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skywatchとhistoryに関するwhaleboneのブックマーク (5)

  • 地図の散歩道:日本の経度は金星観測から − 6月6日に金星の日面経過 − (1)

    の経度は金星観測から − 6月6日に金星の日面経過 − (1) 2004年と2012年の日面経過位置(理科年表から) 天文異変 年(2012)5月21日に、日列島の九州南部から四国〜東海〜関東〜東北南部にかけて金環がみられることが、全国的な話題となっていますが、6月6日にも金星の太陽面経過(日面経過)という天文異変があることをご存知でしょうか。日では午前7時頃から昼過ぎにかけてこの現象が見らます。 この現象は珍しい現象で、前回は2004(平成6)年6月8日に、日でみえる日面経過では、前々回は1874(明治7)年12月9日に起こりました。明治時代が始まったばかりのこのときには、世界各国から天文学者等が観測条件の良い日に訪れ、科学的な業績を持ち帰りました。維新直後の混乱期にあったものの、日政府は、金星日面経過観測の終了を待ってアメリカ隊に経度原点の決定を依頼し、東京に日最初

  • 日本最古の星野写真の発見

    経緯 国立天文台では、平成20年4月に天文情報センターの中にアーカイブ室(注1)を発足させ、歴史的価値のある天文学に関する資料(観測測定装置、写真乾板、貴重書・古文書)の保存・整理・活用・公開をめざして活動してきました。このアーカイブ室の活動の一環として、約2万枚と想定される段ボールに収められた古い乾板の整理を続けてきました。その過程で、19世紀末から20世紀初めにかけて、麻布で観測していた時代に撮影されたと思われる星野写真乾板を、全部で437枚、発見しました。 もともと国立天文台は、かつての東京帝国大学東京天文台として19世紀に設立され、東京都心・麻布において、様々な観測に着手していました。しかし、当時の資料や観測装置、乾板類などは、現在の三鷹の地へ移転する前の関東大震災や、戦中にあった三鷹の東京天文台館の火災などで喪失したと思われていました。今回、発見したのは、麻布時代にブラッシャー

  • アーカイブ新聞

    アーカイブ新聞とは 2008年4月のアーカイブ室発足時より、活動記録として不定期発行されていました。 もともと台内資料としてアーカイブされていましたが、2008年11月末より一般の方々にも公開されています。 (※当初は「アーカイブ室新聞」と称していましたが、その後の組織改編により、名称を「アーカイブ新聞」と改めました) 2018年1月25日更新 番外編 最新号|900-|800-|700-|600-|500-|400-|300-|200-|100-|1号 リンク先はPDFファイルです。 第1000号 再びレプソルド子午儀室床下を探検 その深井戸(2017年3月21日) 第999号 1930年(昭和5年)の地震研三鷹分室地下30㎝の自記温度計記録などを発見外気から地下時計室まで6か所の温度比較(レプソルド子午儀室床下探検)(2017年3月21日) 第998号 1930年(昭和5年)のゴーチェ

  • 藤原咲平 - Wikipedia

    藤原 咲平(ふじわら さくへい、「ふじはら」「さきへい」表記もある、1884年〈明治17年〉10月29日 - 1950年〈昭和25年〉9月22日)は、日の気象学者。学術論文などでのアルファベット表記(日語のローマ字表記)は「Sakuhei Fujiwhara」を使用した[1]。親族の証言によると来は「ふじはら」姓で、人のこだわりからFujiwhara表記をしたという[2]。 来歴・人物[編集] 長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市)生まれ[3]。高島尋常小学校・諏訪高等小学校(後の諏訪市立高島小学校、2021年4月以降は諏訪市立上諏訪小学校)を卒業。高島尋常小学校・諏訪高等小学校では陸軍中将の永田鉄山と同級であり、また同じく諏訪出身で岩波書店の創立者である岩波茂雄らとは生涯にわたって交友があったとされる。諏訪郡立実科中学校・長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第一高等学

    藤原咲平 - Wikipedia
  • http://fujiclopedia.com/exhibition/0001/

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