『明治文學全集』全99巻・別巻1の復刊が話題となっている。1965年(昭和40)の第一回配本(写真)の当時、まだ駆け出しだったころの私は、全冊揃えきれるかどうかという不安を抱きつつ、そのころ神保町角にあった行きつけの書店に予約したことを思い出す。定価1,300円、その後1989年の全冊セット復刊を経て現在は各巻7,875円となった(セット価は79万円余)。値段に完結後約40年の変遷は感じるものの、内容的価値に変動は内ない。当時の明治文化研究会、とくに柳田泉はいい仕事をした。 しかし、ここでは全集の提灯を持つのが目的ではない。電子出版が支配的になろうとしている環境で、この種の“大全集”企画にどのような価値変動が生じるかということを考えたい。まず私は、読書の基本を身につけるための図書をはじめ、いわゆる基本資料のほとんどが電子化に不適であるという現実を指摘したい。 『明治文學全集』などはその最た
全国文学館協議会編『全国文学館ガイド』の増補改訂版が出た。8年前の初版をカラー版という親しみやすい体裁とし、内容を一新した公式ガイドである。 いま、全国には三百数十もの文学館もしくは関連施設がある、十年前にくらべると、百館は増えていて、社会的に重視される“文化施設”となっているが、予算難による運営の不安要因をかかえている施設も多い。 文学館および類似の施設に対する社会的要求は、歴史的にはけっして小さなものではなかった。文学館の最も古い例は戦前の1933年(昭和八年)、松江市に生まれた小泉八雲記念館である。そのほか蘇峰の寄付による淇水文庫(水俣市)が後に蘇峰記念館となったり、戦後2年目に地元民の労力奉仕で完成した藤村記念館(長野県木曽郡)のような例もあるが、総じて文学館という概念そのものには馴染みがなかった。それでも、戦後の混乱がようやくおさまった'50年代から'60年代初期にかけては、一茶
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く