第7戦で阪神を破り、日本一の喜びにわく野村克也(後列中央)ら南海ナイン。=1964年10月10日、甲子園 1964年以来となる関西同士の対決として話題の日本シリーズ。59年前に南海(現ソフトバンク)の「4番・捕手」として出場した野村克也さんは生前、「お客さんもガラガラで、オープン戦の延長みたいだった」と回顧していた。 南海は3年ぶり、阪神は2年ぶりの出場で初の関西ダービーが実現したものの、「この年は東京五輪の影響で、(開会式の)10月10日までに終わらせないといけなかったので、始まったのが早かった。でも世の中は五輪一色。〝日本シリーズなんてやってるの?〟という感じで全然盛り上がらなかった」と証言。 実際に甲子園の第1、2戦は観衆1万9000人台。大阪球場での3、4、5戦は3万人前後の盛況だったが、甲子園に戻った第6戦も2万5471人と現在の阪神人気からは考えられない不入りだった。さらに最終