田園都市づくりの理想、散る 大型トラック、延べ450台以上で郊外へ引っ越し 第一生命の本社といえば、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)があった日比谷の壮麗なビルを思い浮かべるが、実は第一生命は68年から「2本社体制」をとっている。企画部門や営業部門は日比谷に、事務部門やシステム部門は、神奈川県大井町にあった。 東名高速道路が全線開通するのは69年。その2年前、日比谷本社を補完する形でこの地にビルが竣工された。新聞は「日本一の引っ越し」という見出しを付けたほどで、大型トラックで延べ450台以上が神奈川へと走った。第一生命が神奈川へと向かったわけを探ろう。第一生命70年史によれば…。 「激化する公害、交通の渋滞、通勤難、果てしない物価騰貴等々は職員の事務効率や健康保持の点からも憂慮すべき状態にたち至っている」 そんな懸念はさらに深刻となり、この後70年代には、大学や企業による郊外への移