480080252が定番かも。
  • 地球温暖化で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    1年生のゼミで「地球温暖化」が取り上げられた。 地球温暖化を防ぐために、京都議定書の規定を守り、急ブレーキ、急発進を自制し、わりばしをやめてマイ箸を使いましょう・・・というような話を聴いているうちに既視感で目の前がくらくらしてきた。 「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。 というと、みんなびっくりする。 気象というのはきわめて複雑な現象である。 「バタフライ効果」という言葉で知られているように、北京で蝶がはばたきをしたことによる大気圧の変化が、カリフォルニアに暴風をもたらすことがある。 複雑系ではわずかな入力差に対して巨大な出力差が生じる。 この場合に「北京の蝶のはばたき」を暴風の「原因」と名づけることには無理があるだろう。 排ガスと温暖化の関係もそれに似ている。 池田清彦さんによると

    whalebone
    whalebone 2007/10/10
    不可。
  • 若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)

    CIRCUSという雑誌の取材がある。 お題は「どうして若者はうまく働くことができないのか?」 一方に引きこもったまま労働しない若者がおり、一方に過労で倒れそうな若者がいる。 いずれも「うまく働いている」わけではない。 どうしてなのか。 たしかに「どうしてなんでしょう」と訊きたくなる気もわかる。 お答えしよう。 これは複数のファクターの総合的な効果であるから、単一の原因を探してもダメである。 第一は働く個人の側の問題である。 『下流志向』で分析したように、労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。 学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固

  • 愛国について語るのはもうやめませんか (内田樹の研究室)

    教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日人はもっと日の国

  • 「株式会社という病」を読む - 内田樹の研究室

    平川くんの『株式会社という病』(NTT出版)のゲラが届いたので、東京へ向かう新幹線の車中で読み始める。 平川くんはブログ日記で、このを書くのにずいぶん苦労したと書いていた。 彼が「苦労する」というのはどういうことだろう。 言いたいことをはやばやと書ききってしまったので、残りの紙数を埋めるのに苦労するということは学生のレポートのような場合にはよくあることである。 だが、平川くんのような書き手の場合に「書くネタが尽きる」ということはありえない。 ということは、彼がこので「手馴れた道具」では論じることの困難な種類の主題を扱っているということである。 平川くんをして困惑せしめる主題とは何であろう。 一読して、その困惑が少しだけわかったような気がしたので、そのことについて書きたい。 彼は久が原の町工場の長男として育った。 その少年時代の親たちの働きぶりや、彼のまわりにいた工員たちの姿を活写すると

    whalebone
    whalebone 2007/04/30
    「歓声の上がらない場所」
  • ぷるぷる - 内田樹の研究室

    終日原稿書き。 入学センターのA木課長から年末に「1月10日までに8000字お願いしますね」と頼まれたのである。 学のPRのための単行というのを出すのである。 ふつうPR素材は無料配布と決まっているが、これを店頭で売ろうという「一粒で二度美味しい」戦略である。 うまくゆくかどうかわからないけれど、とりあえず業務命令であるから、さくさくと「どうして女子大は必要なのか?」ということについて書く。 書いているうちにだんだん腹が立ってくる。 A木課長に対してではなく、「女子大は必要ない」という政治判断を支える経済合理主義的発想そのものに対する憤りで、身体が小刻みにぷるぷる震えてきたのである。 私はもともと男女雇用機会均等法をめぐる議論あたりから、「ぷるぷる」していたのである。 この法改定はご存じの通り、雇用機会における性差別を廃したものであるが、そこに伏流する雇用と性の関係についての基的な考

    whalebone
    whalebone 2007/01/13
    前半部同意。
  • 「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む (内田樹の研究室)

    お正月、特にすることもないので新春早々ゲラを校正。 朝日新聞社から出る教育「狼少年のパラドクス」の再校である。 ブログ日記から教育関連のものを選び出しただけなので、内容的には繰り返しが多いし、文体もわりと手荒なので、このままにするわけにはゆかず、あれこれいじりまわす。 夕方から自由が丘。 等々力在住の兄上と平川くん、千鳥町在住の石川くんという「極楽カルテット」でお正月を祝うべく不二屋書店前に5時集結。 そのまま居酒屋にとぐろを巻いて、ビジネスの話。 平川くんと私は石川くんが3月から始める新規ビジネス、ライブハウス+落語定席「アゲイン」の出資者であるので、ビジネスプランについて詳細をあれこれ論じる。 メニューはどうするのか、禁煙か喫煙可か、クライアントにはどのような年齢層をターゲットにするのか、楽器はどうするのかなどなど。 平川くんと私は開店イベントにすでにブッキングされているようである

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