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ブックマーク / note.com/rakkoblog (21)

  • 三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ようやく読めた。|田楽心(田中ラッコ)

    「なぜ働いているとが読めなくなるのか」。 書の答えを乱暴にまとめれば、新自由主義に内面を侵され、コスパ意識きわまったためだ、という事になる。このせいで、現代日の会社員は仕事以外の文脈、自分から遠く離れた文脈(p.234)を含むもの、すなわち「ノイズ」を多く含む読書をしなくなった。 代わりにコントロール可能な自分の行動にターゲットを限定した自己啓発書と、「今」ここの知識でのみ勝負し、自分の外部にある文脈や社会を「ノイズ」として排除する、ひろゆき的論破で済ますようになったという(p.204)。現実の複雑さ、自分にとって未知なるもの、言い換えれば「ノイズ」を体験できる事こそ、読書の真価であるのに……という論調だ。 「」とは、自己啓発書等ではなく、主に小説を指すようだ。冒頭で『ゴールデンカムイ』も挙がるので、漫画も、労働すると読まなくなる書物に含めてよいだろう。『花束みたいな恋をした』とい

    三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ようやく読めた。|田楽心(田中ラッコ)
    wuzuki
    wuzuki 2024/04/21
  • 統計的差別の深層 - 容認される偏見と逆差別のジレンマ|田楽心(田中ラッコ)

    「統計的差別という概念は、矛盾している」という話をする。 1.「統計的差別」の概念的矛盾 「統計的差別」の概念を、私なりにかみ砕いて説明しよう。ある人が、人種や性別といった集団の属性にかんして推測や憶測したものごと、つまり特徴や値や何となくのイメージを、特定個人や個人一般の特徴でもあると仮定(=帰属)して、この個人に対する何らかのアクションのために活用する事で「統計的差別」は生じるとされる(参考)。 例えば、雇用者が「女性はしばしば育児休暇を取るし、キャリアアップに熱心ではないから、この人は不採用にしよう」と扱うこと。大家や金融機関が「外国人はしばしば家賃やローン払わないから、この人には家やお金を貸さないでおこう」と扱うこと。こうした判断とアクションが、統計的差別の典型例だ。 もともと経済学で使われる用語である「統計的差別」だが、今ではインターネット上で多様な状況に当てはめて使われている。

    統計的差別の深層 - 容認される偏見と逆差別のジレンマ|田楽心(田中ラッコ)
    wuzuki
    wuzuki 2024/01/28
    生命保険に関しては、そこで差別されても「損害」はない上、入れたところでメリットを享受できない可能性はあるのが受け入れられてる理由として大きそう。/「特徴/統計値」が「正しい」場合が厄介なんだよなぁ。
  • (小ネタ)『「社会正義」はいつも正しい』は、フランクフルト学派陰謀論や、文化的マルクス主義陰謀論にどう言っているか|田楽心(田中ラッコ)

    (小ネタ)『「社会正義」はいつも正しい』は、フランクフルト学派陰謀論や、文化的マルクス主義陰謀論にどう言っているか 『「社会正義」はいつも正しい』は、「文化的マルクス主義陰謀論」の書か? 批判者によると、『「社会正義」はいつも正しい』の著者リンゼイは、右翼の陰謀論である「文化的マルクス主義陰謀論」に染まっているらしい。文化的マルクス主義陰謀論は、フランクフルト学派を現代の進歩的運動、アイデンティティ政治、ポリティカルコレクトネスの流行に責任があるとし、また伝統主義保守主義のキリスト教的価値を、文化戦争により破壊しているとみなす*。 これと大きく重なるフランクフルト学派陰謀論は、マルクス主義の理論家やフランクフルト学派の知識人から選り抜かれた精鋭たちが、西洋社会を転覆させつつあるとする*。 「文化的マルクス主義陰謀論」批判者のポイントは、「フランクフルト学派」のアイデンティティ政治、ポリティ

    (小ネタ)『「社会正義」はいつも正しい』は、フランクフルト学派陰謀論や、文化的マルクス主義陰謀論にどう言っているか|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/12/10
  • 『「社会正義」はいつも正しい』の掲げた「リベラリズム」の空虚さ|田楽心(田中ラッコ)

    私は、足を大股開きにする男を底の方では信用しない。 ジェームズ・リンゼイと極右問題 『「社会正義」はいつも正しい』について最近、「共著者の一人ジェームズ・リンゼイは、反ユダヤ主義的・極右的な言動をする人物だ」と非難されている。 上記記事の「友達友達がアルカイダ」型のルーズな論証に対する疑義に、文字数を費やすつもりはない。それを踏まえても私は、大まかには上記記事の著者の見方にかなり同調する。 リンゼイの発言が、私の基準で見れば「一線」越えているのは確かだ(「批判的人種理論で白人虐殺されかねない論」、「レインボーフラッグを『敵の旗』と呼ぶ」)。今年9月頃に「リンゼイってヤバくない?」と友達から話しかけられ、事態を知った。 かつて「新無神論者」でありオバマ大統領を支持したリンゼイは、極右のモラルパニックのブレーンとして再出発した。https://t.co/3PTopb0w4P リンゼイ氏のツイ

    『「社会正義」はいつも正しい』の掲げた「リベラリズム」の空虚さ|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/12/09
  • 「性スペクトラム」モデルは「多様性」をサポートするか?|田楽心(田中ラッコ)|note

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    wuzuki 2022/11/21
  • トイレを性別で分ける防犯上の意味|田楽心(田中ラッコ)

    はじめに 少し前の8月17日に、「性別のない作家」山崎ナオコーラによるツイートがちょっとした物議を醸した。氏の「性別でトイレを分ける必要があるのか」、「私はトイレを性別で分けなくてもいい派でして」と問題提起した下記ツイートがそれだ。 「もちろん、それぞれのお考えや、いろいろな危険や、経験があるんだとは思うんです。ただ私はトイレを性別で分けなくてもいい派でして、それは7年ほど前の自著『母ではなくて、親になる』でも書いていおりまして、引用すると、「性別でトイレを分ける必要があるのか。 排泄行為は恥ずかしいもので、同性同士なら恥ずかしさが薄れるということはない。性犯罪抑止の観点があるのかもしれないが、同性同士の性犯罪もある。性別でトイレが分けられていると、 LGBTの当事者など、どちらのトイレに入ったら良いかで困る人も多い。」(Webarchive) https://twitter.com/na

    トイレを性別で分ける防犯上の意味|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/09/10
    概ね同意だけど、最後の“日本人男性は「マジョリティ」なので、女性専用車両などは差別にあたらないとされる”は疑問。「差別だが仕方ない」という人が多い印象。アジア人男性は性愛関係ではむしろ弱者のような。
  • イギリス裁判所「『TERFへの差別』は差別である」、との判決を下す。|田楽心(田中ラッコ)

    はじめに 去る7月27日、イギリスの雇用審判所は、「生物学的性別が重要であると信じる女性の権利を擁護する」判決を公開した。刑事弁護法を専門とする弁護士にしてLGBアライアンス創設者のアリソン・ベイリー[black lesbianでもある]は、彼女の「ジェンダー・クリティカル[TERFの中立的な呼び名]」な信念に基づく差別を会社から受けたとの主張が認められ、£22,000[約360万円]を手にした。※TERFとはトランスジェンダー、特にトランス女性に対して排斥的な立場とみなされたフェミニストの事で、一般的に蔑称である。 またベイリーの次のような信念が、平等法で保護される哲学的信念であると認められた。 ・セックス[Sex・生物学的性別]は現実的で観察可能だ。ジェンダー[Gender]は主観的なアイデンティティであり、観察できず、客観的根拠がない ・「トランス女性は女性である」という一審被告であ

    イギリス裁判所「『TERFへの差別』は差別である」、との判決を下す。|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/08/09
  • 「キャンセルカルチャー」を「処刑仮説」から説明する。|田楽心(田中ラッコ)|note

    要点「キャンセルカルチャー」の起源を、人類学の「処刑仮説」から考える。 危害恐怖とフェミニズム 個人的な話にはなるが、私の知り合いに、二次元美少女ものが好きなオタクがいる。同時にかれはオンライン上のフェミニストの振る舞いにもしばしば賛意を示し、このためいつの間にやら、厄介な立場に置かれるようになった。フェミニストによる「女性」表象批判と、それに対するオタクの反批判が激化する2010年代以降の激動において、しばしば板挟みに遭うようになってしまったのだ。 一度かれに、「どうしてフェミニズム寄りなのか。立場をどっちかに振り切らないと、苦しくないか」と尋ねた事がある。帰ってきた答えが、私には意外だった。いわく、「自分は誰かにうっかり危害を加えてしまうかもしれない、という不安や恐怖が強い。だからフェミニストが二次元イラストに対してする『女性に対する加害だ』との非難には、強い恐怖を感じて従ってしまう」

    「キャンセルカルチャー」を「処刑仮説」から説明する。|田楽心(田中ラッコ)|note
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    wuzuki 2022/08/06
    差別的な側面のある趣味嗜好を上手く引き受けられない、折り合いをつけられない人の居場所の必要性を感じる。弱い立場の人たちは連携して声を上げないともみ消されるので連携する必要がある、という構造もありそう。
  • 読んでいない本について堂々と「差別本」扱いする方法|田楽心(田中ラッコ)

    元タイトル:『むずかしい女性が変えてきた』 販売停止に賛同する人の、エリート意識がもたらす大きな反作用 を変更(2022/07/27) はじめに 大阪のtoi booksという書店が、ヘレン・ルイス著、田中恵理香 訳『むずかしい女性が変えてきた あたらしいフェミニズム史』(みすず書房 2022年5月16日)を「いったん販売停止」にした事が、Twitterで話題になっている。販売停止の理由は、ヘレン・ルイスが「トランスフォーブ」「トランスフォビック」(トランスジェンダーの人に対する不寛容、否定的な態度、言動、嫌悪)であるとの指摘を重く受け止めたためだと言う。 先のツイートについて、経緯や140字では書ききれなかったことなどの説明文を書きました。 さまざまなご意見あるかと思いますが、お読みいただけましたら幸いです。 https://t.co/ZrV0PTEMNY pic.twitter.com

    読んでいない本について堂々と「差別本」扱いする方法|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/07/07
    小さな個人書店が販売を一時的に見合わせることは「出版停止」ではないし、それを「焼き殺す」と評するのも疑問。ネットの断片的な情報だけを信じることが悪なら、否定的なレビューの読み書きも悪になるのでは?
  • 女性専用車両はどういった「特権」なのか|田中ラッコ|note

    Google検索に見る、「女性専用車両 特権」の意味 Google検索で、「女性専用車両 特権」でググると何件もの記事が引っかかる。「まあやはり女性専用車両の存在は、『特権』概念で擁護されてるよね…」と思っていたらどの記事も、私の想定する内容と真逆で驚いた。 検索上位2ページで確認できたほぼすべての記事が、「女性が男性よりも優遇されている」事例として女性専用車両を挙げていた。何件か引用してみよう。 「よって,女性専用車両は女性に特権を 与えているものであり,男性に対して不公平 であると認識されている。」 「よく「レディースデーや女性専用車両があって女の方が得だよな」なんて声も上がりますが、実態は逆ですよね…。」 「「女性専用車両」は名目上「痴漢対策」とは言え、表面上は女性だけの特権である。」 「男性がいないと安心だから・空いているからなどといった特権意識を持って女性専用車両を利用し、車内で

    女性専用車両はどういった「特権」なのか|田中ラッコ|note
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    wuzuki 2022/06/30
  • スティーブン・ピンカーに対する告発オープンレターを読んでみて|田楽心(田中ラッコ)

    今回論じる告発文私が今回補足したい事実は、告発有志による6つの告発の4番目に関わる。 かれらは、ピンカーの下記ツイートを、ピンカーから地位を取り上げる根拠になるものとして主張した。 The idea that the UCSB murders are part of a pattern of hatred against women is statistically obtuse | http://t.co/ZbWuSVLy6p — Steven Pinker (@sapinker) June 1, 2014 ピンカーの「UCSB[カリフォルニア大学サンタバーバラ校]の殺人事件が、女性に対する憎悪のパターンの一部であるという考えは、統計的に鈍感 statistically obtuseである」というツイート。このツイートに対し告発有志は次のように、女性差別を批判する声を弱めるものだと批判し

    スティーブン・ピンカーに対する告発オープンレターを読んでみて|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/04/26
  • 4/22|田中ラッコ|note

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    wuzuki 2022/04/25
    私も一緒に行った、回転寿司でのエピソード。/ 「活動家は経済的に余裕がない」というのも少し納得感はあるものの、一方で「余裕がある人だけが活動家になれている」という部分もありそうだよな……と思ったり。
  • ネットの配信文化が承認をめぐる競争を悪化させる危険について|田楽心(田中ラッコ)

    もくじ 1.Vtuberは脱資主義なのか 2.認知をめぐる競争 3.足るを知ること 1.Vtuberは脱資主義なのか twitterはてなのあままこさんに突っ込んで、ちょっと田原総一朗みたいな感じになってしまった。私が言及したのは「「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある」というタイトル記事の一部内容についてなので、詳しくはリンク先を読んで欲しい。あままこさんは記事でVtuber文化の持つ解放性を、こう述べている。 ====================== 僕は最近VTuberという存在にはまっているのですが、VTuberの多くは、自らを「社会不適合者」と自嘲し、「VTuberにならなきゃただのダメ人間」と言ったりします。実際、遅刻常習犯だったり、コンプラ無視の配信を繰り広げる彼・彼女らは、現実社会ではまともに生きていけないでしょう。 ですが

    ネットの配信文化が承認をめぐる競争を悪化させる危険について|田楽心(田中ラッコ)
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    wuzuki 2022/04/18
    新しい生き方を勧める無責任な大人はいつの時代もいたし、大きな括りではあまり目新しさはない話ではあるものの、「認知経済」の概念や「ケアの偏り、アンチリベラルの問題意識」と重ねる視点は非常に面白い。
  • 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』について|田楽心(田中ラッコ)

    人に貸して頂いた。ざっと読んだ。ある意味で評価が難しい。知人はいろいろ言及してるから、感想を書いといたら役に立たないこともないだろう。 このの語り口に、私はイヤな感じがした。 基的に、経済学の「合理的経済人」というモデルを批判するだ。 著者の経済学批判の特徴は、語り口が感傷と道徳的ニュアンスを帯びていることだ。「経済人(働く男)は女性を抑圧することで成り立つ」「経済人には愛がない」「経済人にはケアがない」とないないが続く。 流行りのケアの倫理とフェミニズムで、「合理的経済人にはXがない」という批判が続く。 この語り口が解放的と感じる人と、「イヤな感じ」がする人に分かれるだろう。私は後者だ。 著者の指摘が間違っているわけではない。 経済学は家事労働をGDPにカウントしない。確かにそうだ。 経済学的には環境破壊しても富が増える。確かにそうだ。 人間は、経済学が言うようにインセンティブだけ

    『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』について|田楽心(田中ラッコ)
    wuzuki
    wuzuki 2022/03/09
    私は読み途中。3章まで読み、3章末でようやくイラッときたかもしれない。語り口は「芝居がかってる演出」のように思え、「真正面から受け取るものではないもの」として私は読み取ったので、そこには違和感はない。
  • 共感について|田楽心(田中ラッコ)

    「重たい皮膚病の知らない男性に話しかけられた。助けてほしいと言ってたけど、すがりつかれそうだったので逃げた。ふだんマイノリティの人権が大事だと言ってるのに、自己嫌悪に陥った」ということを話してる人がいて、正直な人だと思った。 実は私は、「共感はナンセンス」という意見はナンセンスだと思っている。そういう人は大抵、「自分が共感できないタイプの共感(典型的にはリベラルな感じの)が嫌い/共感できない(このためおそらく疎外感がある)」というだけで、真に感情的孤独を好んでいるわけではないからだ。 確かに、認知バイアスが問題だとかそういったマクロな話は重要だけど、今言いたいのは、そういうことではない。 より深く他人から共感されることや、他人に共感すること。またはより深い「自己理解」に達することが、人生の最重要目的の一つなのかもしれない、と思う。私は他人と比較するとそういう傾向が小さいとは思うが、その感じ

    共感について|田楽心(田中ラッコ)
    wuzuki
    wuzuki 2022/02/07
    冒頭の病気の人の話と、終盤の「選別」の話、いずれも私が思い描く「共感」とは異なるけど興味深い内省。そしてこれ、ジェンダー差も大きいのではないかと思った。寄り添えない罪悪感、女性と男性だと違ってきそう。
  • 書評を書きました。|田中ラッコ|note

    wuzuki
    wuzuki 2022/01/30
    お疲れさまです。今回の書評は、これまでに訳した2編のようなバズり方はしていないようだけど、雑な持論補強に使われたりしていないのはそれはそれで良いことなのかもしれないな。
  • 批評理論が端的に分かった気がする|田中ラッコ|note

    さえぼう先生の『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (ちくま新書 2021年)で取り上げたい点が一つあって、それは「批評理論とは『社会的条件付け』を暴くものである」ということ。なお返却してしまったので、この文は精確な引用ではない※1。 「条件付け」という言葉は、フェミニズムの論文でも使われるようだが、私は心理学用語を思い出した。条件付けにも古典的条件付け、オペラント条件付け、社会的学習など幾つか類型があるが、どれも「何らかの認知や行動のパターンを習慣的に身に着けること[…てしまうこと]」である点が共通する。 認知や行動のパターン[習慣]には、個人がまわりの状況に上手く対処できるようになる適応的なものと、そうでないものがある。例えば外出するとき、玄関のカギを閉めたか閉めてないかと不安になって、ガチャガチャと何度も確認する。酷い日は、通勤のため途中まで歩いたのに、遅刻を気に

    批評理論が端的に分かった気がする|田中ラッコ|note
    wuzuki
    wuzuki 2022/01/11
  • 12/29|田中ラッコ|note

    wuzuki
    wuzuki 2021/12/30
    "自然体は、それがそのまま人間関係の「上限」でもある。より向上することがない。" なるほどねぇ。良い関係を築けているようで何より。
  • 後悔しています。|田楽心(田中ラッコ)

    詳細は省くが、江永泉さんとひと悶着あった。 約1年前、『反逆の神話』を読んで調子こいてたのは確かだ。でもそれだけではない。そもそも2020年頃まで私自身が明らかに反抗的な人間で、上司と衝突してはすぐ仕事を辞めていた。会社なんて搾取の道具でしかなく、上下関係は不当な抑圧でしかない。当然、威圧的に振る舞う上司は悪でしかない。だから納得いかないことに反抗して会社を辞めることは、社会のためになる善行でもある。このような認識でいた。30後半という自分の年齢を考えると、よくここまで(色んな方面への流れ矢を配慮したやわらかな表現で言えば)「未成熟」なまま生きてこれたと思う。この時期までなら、『ブルシット・ジョブ』やマルクス主義系の資主義批判の内容を、快く思ったことだろう。 『反逆の神話』を読んだのは、いつも仕事が続かないのは、自分の振る舞いのせいもあると反省を感じ出し、変わろうと思った頃だった。私の

    後悔しています。|田楽心(田中ラッコ)
    wuzuki
    wuzuki 2021/12/20
    私も最近、未成熟さを痛感させられる出来事があり、ラッコさんが他人とは思えない……! 周縁的な人たちに対する思いもわかる。/『反逆の神話』『闇の自己啓発』話題になってたのは知ってたけど私は未読なんだよな。
  • 徳とアイデンティティ・ポリティクス|田中ラッコ|note

    wuzuki
    wuzuki 2021/11/21
    引用されてるツイートは私の目にも留まったけど、どうも受け付けなかったんだよな。私はそもそも「観光地」の概念が好きでないので、よそ者が「品性があるべき」というのは烏滸がましく感じたのが大きいかも。