アナウンサーからの転職 内多さんは、東大を卒業後、NHKのアナウンサーとして入局。内多さんの子どもの頃の夢は、「一生懸命勉強して、いい大学に入って、絶対潰れないような安定した会社に入る。結婚して子どもを3人持って、家を買って、安定した生活を送ること」だった。子どもにしては、一見地味な夢に見えるかもしれないが、「子どもの頃は貧乏だった」と語る内多さん。誰よりも安定を望み、定年までひとつの会社で働くことを疑わなかったという。 内多さんの初任地は高松からスタート。その後、大阪、名古屋、東京と転勤しながら着実に実力も上げていった。内多さんが担当した番組は、「生活ほっとモーニング」といったソフトな生活情報番組から、「首都圏ネットワーク」や「首都圏ニュース845」など硬めのニュース番組まで幅広い。また、単に原稿を読むだけにとどまらず、自ら企画提案し、積極的に取材現場にも足を運んだ。それが功を奏したのか
![53歳で異業種へ…元NHK看板アナが体験した試練](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/54597ee1de941936c1af6d8ff092b04d1c8fe097/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fc%2Fb%2F1200w%2Fimg_cb26b3a79a70efff9884790391525d74273544.jpg)