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自分撮りに関するyamaigaのブックマーク (41)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 真倉の切割

    今回紹介したいのは、房総半島の南端を走る国道410号が、洲崎(すのさき)へと連なるその中央分水嶺を越える地点に穿った、「真倉(さなぐら)の切割」と呼ばれている道路である。 東京都心から南南東へ約90km、関東地方では最も温暖な地域にあるこの地域は、今日でこそ交通の便も十分に開け、年中多くの観光客が訪れているが、内房と外房の結節点である館山より南は、交通の面でも長らく「半島の中の半島」と呼べる不利な条件に置かれていたのであって、この「真倉の切割」は、明治期に車馬の交通を辺境へともたらした、画期的な交通施設であった。 今日では切割がある分水嶺の北も南も館山市の一部であるが、昭和29年より前は歴とした市村境だったのであり、南側が安房郡神戸(かんべ)村、北側が(旧)館山市であった。 現在は大字上真倉と大字藤原の境目となっている。 これから現地の風景を紹介するが、天与の地形に人がその英知と胆力をもっ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

    このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 松姫湖の廃隧道

    日野市の自宅から約70km離れたところにある山梨県大月市の葛野川(かずのがわ)ダム【地図】には、これまで何度も足を運んでいる。 そこにはダム建設によって発生した旧国道や、松姫湖に水没した林鉄跡など、いくつもの見どころがあるからだ。 そして数多い見どころの中でも、この地を訪れるだけで誰でも簡単に発見できて、しかもインパクト抜群なのが、今回紹介する廃隧道である。 ただし、残念ながら正式な名前は分らない。 2010/3/15 9:35 ここは葛野川ダムの堤上路。 この右側にダム湖である松姫湖の湖面が広がっている。 そしてこの場所に来さえすれば、誰しもが廃隧道を見つけてしまう。 その割にこの物件がメジャーになっていないのは、堤上路が閉鎖されていることが少なくないことや、そもそも観光地でもないこのダムを訪れる人が、あまり多くないせいだろう。 なお、葛野川ダムは高さ105m、堤長263mの重力式コンク

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 外沢地区

    今回紹介するのは国道148号の旧道で、特に長野県小谷村下寺から同村中土(なかつち)地区までである。 ここは小谷村の幹線道路である国道148号が、もっとも大きく付け替えられている地区であり、外沢(そとざわ)という踏破のし甲斐がある難所を含んでいる。 なおここは、以前レポートした「国道148号旧道 下寺地区」の南側に繋がる区間であり、同日に連続して探索している。 今回は「序」ということで、歴代の地形図でルートの変遷を追いかけてみよう。 別にこの行程を経なくても旧道の存在は現地で明らかなのだが、小谷村が経験してきた自然災害の歴史と、それに伴う壮絶な路線付け替えの様子を、予め知っていただきたいのである。 まず最初にお見せするのは、現在の地形図だ。 「道の駅小谷(おたり)」がある北小谷下寺地区で、新旧の国道は並走している。 そしてここから姫川沿いを南下して、中小谷の中土地区に至るまで、外沢北側の一部

  • 【山さ行がねが】ミニレポート

    yamaiga
    yamaiga 2010/06/07
    <ミニレポ-71>県内最後から二番目の林鉄跡
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋

    有数の観光名所である栃木県は日光。 広大な日光観光圏のなかでも特によく知られた景勝地が、華厳滝(けごんのたき)である。 大谷(だいや)川にかかる落差97mの直瀑は「日三大名瀑」に数えられる偉容を誇り、初めて目にした老若男女誰しもが感嘆の吐息を漏らす。 私は日光市の回し者ではないが、今まで自身が二度観光で日光を訪れ畏怖を持って滝を眺めた経験と、その展望台で一様に魂を抜かれたように滝を眺める群衆を目撃した経験からそう言える。 先に言ってしまうと、残念ながら今回のレポートでは天候の都合上、ナマの華厳滝は拝めなかった。 なので、華厳滝をまだ見たことがないという読者の期待には応えられないかもしれないことを、あらかじめお断りしておく。 さて、華厳の滝を実際に観覧された経験のある方ならばお分かりだと思うが、通常この滝を間近に眺める方法は一通りしかない。 それは、「華厳滝エレベーター」という有料のエ

  • 橋梁レポート 斉内川(神成)の洗い越し

    平成17年3月に市町村合併により大仙市として再出発を果たした、秋田県仙北郡の7市町村。 その一角、奥羽山脈の西麓に位置する旧太田町と旧中仙町は、いずれも同じ悩みを長年共有してきた。 生活用水問題だ。 この2町はともに、奥羽山脈が形成する巨大な扇状地に町域のほぼ全てが含まれており、山脈から吐き出される豊富な水は大部分が扇状地特有の伏流によって、河川流量が不足する状況にあった。 農業用水こそ、世紀の大事業として昭和初期から40年代までに完工した田沢疎水(第一、第二)によって確保されたものの、住民たちの生活用水は今なお、自家用の井戸による取水が大部分を占め、しかもその安全性に近年は疑問符が出されている。 この問題の根が深いのは、つい近年まで両町の境に流れる斉内川の上流、真木渓谷に県営ダムを建設し取水する計画があり、実際に両町はそれをあてにした上水道計画を行ってきた点にある。 しかし、県ではここ数

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 明智隧道

    関東よりも東にお住まいの方であれば、この小さな地図を見ただけでどこだか分かるのではないだろうか。 一切文字は見なくても分かったよ。 という人もいるだろう。 ここは、《現在地》 栃木県日光市のいろは坂付近である。 左に見える水面が中禅寺湖で、その右側に周回する2の国道。これがいろは坂だ。 いろは坂は現在2あり、北(上)のいろは坂が「第一いろは坂」、南が「第二いろは坂」と呼び分けられている。 このうち、「第2いろは坂」の一部には旧道と旧隧道が有るのではないかという鋭いツッコミが、今年の1月に当サイト掲示板において、 ミ・ω・ミ さんから寄せられた。 (HNはどうお読みすればよいのでしょうか? “ヌコ顔”さん?) ミ・ω・ミ さんが指摘されたのは、第2いろは坂の中禅寺湖側終点と明智平の間にある2のトンネルが、地図によって描かれ方が違っているぞと言うことだった。 確かに、地形図(左)と市販の

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧口野隧道

    当レポートが最後に辿り着く結論は、事実と異なる誤説です。 正しい事実をお知りになりたい方は、「おぶろぐ!(2010/1/22エントリ)」をご覧下さい。 一応レポートを最後まで読まれてから確認された方が、分かり易いかと思いますが…。 上の3枚の地形図は、同じ場所を示している。 【周辺地図】 明治、戦後間もなく、そして現在─。 この一世紀のうちに地上を席巻した人間の土木力は、その動線としての道路のみならず、川の流れや海の形、地形そのものまで大規模に改変してきた。 そんなことをありありと見せつける、僅か3キロ四方の地図である。 この中に、明治時代には既にありながら、戦後間もなく地図から消滅した、“足の速い”隧道が描かれている。 仮にこれを、平行位置にある現在の国道414号口野トンネルの旧トンネルと比定し、「旧口野隧道」と名付ける。 3枚の地図を一枚に重ねてみた。 そして浮かび上がるルートの変遷。

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 三陸海岸 真木沢隧道群

    三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。 三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。 中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。 実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。 無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。 北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者に

  • 隧道レポート 田代隧道

    2005年12月末に実施した読者アンケートには、この一年の山行がに対する満足度を問う設問があった。 多くのご意見を戴いた中でも、ある一つの意見が、私の胸にグサリと刺さった。 ただ今回「大満足」にしなかったのは隧道のネタが以前に比べて規模が縮小したような感じがしたからです。山行がの特に「隧道」ファンとして、これからの隧道ネタに期待したいと思います。 イタタタタタタタタ… すっげー、痛いところを突いてきてる。 私自身、隧道探索という点ではパンチの弱い一年だったことを認めざるを得ない。 もはや、近場に決定的な隧道が(おそらく)存在しないこともあるし、たとえ遠方まで出張っていったとしても、なかなかどうして並みの廃隧道や、他のサイト様で貫通されている物などでは、私自身が無理に興奮出来るとも思えないところがある。 申し訳ないが、わたしはもう。他のサイト様が「すげー」とか「こえー」と言っている隧道の大半

  • 隧道レポート

    五百刈沢隧道は、秋田市の北部、外旭川と上新城を分ける稜線上に幾つもある隧道のひとつだ。 この稜線は、太平山地の末端に位置し、太平山前衛の山々を取り囲むように存在するが、その標高は100mにも満たない。 そして、上飯島地区の飯岡山を最後のピークとして、あとは、かつては海の底であった広大な水田地帯に落ちている。 五百刈沢隧道は、私にとって、山チャリで出会った初めての隧道(トンネルではなく、隧道)であり、その消長というほどではないが、十年来の姿を追ってきているので、とくに思い入れがある。 まあ、当サイトで紹介している他の隧道に比べれば、迫力には乏しく、ただの狭くて小さな隧道と見えると思うが、どうかお付き合い願いたい。 今回は、新たな発見があったので、これを中心に、五百刈沢隧道の再訪レポートをお送りする。 2003年12月11日、午前8時すぎ、自宅から5kmほどの地点にある五百刈沢隧道を目指し、主

  • 隧道レポート

    秋田県の南部内陸は広大な丘陵地帯に覆われている。 ここを出羽丘陵と呼ぶが、中でも仙北郡に属する一帯は、標高500mを越えるような高所の少ない丘陵の中でも特に低山が多い。 凸凹のような山々と無数の沢が不規則に広がり、人里に近かったことから驚くほど奥まで耕地化されている。 そこには、縦横無尽に小規模な道が張り巡らされていて、部外者にはまるで迷路のよう。 それでも、近年は縦貫するように広域農道が完成しており、バイパスとしてここを利用す地域外の車は多い。 もはや、その広域農道を除いては、多くの道が存在意義を失いつつあり、廃道化した道も少なくない。 そのうちの一つ、西仙北町大沢郷宿から南外村楢岡に抜ける峠道を紹介しよう。 広域農道は出羽グリーンロードという愛称で呼ばれている。 丘陵中では幾度と無く他の道と交錯するが、信号が設置されている場所は無く、この峠道に至る分岐も車なら一瞬で通り過ぎてしまう。

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 第二次探索 杉山編

    かつて飛騨地方の北辺、高原川沿いの険しい山間部において、軌間610mmという鉱山軌道でありながら旅客営業をも行っていた神岡軌道。 その希有な存在は“参考文献”などによって世に知らしめられ、廃線を愛する人々には広く知られてきたものであるが、その廃線跡の詳細な現状については、全長50km近い総延長や長期間の放置による路盤荒廃のため、ほとんど明らかではなかった。 長大な廃線跡の全貌をこの目で確かめるべく、私と永冨氏が合同して平成20年7月に2日間をかけた最初の探索を行った。 このときの探索目標は、全線中でも特に長く利用され旅客営業も行われていた、猪谷~神岡町間(23.9km)。(右図参照) 探索は一定以上の成果をあげたものの、いかんせん真夏の藪の最も深い時期であったことや、徒歩と自転車という移動手段の貧弱さに苦しめられ、当初予定していた全線踏破には至らず、途中に何か所か「保留」とさせて貰った区間

  • 【山さ行がねが】道路レポート 牛岳車道

    先日、日有数の僻山村「利賀村」(現:南砺市利賀)に関する最初のレポート「隧道レポート 栃折隧道」を公開したばかりだが、利賀村の探索自体は栃折峠がほとんどラストであった。 そしてこれから述べるのは、“利賀村への最初の進入”の場面だ。 利賀村への入路としては古くから2のルートがあった。 ひとつは八尾方面から栃折峠を越えるもので、もうひとつは井波や庄川方面から利賀川をさかのぼるものだ。 いずれも現在では国道471号となっているが、その完成は一時に成されたものではなかった。 これから紹介するのは後者のルートで、特に青島(庄川)から高沼までの区間は、利賀村内を通った歴史的に最初の車道だった。 その開通は、明治時代にまでさかのぼることが出来るという。 牛岳(海抜987m)の山腹に「ある目的」をもって通じた道は、「牛岳車道」と呼ばれるものであったが、この後で述べる私との出会いは衝撃的であり、まだ見ぬ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号 大嵐佐久間線

    2009/1/24 7:35 国道473号の佐久間発電所入口交差点。 JR飯田線佐久間駅に近いこの場所から「道路レポ」を始めよう。 これからまず向かうべき場所は佐久間ダムだ。 そこが今回の題「県道288号」の終点なのだ(終点→起点方向の探索)。 現在地からダムまでの距離は約4.2km、高低差プラス120mほどであるが、敢えて省略はせずレポートしたい。 交差点を西に進むと、まだ新しい国道473号の標識と共に金網に囲まれた一角が現れる。 そこは飯田線旧線の佐久間隧道が眠る、「電源開発株式会社 佐久間発電所」の敷地だ。 金網から下を覗くと、思いを残す塞がれた坑門が間近に見えた。 そして現れる、2車線を収容するには以下にも窮屈そうな隧道。 直前に立つ標識は、S字カーブにトンネルの記号を組み合わせたような特注品だ。 「トンネル内狭く カーブ 注意」らしい。 全く殺風景な坑門には扁額など自己主張する

  • 【山さ行がねが】道路レポート 奈川渡ダムの謎の道

    前に、長野県松市にある奈川渡ダムそばの国道158号、「入山トンネル」の東口坑口前で、右の隧道を発見したのを覚えているだろうか。 そのときのレポはこちら→【道路レポ 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム (第5回)】 その場所はこちら→【周辺地図(別ウィンドウ)】 それは、人が立って入るのがやっとと言うくらいに狭い、明らかに人道用の隧道である。 写真に出口は写っていないが、長さはかなり短くて、覗き込むと向こうの光が20mくらい先に見える。 しかし、入り口には施錠された鉄格子が填められていて、進入はできない。 この閉ざされた隧道は、こんな異様な場所にある。 国道の直角コーナーの先にあるにしてはあまりにも目立っていない。 周りに存在感のある標識や看板が多すぎるためだが…。 ドライバーに危険な錯誤を起こさせかねない正面の隧道にはスッコンデいてもらいたい。 それが松工事事務所の音であろう。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム~奈川

    【周辺地図(別ウィンドウ)】 このレポートは、「道路レポート 国道158号 水殿ダム~奈川渡ダム」の続編である。 nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。 ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4の隧道たちだ。 水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4。 由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。 なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、“トンネルではない「隧道」への目覚め”のエリアである。 特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時

  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道201号 十里木御嶽停車場線

    【位置】 一般都道201号十里木御嶽停車場線(じゅうりぎみたけていしゃばせん)は、あきる野市十里木から養沢(ようざわ)へ入り、日の出山山頂付近、御岳山山頂付近を経て青梅市滝へ下り、さらにJR御嶽駅前に達する全長15kmあまりの都道である。 この道には都道としては珍しい自動車交通不能区間が約3kmという長距離(あきる野市養沢~青梅市御岳山)にわたって存在するばかりでなく、一部で2路線の都道が交通不能区間のまま重複するという、日唯一の区間がある。(これは県道でも珍しい) 正直、3kmという交通不能区間をチャリで踏破する事への不安は小さくなかったが、都内ということでそれなりに踏まれているだろうと考えてチャレンジしてみることにした。 またこの道には、私にとって前述の交通不能都道同士の重複区間ということ以上に興味深い“エリア”があった。 それはあきる野側(図中右下)から行って自動車交通不能区間の

  • 【山さ行がねが】道路レポート 保台清澄連絡道路

    2008/4/2 10:34 <現在地と周辺地図> ここは、2000年に完成したばかりの保台(ぼだい)ダムの堤体の上。 クルマからチャリを降ろし組み立てる。 (保台ダム:千葉県鴨川市の待崎川上流にある上水道・灌漑用ダム) 今は、2008年4月2日の午前10時半過ぎ。 これから、日のメーンディッシュへ挑む。 いまは、精神修養中だ。 この旅は、きっと過酷なものとなるだろう。 ダム湖の周りには一周約3kmの周回道路が作られているが、ターゲットはダムサイトより400m上流の地点で周回道路から右へ分かれる。 図に描かれた湖畔のカタチを見て欲しい。 決して大規模ではない人造湖がこんな複雑なカタチをしている訳はなんだろう? それは、地形が複雑に入り組んでいると言うことに他ならない。 この場所にダム湖が作られた理由を考えて欲しい。 簡単なことだ。 それは、谷がとても深いからだ。 10:39 装備と気持ち