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あとでみると脱社畜に関するyadokari23のブックマーク (5)

  • 楽しみながらでも、人は成長できる - 脱社畜ブログ

    「成長」という言葉を使うと、なんだか意識が高くて背中のあたりがムズムズしてしまうのだが、今日はそんな「成長」について少し書こうと思う。 まず、最初に「成長」という言葉の意味を明らかにしたい。ここでは、単純に「現在の自分が出来ないことが、出来るようになること」と定義したい。また、「成長」を見返りにした不当な搾取的労働は、絶対に是認できないということも表明しておく(成長とかいらないからまずは残業代ちゃんと払えよなど参照)。 こういう前置きをした上で、今日書きたいのは、「人は、別に苦しまなくても成長できる」という話だ。「成長」を謳うベンチャー企業などは、「仕事は辛いことも多いです。でもその分、大きく成長できます」ということを言ったりする。こういう話を聞いていると、「成長」は苦しんだ先にしか存在しないように思えてしまうが、決してそんなことはないということを今日は書きたいと思う。 まず、人が成長する

    楽しみながらでも、人は成長できる - 脱社畜ブログ
  • 会社法では「社員」=「株主」 - 脱社畜ブログ

    今日は、「会社は誰のものか?」という話について書きたいと思う。これは、会社法上は明確に答えが出ていて、会社は「社員」のものである。ただし、この場合の「社員」というのは「従業員」のことではなく、「株主」のことだ。 実は、会社法上は「社員」とは「株主」のことを指し、会社で働く人は「従業員」という名称で「社員」とは明確に区別されている。日では、従業員のことを社員と呼んでいるケースが多いが、法律上は会社の構成員ではなく、会社が雇っている人に過ぎないのである。この仕組の下では、例えば会社の業績がよくなって、ものすごく儲かったとしても、それは「社員」=「株主」にしか還元されない。これが不当だとかそういう話ではなく、そもそも株式会社とはそういう仕組みである。 このあたりのことは、株式会社のしくみを勉強すれば当たり前のことなのだが、日では意図的に混同されているような気がしてならない。従業員こそが会社の

    会社法では「社員」=「株主」 - 脱社畜ブログ
  • 「働くこと」と「食べること」 - 脱社畜ブログ

    当たり前だが、生きるためには「べること」が必要不可欠だ。基的に人間は事をとらずに生きていくことはできない。そして、自給自足でもしない限り、べ物を入手するためにはお金が必要で、多くの人はこのお金を労働によって得ている。 そういう意味で、「働くこと」と「べること」は、かなり近い距離にある。「なぜ働かなければならないのか」という問の、もっとも原始的でシンプルな答えは「べるため」である。実際、働いて独立生計を立てることを「メシをう」と表現したりすることもある。(異論がある人もいるだろうけど)僕たちは、基的に「べるため」に働いているはずだ。 しかし、この国では、どうもこの基的な関係が崩れているような働き方をしている人が多すぎるような気がしてならない。「べるため」に「働く」はずが、「働くこと」で(まともに)「べられなくなっている」のだ。 いきなりだが、ひとつ質問をしたい。あなた

    「働くこと」と「食べること」 - 脱社畜ブログ
  • 脱社畜ブログをどうやって書いてるかを書いてみる - 脱社畜ブログ

    読書猿ブログをどうやって書いているかを書いてみる http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-647.html このブログをどうやって書いているのか書いてみる http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/01/110646 僕は、情報の整理というやつがあまり得意ではない。Evernoteとかを昔ちょっと試しに使ってみたこともあるのだが、なんだか肌に合わなくてすぐに使わなくなってしまった。情報整理術の古典である『思考の整理学』(外山滋比古)を読んでみたりもしたのだが、メタノートを作るとか「なるほどなぁ」と思ってはみたものの、何ら生活に組み込まずに今に至っている(もっとも、『思考の整理学』自体はとてもよいなので、読んで無駄になったとは思っていない)。 思考の整理学 (ちくま文庫) 作

    脱社畜ブログをどうやって書いてるかを書いてみる - 脱社畜ブログ
  • 働きたくないという気持ちから逃げちゃダメだ。 - 脱社畜ブログ

    今日は天気もよくないし、選挙特番を見て夜更かしをしてしまった後の月曜日だということもあって、今年最大に近いくらい「働きたくない」という気持ちが高まっている。「働きたくない」という気持ちはもともと常にあるのだけど、たまにとんでもないビッグウェーブがやってきて、僕の社会生活を脅かす。今日はそんな感じなので、いつもとはちょっとだけ趣向を変えて、この「働きたくない」という気持ちについて思うところを書いてみることにする。 この「働きたくない」という気持ちは、程度の差はあれ結構多くの人が感じているのではないかと思う。世の中には、こんなことを全く思いつかないくらい働くことが楽しかったり、働くことを人生そのものと捉えられる人たちがいるようだけど、そういう人たちばかりで社会が構成されていないことは、例えば通勤時やオフィス街におけるサラリーマン達の顔を見ればわかる。「働きたくない」という気持ち自体は割と自然な

    働きたくないという気持ちから逃げちゃダメだ。 - 脱社畜ブログ
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