大河ドラマ「平清盛」をイラストに描く、その名も「盛絵」が局地的に(?)ブームとなった2012年。 この盛絵ブームには多くの漫画家さんが参加されていましたが、久世番子さんはその先駆けとして第22回『勝利の代償』以降、たくさんの盛絵を描かれました。 勝手ながらそのまとめを作成させていただきました。
テレビのゲームショーで卑怯ともとれる態度をして賞金をせしめた芸人が、ツイッターで激しくバッシングされ、その芸人はツイッターを閉鎖したとのこと。この一件から、タレントの有吉弘行が「現在のテレビ視聴者像」を分析したそうです。記事によれば、彼は当該の芸人を叩いた視聴者を「頭が悪い」とし、次のように締めたということです。 しかし、有吉は「逆に言えば」と続けた。こういったバラエティ番組でも、スポーツのように真剣に視聴している人が多いことが証明できたという。例えば、バラエティ番組内で感情を露わにし、涙でも流せば真剣に「いい人だ」と思ってくれる。有吉は「今から涙の準備でもしておこう」と皮肉交じりに語った。 こういうやりとりを見ていると、まるで時間が15年ほど巻き戻ったかのような目眩を感じます。リアリティTVの走りである電波少年を見て、猿岩石がヒッチハイクする様子をすべて現実と思い込んで2人を崇め奉り、猿
<1988年12月> 昭和最後の年越しとなった88年末、ラジオが一本の「実話童話」を放送した。この話が「涙なしでは聞けない」と評判を呼び、ついには社会現象になった。作者もマスコミの寵児(ちょうじ)となるが、過去を知る人に告発され、一転して疑惑の人に。 大晦日にFM東京は、「ゆく年くる年」の中で「一杯のかけそば」と題した童話を朗読で放送した。作者は民話の語り部活動を行っている栗良平(当時45)なる人物。 この作品は70年代初頭、2人の子供を連れた貧しい身なりの女性が、札幌のそば屋を訪ねるところから始まる。女性が頼んだのは150円の一杯のかけそば。店主は何も言わずに半玉をサービスし、親子3人はそのそばをおいしそうに分けて食べた。こんな交流が毎年、大晦日に数年間続く。 ところが、ある年から3人はパタリと現れなくなった。店主はその後も、大晦日は彼らの席を予約席にして待ち続けたが……。そして
今年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、法皇・上皇らによる院政体制を「王家」と呼んでおり、ネットでは「『皇室』『天皇家』ではないのか」といった議論が起きている。同作品の時代考証にあたった気鋭の中世史家、本郷和人 東京大学史料編纂所准教授と「肉食と草食の日本史」(中央アート出版社)の共著もある作家の堀田純司氏に、「王家」問題について寄稿してもらった。(編集部) このような話題にうかつに首をつっこまずに過ぎ去るのを待つのが大人の態度だと思うのですが、この話題は実は「表現における用語の規制」に関わるものです。ですので非力かつ超末席ながら、言葉を使う商売のはしくれとして、あえて大河ドラマ「平清盛」における言葉の使い方について解説してみようと思います。いたらぬ人間の解説ですが、なにかの足しになれば幸いです。 今、一部で話題のNHK大河ドラマ「平清盛」で使われる「王家」という皇室の呼称ですが、まずこれは
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