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Animeと言葉に関するyadokari23のブックマーク (2)

  • コンテンツと生活の距離感ver1,03〜なぜ右子左子論争は拡大したのか?〜 - かくいう私も青二才でね

    久々にオタク論っぽい記事を書いてみようと思います。 まずは、こちらの画像をご覧ください。 この画像はTwitter上で「どちらの子が好きか」という議論を呼び起こした画像である。通称「右子と左子」と呼ばれている訳だが…茶髪の女性が左に立ってるか左子。黒髪の女性が右に立ってるから右子と呼ばれている。 主な論争としては「どちらが良いか」という論争に加えて「百合だと、どちらが攻めでどちらが受けか」という百合が好きな男達の不毛な議論が巻き起こったのです。(ここでいう「不毛な議論」とは「答えがなく終着点がない」という意味である。くだらない・意味がないという議論ではない。) 「究極の二択論」がどうしてここまで盛り上がった? 私にはこの絵がなぜ、ここまで論争になったのかが理解できない。いや、理解できな「かった」。理解できなかった主な理由は「究極の二択論」…つまり、極論による二元論だからである。右子でも左子

    コンテンツと生活の距離感ver1,03〜なぜ右子左子論争は拡大したのか?〜 - かくいう私も青二才でね
  • アニメを「切る」という表現に含まれるニュアンス - subculic

    アニメーションテレビアニメに対して「切る」という表現をみかけるようになったのは、いつ頃だろう。頻繁に、とまでは言わないが、たまに「アニメを切ると言うのはいかがなものか」と提起されている場面にでくわす。微妙なニュアンスを残す表現だなと思っていた。少し、考えてみたい。そもそも、「切る」と表現されるのは利便性に優れているからだろう。カジュアルに意思表明できる。視聴意欲がない、途中で観なくなったと書くより、「切った」と書けば短く断定をもって伝わる。加えて、ヘビーユーザー的な表現だとも思う。現在放送している、または放送予定のテレビアニメ(クールで区切られる深夜アニメや一部朝アニメに限定されることも多いが)の“すべて”を候補としてチェックリストを作成する思考方式だ。ひとつふたつではなく、候補の多さゆえに使われる表現。これは同人誌即売会における買い手のサークルチェックに近い。行きたいサークルが多くなると

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