中田達也(特会) かつて水産資料館の階段踊り場に歴代の練習船の写真があった。その中に「はやぶさ丸」もあった。それは、昭和31〜42年活躍の練習船であった。『東京水産大学百年史』(1989年)によれば、この船の説明冒頭に第五福竜丸が出てくる。同船は、昭和29年3月に学術研究の資料として保存させようと政府が買い上げを決定したものである。昭和31年に三重県伊勢市で改装されたこの船は、極東国際軍事裁判で日本側弁護を務めたことで有名な清瀬一郎が文部大臣の時に「はやぶさ丸」と命名した。この船が活躍した11年間は、東京水産大学卒業生でいえば、何期から何期の時代にあたるだろうか。永山政行助教授が初代船長になって以降、この船は、まもなく館山で漁業実習に使われるようになった。佐々木幸康、實谷英生、城戸卓夫船長の名をなつかしく思い出す卒業生および関係者の方も多いのではないだろうか。 当初、この船の責任者となった