ブックマーク / amamako.hateblo.jp (30)

  • なぜ政治において「右」と「左」はいまだに重要なのか - あままこのブログ

    2024年10月27日に投開票が行われる衆議院選挙。 いままでも僕は選挙のたびに色々記事を書いてきました。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp ある時は選挙に行く意義を考えてみたり、ある時は特定の政党を支持してみたり、またある時は選挙の不健全さを嘆いてみたり…… ただ今回は、正直「選挙」というところに焦点を合わせた記事を書く気がしません。それは、前回の記事で書いた通り、現在の選挙、そして選挙についてインターネットで語ることに、強く嫌悪を感じるからでもありますし、昨今の政治ショーがあまりにバカらしすぎるという理由もあります。 なので今回は、選挙というイベントから離れて、「政治というのはどのように考えて行動すべきか」というところに焦点を当てた、記事を書きたいと思います。 僕は政治

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  • 「まどマギの社会的責任についての問題提起」について - あままこのブログ

    「『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』を見て泣いた子供がいた」というツイートにまつわる話 - Togetter まどマギの社会的責任についての問題提起 - Togetter 時間があまりないので取り急ぎ 僕の立ち位置 まどマギは「間違ったメッセージ」を正当化するものであり、僕はこのような物語を認める訳にはいかない(特に最終回) まどマギにかぎらず、作品に対する評価は、個人的なものから出発しながらも、議論を通じて、公共的なものへ向かう意思を持たなければならない 年齢制限を設けることやレーティング規制をおくことには反対。 宣伝における十分な説明は努力規定としてされるべきだが、それも強制はできない また、親も、もし子どもが「まどマギを見たい!」と言うのなら、それを止めるべきではない しかし親が、別に見たいとも言っていない子どもにわざわざまどマギを見せるべきではない ただし、親が当にまどマギを素晴

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  • 創作者のミソジニーが「表現の自由」を自壊させていく - あままこのブログ

    note.com 前回の記事では、小島氏の記事に対し批判はしましたが、小島氏が参照する上記の記事については批判しませんでした。なぜかといえば、小島氏の記事についてはまだ一片の正しさがあり、そしてそれ故にきちんと論難しなくてはならないと思えるものでしたが、この「さいたま」氏の記事については、ただの下劣な、女性オタクに対する憎悪扇動であり、論ずるに値しない程度のものであると考えたからです。 ただそうやってこの記事をやり過ごせるのって、結局僕が上記の記事で憎悪の対象とされるような女性オタクではない、男性としての特権を持っているからなわけです。そう考えると、僕がこの記事をきちんと批判しないことも、特権性に対する居直りではないかと考えるので、今回はこの記事を批判します。 批判の要点は次の2つです。 「女性は論理より感情を優先するからお気持ちを喚く」「男性は論理的だからお気持ちなんて喚かない」という決

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  • 「職人的」な社会学は本当に社会を良くするのか? - あままこのブログ

    tanemaki.iwanami.co.jp はてブで珍しく社会学に対する肯定的な反応が数多く寄せられていますね。最近のインターネットでは殆ど社会学なんてパブリックエネミーみたいな扱いなのに。 ただ、むしろこの文章が評価されているのは、そういうインターネット上でパブリックエネミーと化した社会学のイメージを肯定し、「俺たちはそれとは違う実直な社会学をやるぜ」という主張をしているからとも言えます。 大風呂敷を広げた預言者v.s.「職人的」な社会学者 この文章の著者である岸政彦氏は、まず以前の岩波講座社会学について 前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさ

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  • 如何にして相手の名前を呼ぶか - あままこのブログ

    たまには短文エントリでも書いておかない*1とブログ記事を書く敷居が上がりすぎて更新停滞の原因となってよくないので、まぁtwitterで2、3回つぶやけば済むような話だけどこっちに書く。 「敬称」ってものがある。名前の後に付ける「○○さん」とか「○○くん」とか「○○氏」とかそういうものだ。それを、どういうケースの場合どんな風に付けるかという話。 学術論文の場合話は簡単だ。基的に論文の中で書かれる名前って言うのは、何かの著書であったり論文を書いた人な訳で、その場合は例えば「鈴木によれば」とかいうように敬称なしでいっても全然問題ないだろう。ただインタビューとかの聞き取り調査の場合は「Aさんの語りによれば」とかいう風に、さん付けみたいな敬称を付けても問題はないのかなと思う。ただこれも「Aの語りによれば」というように別に敬称抜きでも問題はないだろう。 問題はそういう論文じゃないケース。例えば僕が困

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  • そういう「他人とのどーでもいい比べあい」自体が嫌なんだけどな - あままこのブログ

    多分今回書くような議論はこれまでにも何回も繰り返されてきたことで、今更僕が書いても何の新鮮味もないことなのだろうけど、でもまぁ、繰り返すことが必要なこともあるんじゃないかとも思うので、車輪の再発明をすることにする。 非モテをこじらすと治らない - 常夏島日記 非モテの苦しみを綴った文章らしく、はてなブックマークのコメント欄でも共感するようなコメントが多く寄せられているんだけど、僕は全く共感できなかった。というかむしろ、この記事で述べられているようなタイプの男どもは僕が最も嫌いなタイプの人間であって、共感も同情も全く感じず、ただただ「こういう薄汚れた畜生どもが世の中から抹殺されれば、この世の中はもうちょっと素晴らしい世の中になるのになぁ」としか思わなかったのよね。 当にそれは「非モテ」が原因か? 確かにこの記事では、自分たちが女性にもてなかったことが、自分たちの性格を歪ませてきたと記されて

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  • 日本対ドイツ戦が反西欧・リベラルの旗印となった日 - あままこのブログ

    時代のメモとして。 昨日(2022/11/23)、ワールドカップの予選リーグで日ドイツに勝利したわけですが、それ以降以下の画像が、インターネット上の画像貼り付け掲示板Twitterで盛んに目にするようになりました。 img.2chan.net 4 22/11/24(木)15:09:45No.996782816 中東の野蛮な国家が欧州の先進的な思想を否定しやがった 極東の田舎者ボコすついでに我らの素晴らしい考えを教育してやろう 5 22/11/24(木)15:10:19No.996782956 >中東の野蛮な国家が欧州の先進的な思想を否定しやがった >極東の田舎者ボコすついでに我らの素晴らしい考えを教育してやろう ピコーン! 2-1! 31 22/11/24(木)15:29:14No.996787451 クソパヨクに阿って無様に負けてるのクソ哀れだな 35 22/11/24(木)15

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  • 自分がどう生きるかは、結局自分が決めるしかないのでは?―『21世紀の道徳』批判的書評 - あままこのブログ

    21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon著者のベンジャミン・クリッツァー氏(id:DavitRice)の論考については以前もこのブログで何度か取り上げたことがあります。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp 上記の記事を読めば分かるとおり、僕はクリッツァー氏の豊富な知識量についてはすごいと思っているんですが、そこから示される、社会問題や学問観・人生論にはどうしても同意できないところがあります。ただ、なんでそこで同意できないかはいまいちよく分からなかったんですね。 それは、このを読んでも正直あまり変わらなかったんですが、ただこうやってまとまった形で論考を読むことによって、そもそもクリッツァー氏と僕には、根的な考え方の違いがあるんだなと思うようになりました。 学問は「唯一無二の正解」を示す

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  • 東浩紀・石戸諭・三浦瑠麗らによる福島瑞穂氏への誹謗中傷を非難する - あままこのブログ

    ニコニコ動画での選挙特番における、東浩紀・石戸諭・三浦瑠麗らによる福島瑞穂氏への誹謗中傷が、ネット上で批判を集めています。 みんな興味がないことは知っているのだけど、ニコニコの選挙特番での東さんの統一教会に関する発言があまりにひどくて、東さんをここまで追ってこられた奇特な人たちの間ですら動揺が広がっている、ということを誰かに伝えたい。 pic.twitter.com/SFCZEPryLh— Otowa (@070vv4) 2022年7月12日 ミスって最後のを貼れていなかった。 pic.twitter.com/T6p9QiVkTv— Otowa (@070vv4) 2022年7月12日 統一教会と自民党の癒着について話し始めた福島みずほさんを、東浩紀氏と三浦瑠麗氏がやめさせようとする動画。安倍政権と統一教会の癒着は2000年代以降も週刊文春やゲンダイなどは書いてきた事実なのに、なぜ彼らは黙

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  • 男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ

    s-scrap.com 「男性にも『ことば』が必要だ」という記事を読みました。 上記の記事は、さまざまな論点があって、それぞれの論点で賛成できるもの・そうでないものが分かれるのですが、それに一つ一つ答えていくと長くなってしまうので割愛します。 ただ、タイトルの「男性にも『ことば』が必要だ」に関して言うと、それについての僕の答えは簡単で 「男性から『ことば』を奪っているのは男性自身ではないか」 というものです。 「ことば」を発するときに「説明する理論」が必要なときとは 上記の記事では、「女性が受けている不利益を説明する言説はたくさんあるが、男性が受けている不利益を説明する言説はない」ということをもって、「男性には『ことば』がない」と主張します。 これまで、男性と女性が受ける不利益の非対称さを論じる言説は、フェミニズムによるものが大半だった。したがって、女性が受けている不利益については、それを

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  • 「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある - あままこのブログ

    note.com plagmaticjam.hatenablog.com 人がどういう風に学問や思想を学んできたかということを読むのは好きなので、1000円払って白饅頭氏の記事を読み、その後plagmaticjam氏の記事を読みました。 白饅頭氏の記事の要約 まず、白饅頭氏の記事を要約すると次のような内容になります。 最近、経営者やそれなりの役職に就いている人と話すことが多いのだが、彼らは異口同音に「昔は自分もリベラル派に親しみがあったが、今はそうではない」と言う 有名な哲学者である東浩紀氏も同じように言う 社会的責任を持つと、リベラル派の言説というのは、現実から遊離した物に感じるのだ 「自分で金を稼ぎ、社員をわせ、顧客に価値を感じてもらう」という、俗世シャバの泥臭い営みのしんどさと尊さを知った東浩紀さんが、公金をジャブジャブつぎ込まれ、なおかつ子ども(の親)からの高い学費を受け取りなが

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  • 「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」を相手にしなきゃならない現代 - あままこのブログ

    ちなみにこのコマはですね、のび太が面白半分に呼び出した宇宙人がそれに対して抗議しているのに「なにか言ってるけど意味わかんないw」と笑ってたらあやうく宇宙戦争が起きかける話なので、受け取るべきは「理解できない話でも無視してはいけない」という教訓ですね…… https://t.co/oZqauhPQW6— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2022年4月9日 どーもドラえもんという作品は、こういう風に、作品の意図を無視して一コマだけ切り取られることが多くて、他にも「抑止力」って言葉を凄く端的に説明している辺り、藤子先生は神。 pic.twitter.com/IoocmEoUMy— 手動人形 (@Manualmaton) 2017年4月22日 すでに指摘されてますけど 「抑止力のつもりで核兵器持っても運用者(この場合は国を乗っ取った小悪党)がその通り使うわけない」 ってとこまで藤弘先生

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  • 「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ

    www.huffingtonpost.jp この記事を読んだときに、最初に抱いた感想を正直に言うと 「そんなことで傷つかれてたら何にも表現できなくなるわ」 でした。 ただ、何度も読んでいくと、 「まあ確かに当事者には傷つく人も居るかもしれないな」とも、思うようになりました。 ですが、「誰かが傷つく」ということと、「そういう表現をしちゃいけない」ということは、また別問題なわけです。 問題は、「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうかなのです。 この記事で専門家として発言を紹介されている松岡氏は、次のように論じることで、アイドルがエイプリルフールに同性婚をしたと嘘をつくことが、差別や抑圧に加担すると主張します。 松岡さんは、「『嘘』でより多くの注目を集めるためには、『あり得ないこと』が冗談としてネタに利用されやすく、差別意識や偏見が顕在化しやすい」と指摘する。 「同性愛をエイ

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  • 「物語」から疎外されるものについて(「ルックバック」の感想のような、そうでないような) - あままこのブログ

    ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ 話題になっていますね、「ルックバック」 blog.hatenablog.com www.j-cast.com 僕も無料ということで読んでみたんですが、「まあ、良いとは思うけど、そこまで絶賛されるものか?」という感じの感想でした。 ただ一方で、下記のような批判もなんか違うように感じるんですね。 anond.hatelabo.jp 統合失調症患者として、マンガ「ルックバック」に抗議します。何の説明もなく、精神障害者が殺人を犯すシーンを書くことは、まちがいなく、統合失調症患者への偏見を助長します。— 障害者雇用の働き方 (@YANA1952) 2021年7月19日 名指しで批判されている。↓は今朝書いたが、他人のツイートに触発されてのことであり、自分の認識がぬるいと言わざるをえない。物語の必然に従ってあのような犯人像が選ばれたのか、作品の価値判断

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  • 「フェミニスト原則」だけでどうにもならないから今の混沌があるんじゃないの - あままこのブログ

    swashweb.net TLでは結構絶賛されていて、「真のフェミニズムってこういうことだよな」みたいなことを書かれている上記の声明文。 ただ、どうも僕は読んでいて納得がいかないんですね。 いや、良いこと書いてあるとは思うんですよ?「すべての人々が解放されるまで私たちは戦う」とか、「私たち全員が自由になるまで、私たちの誰も、自由ではない。」とか、確かにスローガンとしては否定しようがない良いことではあるし、そんな良いことに反対するツイフェミたちは悪魔なんじゃないかと、そうも言いたくなるでしょう。 でも、僕は思うんですよ。 「そんな原理原則だけでは解決できない問題があるからこそ、今の混沌があるんじゃないの?」と。 ある人・グループの人権を尊重することが、別の人・グループの人権を毀損するという矛盾 例えば、上記の声明文では、以下のように書いて、すべての人の人権が尊重されることが重要だとしています

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  • はてな村は滅びるべくして滅んだ―はてな村のTwitterスペースに参加して本当に話したかったこと - あままこのブログ

    ta-nishi.hatenablog.com 途中までリスナーとして、途中からスピーカーとして参加したんですが、なんかこう、不完全燃焼感が残っちゃう感じでした。 理由は色々あって そもそもid:Ta-nishiがそこで話したかったことと、聴衆が聞きたかったこと、そして僕が聞いて話したかったことがミスマッチを起こしていた TwitterスペースのWebサービスとしてのクオリティがあまり良くなかった 実況などのログ・参考資料を記録するがなかったため、話が散らばってしまった 単純に僕の喋りがへたくそすぎだった などあるんですが、とにかく、自分が喋りたかったことは全然喋れてなくて、そのことが悔しいので、ここに記録しておきます。 人文系サブカル少年にとって、はてな村は「そこで成功すれば一旗揚げられる場所」だった 他の人が一体なぜはてな村にブログを構えたかは知りませんが、少なくとも僕がはてなダイアリ

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  • オタクが性別を超越しているとか、性別から逃げてるだけじゃないの? - あままこのブログ

    【告知】 2013/3/30にTM2501氏らと座談会Ust中継を行います。詳細は今月の30日にTM2501さんなどを招いてUst中継をやります - 斜め上から目線をごらんください。皆様のご視聴・コメントお待ちしています! ちょっと前になるが、こんな記事がインターネット上で話題になったことがあった。 オタクの女の子になりたい願望は性別を超える - 狐の王国 これに対しては同意しながら補足する意見が提示される一方で、真っ向から反論する意見も提示された。 僕は「時々」ネコになりたい - 情報の海の漂流者 “かわいいい女の子になりたい”くらいで、安易に“性別を超越した”なんていうもんじゃないよ。 - 想像力はベッドルームと路上から そして、この記事を読んだ当時僕はこんなツイートをしている。 @amamako: 気が向いたら後で批判する。まぁ一言で言うならこの文章はただのG.I.ジェーン賛美でしか

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  • オタクとフェミニズム、なんでこんなに仲が悪くなっちゃったの? - あままこのブログ

    なんかまた最近、女の子を描いた絵が過度に性的とかそういうはなしで、Twitterの方で炎上があった模様です。 www.asahi.com www.itmedia.co.jp こういう話題については、このブログでも何度か取り上げてきました。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp なので、こういう問題に対しての僕の原則的立場とかは、上記の記事を読んでいただければと思います。 ただ、こういう炎上をいっぱい見てきて、僕には一つ思うことがあるのです。 それは、「オタクフェミニズム、なんでこんなに仲が悪くなっちゃったの?」ということです。 かつて、オタクフェミニズムが結構仲がいい時代があった……少なくとも、僕の認識では こういうことを言うと、多くの人はきっとこう思うでしょう。「オタクフェミニズムってもともと仲悪かったんじ

  • 「他者の常識を疑い、自分の生きづらさについて考える」社会学は本当に駄目? - あままこのブログ

    先日、ある社会学者の次のようなツイートが、Twitterの一部で話題になりました。 社会学の導入で、「常識を疑う学問です」とか「生きづらさについて考える分野です」といったことを言うのはもう禁止したほうがいいかも。「自分の常識を疑い、他者の生きづらさについて考える」はずが、「他者の常識を疑い、自分の生きづらさについて考える」人ばかりになってしまっているから。— OKAMOTO (@Tomochika_wsd) 2020年7月13日 「社会調査を疑う」のも、当にそれができる技術を身に付けてからならば大事なところだけれど、自分の思い込みと違った結果が示された際に、調査票の文言にケチをつけることにしかなっていないのが実情。そして「当のことは誰にも分からない」と。いや、まずその結果が示すものをよく見てみようよ。— OKAMOTO (@Tomochika_wsd) 2020年7月13日 多くの人は

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  • 守るべきもの - あままこのブログ

    相変わらず自分の中の思考のまとめのための記事。あんまり他の人の参考にはならない はてなブックマーク - 怖がっているひとに相対するには - ビジネスから1000000光年 id:buyobuyo なるほど y_arim の考えはわかった。でも、それでもバカをそこまで甘やかす必要は無いと思う自分は偽れない。 2009/05/18 id:lisagasu 私は何度かやりとりして好感もってるありむが辛そうにしてたら宥めるよ。どんな人でも一方的にフルボッコにされてると嫌になる。でもあの増田を非難したことは反省しない。譲れないものは誰にでもある 2009/05/18 なんか新鮮だなぁと思った。 というのも、自分にはこういう「譲れないもの」とか「偽れない自己」という感覚があんまり無いんだよね。 多分みんなそういうものを強固に持っているから、ある人は気でレイプというものを例えそれがフィクションの世界で

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