先ほど「水の都」で「町中に水路が引かれた」と書きましたが、実際のヴェネツィアは海に浮かぶ島、というより、ほとんど大きい岩礁程度の小島に過ぎず、水路は「引かれた」のではなく、海上に浮かぶ小島や干潟を整地した結果、運河が縦横に走るような現在の街が生まれたというのが実際のところと聞きました。観光地的なイメージは、本末が転倒しているような気がします。 直径数キロメートルの小島に過ぎないヴェネツィア。それが、中世後期からルネサンスにかけてのかなりの長い時期「そのほかの全西欧」を合わせたよりも多くの財貨が集中した<黄金の都>として栄えたのはどうしてなのか? ヴェニスの歴史を追う時、私はそこに21世紀「東アジア経済圏」全体を見るうえで、日本という「孤島」にとって、極めて示唆的な情報が詰まっているように思われてなりません。ヴェニスの過去に学ぶ日本と東アジアの現在と未来という枠組みで、これから暫く、断続的に
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