Research indicates that carbon dioxide removal plans will not be enough to meet Paris treaty goals
先日文明塾の修了生のみなさまとお話したときのこと(コミュニティとしての大学 - 未来のいつか/hyoshiokの日記参照)。ハッカー文化とかオープンソースのことをあれやこれやお話したのだけど、その中で現役の学生さんから「ゼミでIT係を担ってからよくソースコードを何気なく閲覧してしいました。しかし、自由にソースコードが見れる環境が衝撃的で素晴らしいことであることに吉岡さんのお話を聞いて学ばせていただきました。」という感想をいただいた。 そうだ。すっかり忘れていた。オープンソースが当たり前じゃない時代があった。とてつもない衝撃を受けた自分がいたことをすっかり忘れていた。 1998年1月。Netscapeが自社のブラウザのソースコードを公開するということを発表した。当時のシリコンバレー日記にそのことを書いている。http://web.archive.org/web/19990423102903/
先日、高橋信頼さんの通夜に参列し、最後のご挨拶をいたしました。 高橋信頼さんとは個人的なお付き合いがあったわけではないのですが、Rubyやその他のFLOSS方面のイベントに参加するたびに信頼さんの姿がありました。信頼さんが取材されている姿にはあまりに馴染んでいたため、先日のRubyWorld Conferenceや三鷹の中高生国際Rubyプログラミングコンテストでお見かけしなかったときに、信頼さんがいらっしゃらないことに違和感を感じていたくらいです。 そんなわけで、その人となりについては私自身はあまり語るところがないというか、もっと語るべき方がいらっしゃるはずです。そこで、信頼さんの書かれた記事を一読者として読んできた者として、先日の訃報以来改めて読み返していたITproの記事を紹介することで、故人を偲んでみたいと思います。 日経ITproはかなり古い記事までも記事検索で遡ることができるよ
1965年生まれ。筑波大学卒業後、ソフトハウス、CADベンダーを経て、1997年に株式会社ネットワーク応用通信研究所に入社。1993年に「景気が悪くなって空いた時間」でRubyの開発を始め、95年にフリーソフトウェアとして公開する。Rubyの特徴は文法がシンプルなこと、整数や文字列などをはじめすべてのデータがオブジェクトとして扱われることなど。現在、Rubyのメンテナンスや質的向上には世界中のプログラマが参加している。 現在Googleでソフトウェアエンジニアとして研究開発を行う。Debian Project オフィシャルメンバー。元Debian JP Projectリーダー、日本Linux協会前会長、The Free Software Initiative of Japan副理事長、平成15年度16年度「未踏ソフトウェア創造事業」プロジェクトマネジャー。大学院在籍中に386BSDやLin
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