明治維新の立役者の一人、西郷隆盛が西南戦争(1877年)を起こした原因の一つとされる隆盛の暗殺計画を巡り、当時の鹿児島裁判所の裁判官ら7人が、明治天皇に、停戦して暗殺計画の首謀者を裁く「非常ノ宸断(しんだん)」を仰いだ上表文が見つかった。 鹿児島市立西郷南洲顕彰館が20日、発表した。 薩軍を「賊徒」として鎮圧しようとする政府に異議を唱えており、草創期の司法の独立がうかがえる文書として注目され、同館で21日から展示される。 上表文は昨年2月、東京・神田の古書店で発見された。同戦争最大の激戦となった田原坂の総攻撃が始まる前日の1877年3月3日付で、天皇の侍従と太政大臣を通しての密書の形をとっている。 不平士族に捕らえられた警視庁警察官が拷問の末、自供したという暗殺計画が西郷挙兵の理由ではと推測し、「源ニ遡リ其(その)首謀者ノ者ヲ処スルニ法律ヲ以テシ」と原点に戻り法律でその首謀者を裁く