随分久方振りとなる池上電気鉄道の話題。業務多忙につき、なかなか実地や資料収集などができない停滞状態が続いているが、閑話休題的に今回は「時刻表(1925年4月号)に見る池上電気鉄道」と題して、1925年(大正14年)頃の状況を追ってみよう。 1925年3月(4月号発売時)といえば、池上~雪ヶ谷間を2年前に延長開業したものの、行く手を目黒蒲田電鉄に遮られたも同然(その名の如く、ほぼ平行して目黒~蒲田間を先行開業されてしまい、雪ヶ谷~目黒間の工事が意味がなくなってしまっていた)状態で、接続先が五反田に変更される直前。もっと言えば、経営陣が高柳社長が辞任する前であり、まったく将来性が見出せない時期にあった。 何ともあっさりとしたもので、時刻表としつつも詳しい時刻などなく、始発と終発、運転間隔程度しか載っていない。運賃も全区間のみで、各駅間のものもない。もっともこれは、ライバルであった目黒蒲田電鉄も