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ブックマーク / monsterspace.hateblo.jp (16)

  • 高槻市しろあと歴史館・トピック展示「戦国武将・松永久秀と高槻」を見に行って来た! - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    「たかつきDAYS(広報たかつき)」(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/11/koho200301all.pdf)を読んでいたら、突然見たことがない松永久秀の肖像画が飛び込んできたのもだいぶ昔な気がする(ついろぐで見てみたら2月25日らしい)。松永久秀の新出肖像画をメインに据えたしろあと歴史館のトピック展示も当初は3月7日からの開催のはずが、新型コロナウィルスことCOVID-19の感染対策のため、しろあと歴史館が臨時閉館状態になったこともあり、6月2日からようやく開催された。しろあと歴史館自体そこまで大規模な博物館ではないし、トピック展示と言ってもそこまで色々やっているわけではないが手短に感想を語ってみたい。 www.city.takatsuki.osaka.jp なお、ネット上に出品

    高槻市しろあと歴史館・トピック展示「戦国武将・松永久秀と高槻」を見に行って来た! - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
    yogasa
    yogasa 2020/06/12
  • 山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    『足利義輝・義昭』に何を見出したいと思っていたのか いやあ出ましたね。山田康弘先生による『足利義輝・義昭』!もう発売から2ヶ月経っておいて「出ましたね」も何もないのですが、著者といい題材といいいつ読んでも「出たな!」という重みがある。 足利義輝・義昭:天下諸侍、御主に候 (ミネルヴァ日評伝選 203) 作者:山田康弘出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2019/12/17メディア: 単行 何と言っても戦国期室町幕府研究における第一人者である山田康弘先生ですからね。それが足利義輝・義昭という足利将軍最末期の人物評伝を出すのですから、否が応にも渋いのが来るであろうと予想できます。そうであるならば、こちらとしてもそれなりの心構えは必要、と言ったところでしょう。 足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍- (中世武士選書33) 作者:山田康弘出版社/メーカー: 戎光祥出版発売日: 2016/

    山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2020/02/19
  • なぜ松永久秀は誤解されていたのか―三悪説話に反駁する - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    松永久秀は三好政権関係の人脈の中ではダントツの知名度を持つ戦国武将である。久秀のみがメジャー武将と言っても過言ではないほどである。これはやはり戦国時代の超メジャー人・織田信長と関係を構築したため、その関係性がフィーチャーされる機会が多いためであろう。しかし、何よりも著名およびキャラ付けとして重要なのは三悪説話である。すなわち、松永久秀には以下3つの逸話がある。 主家である三好氏の要人を殺害し乗っ取った 将軍足利義輝を殺害した 東大寺大仏殿を燃やした 私も多くの人の例に漏れず、これらの逸話を信用し、松永久秀を下剋上の極致を尽くした悪人、「梟雄」と解してきた。その一方、ここ10年ほどで「久秀はどうやら梟雄ではないらしい」という話も広まってきた。その時はそこまでそのような説を信用していたわけではなく、半信半疑な思いもあった。ようやく自分の久秀像が変わってきたのはここ数年くらいの話であるが、それな

    なぜ松永久秀は誤解されていたのか―三悪説話に反駁する - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
  • 4人の足利義氏―貴種足利氏が持つ権威と反権威 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    「何と!足利義氏は4人いた!」 「なななな何だってーーー!!!!」 となる人は多くないと思う。一般人なら「そもそも足利義氏って誰だよ」と一蹴されてしまいそうである。質的には知識マウント以外の何物でもない記事だが、「4人もいたのか、知らない○人は誰だ?」という人は目を通しても損ではないんじゃないかと思う。 足利義氏には、足利義氏と足利義氏がいることはまだ知られているのではないだろうか。ただ、平成24年(2012)には足利義氏の存在が示唆され、足利義氏は3人になった。これだけだとどうにも足利義氏が足利義氏と足利義氏に比べて影が薄い感じだし、足利義氏列伝を構想するにはいかにも弱かった。ところが、平成30年(2018)足利義氏の存在が明らかとなった。この頃には「また足利義氏か」という感覚もあり、足利義氏が4人目というのも意識としてあった。よって、4人いるのなら足利義氏と足利義氏も足利義氏と足利義

    4人の足利義氏―貴種足利氏が持つ権威と反権威 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/29
  • 村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    発売されるとわかった時から話題騒然だったです。何せ、六角氏は室町時代・戦国時代に侮れない勢力を誇りながら、この手の比較的一般向けの評伝を欠いていたからですね。タイトルは六角定頼ですが、実際には章を割いて、前2代の高頼・氏綱、後2代の義賢・義弼までフォローしています。言わば「戦国六角氏五代」が読めるわけで豪華な一冊と言えましょう。 六角定頼:武門の棟梁、天下を平定す (ミネルヴァ日評伝選) 作者:村井祐樹発売日: 2019/05/22メディア: 単行 さて、私にとってはこのが出たことで得るものは単に戦国六角氏の伝記が読めるということに留まりません。これまでこのブログを読んできた方にはおわかりかと思いますが、私は三好氏を贔屓にしておりまして、特に近年の三好長慶再評価とその徐々な定着ぶりには感激するところ大なわけです。ただ、一方で三好長慶、あるいはその家臣として有名な松永久秀のみ称揚され

    村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/29
  • 三好義継はなぜ自ら死を選んだのか―「天下人」継承者たちの戦い - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    天正元年(1573)は濃尾の大名織田信長がそれまで共に室町幕府を運営してきた将軍足利義昭を追放し、織田政権を樹立した年である。また、この年には信長がそれまで戦ってきた有力大名の死が相次いだ。4月には甲斐の武田信玄が死に、8月には越前の朝倉義景、北近江の浅井長政が信長によって滅ぼされた。多くの政敵たちの死が織田政権の成立にもたらした影響は大きい。武田信玄は最強の戦国大名として名高く、朝倉義景は元亀の争乱の火蓋を切った反信長大名で、浅井長政は織田信長の妹婿にも関わらず裏切った鮮烈さで著名な存在だ。しかし、畿内に織田政権が樹立するにあたって最もインパクトを残したのは三好義継の滅亡ではなかったか?なぜそう考えられるのか、三好義継が象徴する三好宗家滅亡の事態とは何だったのか語って行く。 三好政権と三好義継 室町幕府を滅ぼした永禄の変 三好政権の内戦 三好政権の崩壊と室町幕府再興 圀寺の変とその影

    三好義継はなぜ自ら死を選んだのか―「天下人」継承者たちの戦い - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/29
  • 元亀の争乱における細川昭元(細川信良)―織田信長に天下を取らせた男 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    何となくリアルっぽさがある人気戦国歴史漫画『センゴク』を読んでいて思わず吹き出したシーンがある。『センゴク』第一部第五巻(だったか…)には比叡山で織田信長包囲網を代表する大名たちが参会する、漫画らしさ重視の場面がある。ここに現れたのは朝倉義景、浅井長政、顕如光佐、斎藤竜興、そして細川昭元であった。 センゴク(4) (ヤングマガジンコミックス) 作者: 宮下英樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/09/28メディア: Kindle版この商品を含むブログを見るセンゴク(5) (ヤングマガジンコミックス) 作者: 宮下英樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/09/28メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 『センゴク』における三好氏陣営の描写の薄さはそれこそ一つ記事を書いていちいち突っ込みたいレベルだが、まあやめておこう…。これは想像だが、作者はたぶん三好氏をス

    元亀の争乱における細川昭元(細川信良)―織田信長に天下を取らせた男 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/29
  • 三好長逸―中央政権の矜持を抱き続けた「三人衆」の構想者 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    三好長逸は『日人名大辞典』によれば、以下のような説明がなされている。 三好長逸 みよし-ながゆき ?-? 戦国時代の武将。 三好之長(ゆきなが)の孫。三好三人衆のひとり。松永久秀と協力し,宗家の三好義継(よしつぐ)を後見した。のち久秀・義継の同盟軍と対立,奈良を中心に交戦をくりかえす。織田信長の畿内制圧で阿波(あわ)(徳島県)にのがれ,しばしば反攻したが,天正(てんしょう)元年(1573)の敗走以後は不明。別名に長縁(ながより)。 三好長逸を数行で説明しようと思ったら、おそらくこれ以上にもこれ以下にもならないだろう。しかし、三好長逸は永禄末年から天正に至るまで日史の主役の一人を演じていた。これを考え合わせると長逸の解説を数行で済ませてしまうこと自体が不当である。にも関わらず、歴史関係の図書でも長逸は名前すら出て来ることがあまりない。そもそも三好氏自体が日史の中で画期を示したのに対して

    三好長逸―中央政権の矜持を抱き続けた「三人衆」の構想者 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/29
  • 細川氏綱の実名について―「氏綱」って何やねん論 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    不肖ながら私が細川氏綱という人物について詳しく調べ出したのはここ数か月の話にすぎない。が、この人物の名前は10年以上前から知っている。中学の頃歴史手帳を買っていたことがあり、それには付録として室町幕府歴代執事・管領表が付属していたからだ。歴史手帳の記述では細川氏綱は室町幕府最後の管領であったため*1、「ふーん」程度の意識であった。 ただ、当時から引っかかっていたことはあった。 細川氏綱という名前である。 中学生レベルの認知でも管領細川氏の歴代の実名が頼元、満元、勝元、政元、晴元と「~元」が基(「元」が通字)であることくらいは気付くものである*2。さらに足利将軍の歴代の実名と対応すれば満、勝、政、晴が偏諱であることも容易に想像がつく。この流れで見ると将軍からの偏諱も「元」も含まれない「氏綱」という実名は異質というほかない。同じような疑問は細川高国にも抱いたが、これは「高」が将軍足利義澄が義

    細川氏綱の実名について―「氏綱」って何やねん論 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/28
  • 豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子ではない?―論争の意義 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    はじめに 豊臣秀吉は戦国時代の日列島を統一し、江戸幕府に繋がる統一政権を作り上げた人物である。しかし、豊臣政権は秀吉の死後、豊臣政権の宿老であった徳川家康によって政権を奪われ、江戸幕府にアップグレードされた。秀吉の遺児で名目的には豊臣政権の後継者であった豊臣秀頼の存在は江戸幕府の容れるところとはならず、二度の大坂の陣を経て秀頼は家康に滅ぼされてしまう。これがとりあえず「現象」だけを述べた豊臣政権から江戸幕府への移行である。 しかし、一方で大衆というのは「物語」を欲しがるものである。「豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子ではない」という説もその一つであろう。私自身はこのような議論にあまり意味はないと考えているが、近年では歴史学者もこの論説が唱えられ、賛否両論なようである。秀頼は秀吉の実子ではないのか、その論争は一体何を意味しているのか、個人的にも興味があるので考えてみることにしよう。 1 豊臣秀吉は「

    豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子ではない?―論争の意義 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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    yogasa 2019/08/28
  • 三好長慶の動員兵数はどれくらいなのか? - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    昨年三好長逸の記事を完成させた後、Twitterで「三好長逸」の話題を探っていたら、偶然あるやり取りに出くわした。どうも最近あるが出版されたところ、その著書には三好長慶の動員兵数は数千人程度であるという記述があり、読者と筆者がその件について話し合っていたようだ(と言うほど穏やかでもなかったが…)。その頃は正直「三好氏の動員数が数千レベルなわけないだろ」と漠然と思いつつ、たぶんその著書には三好氏が太閤検地的な動員を成し得なかったことが論証されているのではないかなと予測するに留まった。 軍事の日史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル (朝日新書) 作者: 郷和人出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2018/12/13メディア: 新書この商品を含むブログを見る その時はそれで終わり、自分の興味は他に移って行ったが、年が明けて偶然そのを読む機会があった。さてどのようなことが書かれて

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  • 三好政長(三好宗三)―細川晴元権力の体現者 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    戦国時代、三好長慶は細川晴元や将軍足利義輝と戦い三好政権を樹立した。長慶は三好之長以来、受領名「筑前守」を名乗る三好氏の嫡流であった。一方で三好氏には多数の支流があり、長慶という「主流」にある時には従い、ある時には対立して生き残りを図った者たちもいた。三好政長(三好宗三)もその一人である。三好政長の歩んだ道は決して「主流」となることはなかった。しかし、彼が権力を得た階梯や趣味嗜好は畿内戦国史の中に確かな足跡を残している。政長は三好氏の中では傍流のさらに傍流という立場であり、決してなるべくしてのし上がれたわけではない。しかし、政長は細川晴元権力の要となって立身し権力を掌中に収めることになった。このような政長の立場を考えていくことは三好氏とは何かを探るためにも欠かせない。 ところで個人的な話だが、なぜ三好政長なのか?と言えば、私は三好三人衆について、長逸は書いてみたので次は宗渭と思い、宗渭につ

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  • 中西裕樹『戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀』(中世武士選書・戎光祥出版)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    知ってると思ってるけどよく考えたら意外と知らない、そんな人物や出来事を研究者が斬る!ことでお馴染みの戎光祥出版さんの中世武士選書シリーズ。最新刊は何と中西裕樹先生が描く、摂津の戦国時代。これは高槻市民としては読まざるを得まい…といった趣きがあります。 副題は「高山右近と中川清秀」とのことで、やっぱ織豊期のこの2人がメインなのかと思えば何の何の。彼らが格登場するのは何と後半3分の1といったところです。これだけ聞くと「おいおい詐欺か?」と思われるかもしれませんが、右近と清秀が登場するためにはこれくらいの前史が必要、と言うか人が出ない3分の2こそが右近と清秀の摂津国人としての血肉を形成するわけです。これまで高山右近のというのはたくさん出ていますが、当にベースの部分を掘ってから語るこののようなタイプは初めてではないでしょうか。この時点で全く新しいで、出た価値がありますね。 戦国摂津の下

    中西裕樹『戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀』(中世武士選書・戎光祥出版)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
  • なぜ織田信長は三好康長(康慶)を重用し続けたのか? - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    三好康長はどちらかと言えばマイナーな三好一族の中ではそこそこ名前が知られている武将ではないかと思われる。なぜなら、康長は織田信長の重臣となっており、近年は能寺の変の原因として四国説がクローズアップされる中、四国説のキーマンとなる人物だからである。来年放映予定の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、主人公が明智光秀であるからには、康長も登場することは間違いなく、ドラマの中での役割やキャストには今から期待している。…ってそういうことを言いたいのではないのだが。 しかし、三好康長は織田信長の家臣としては新参であり、それまでの長きに渡って明確に信長の敵であった。康長を一転して重用するに至った信長の判断は興味深く思われるが、あまり説得力のある説明は聞いたことがない。しかも織田家臣としての康長は目立った戦功を挙げていないようにも見えるが、信長からの重用は信長が死ぬまでいささかも揺るぐことはなかった。これこそ

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  • 永禄13年(元亀元年・1570)織田信長が上洛を求めた諸大名勢力について - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    元亀元年(1570)に行われた織田信長の朝倉義景攻めは信長の人生を語る上で外せないイベントの一つである。と言っても、朝倉攻めそのものが画期と言うよりも、この最中に織田信長の同盟者であった浅井長政が信長より離反し、以降織田信長は長期にわたって、いわゆる「信長包囲網」との戦いに突入した、この契機としての位置付けが大きい。さらには、朝倉と浅井の挟み撃ちにされた信長が命からがら逃げだし、木下秀吉が殿を務めたというエピソードはもはや「神話」となっているきらいさえある。 では、なぜ織田信長は朝倉攻めを行ったのか?通説では、織田信長は傀儡将軍足利義昭を利用して、諸大名に上洛を呼びかけた。しかし、義景はこの上洛の質が義昭ではなく信長への臣従にあると考えたため、上洛要請を黙殺した。信長はこれをいい口実として、義景を義昭への反逆者に認定、討伐することにしたというものである。さらには、そもそも足利義昭は傀儡と

    永禄13年(元亀元年・1570)織田信長が上洛を求めた諸大名勢力について - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
  • 三好右衛門大夫政勝と三好下野守政生は同一人物か? - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

    三好政長(宗三)の息子・政勝と三好三人衆の一人・三好宗渭が同一人物であることは今やWikipediaにすら載っている。この事実が指摘されたのは平成22年(2010)と9年前にすぎない(『戦国期三好政権の研究』補論二「三好一族の人名比定について」)*1が、すでに巷間には知名度を確保しているとも言えるだろう。そういうわけでもはや常識とのほほんとしていたのだが、最近「当にそうなのか?」という問い合わせを頂いた。私個人としては政勝と宗渭が同一人物であることは間違いないと思っているが、考えてみれば自分で確かめて論理を組み立てたわけではないので、良い機会であるし調べてみることにした。 まず、わかりやすく決め手になるのが花押(署名の下に書く属人的紋章)で、天野忠幸氏の指摘もこれを根拠にしておられる。実際、注で何を見て花押を確認すればいいのかまで明記されていた。いやあ有難い話である。 大仙院文書 (史料

    三好右衛門大夫政勝と三好下野守政生は同一人物か? - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
    yogasa
    yogasa 2019/07/20
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