ぼくには、いつだって「世間からは認められないだろう」という思いがある。それは今だってある。ドラッカーは「顧客からスタートしろ」と言った。それは分かる。芸術でも何でも、他者に認められて初めて価値がある。しかしながら、こと芸術に限っていえば、そこに一つだけ問題がある。というのは、すぐれた芸術――後世に残るような芸術というのは、えてして「同時代人には認められない」という現象があるのだ。 その例には枚挙にいとまがない。ソクラテス、ゴッホ、カフカ、宮沢賢治。中でも、最も象徴的な例として、セザンヌを挙げることができる。セザンヌは、絵画というものを突き詰めていく中で、やがて「絵の面白さとは写実性にではなく、ある種の心象風景のように、ちょっと歪んだものの中にこそ宿る」と考え、あえて遠近法に則らない描き方で絵を描いた。遠くのものを大きく描き、手前のものを小さく描いたのだ。すると、その評価は散々なものだった。