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2016年1月1日のブックマーク (4件)

  • オバマ氏、追悼式で「赦し」の歌 アフリカ系の苦難思う:朝日新聞デジタル

    かつて奴隷取引の拠点だった米南部サウスカロライナ州チャールストン。ここで昨年6月、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があった。 大勢の参列者を前に、黒のスーツに身を包んだオバマ大統領が壇上に立った。 力強く進んでいたスピーチが、突然止まった。 沈黙が10秒ほど続いた。 犠牲者の同僚であるロニー・ブレイルスフォード牧師(57)が前方をうかがうと、オバマ氏は5メートルほど先の演台で下を向いていた。 「何を言おうとしているのかな」。そう思った直後、オバマ氏は伴奏なしで歌い始めた。 アメージング・グレース/なんと甘美な響き/人でなしの私を救って下さった たちまち総立ちの大合唱に。天を見上げ、涙を流す人もいた。ふだん冷静に振る舞う大統領が、この日は犠牲者一人ひとりの名を、叫ぶように読み上げた。 「事件直後の遺族の行動から、大統領はこの歌を選んだと思う」。ブレイルスフォードさんは振り返

    オバマ氏、追悼式で「赦し」の歌 アフリカ系の苦難思う:朝日新聞デジタル
  • チャイナセンセーション:第1部 一帯一路の行方/3(その2止) 鉄路の夢「画餅」懸念 - 毎日新聞

    <1面からつづく> インドネシア、開発遅れ 利用客より職員多い駅 「2万8000人の新規雇用が生まれる」「税収増は15年間で7兆ルピア(約610億円)」 インドネシアの首都ジャカルタからバンドンまでの高速鉄道を建設・運営する合弁企業「インドネシア中国高速鉄道」(KCIC)の幹部が2015年12月2日、西ジャワ州政府を訪れ、初めて公式に周辺開発について説明した。 中国が描く開発とはどのようなものか。複数の資料によると、5カ所の駅前開発全体でホテル1万2540室、アパート1万4960戸、オフィス525万平方メートルを整備する計画。中でも広さが東京ドーム270個分という最大のワリニ地区には、ホテルやオフィス、ショッピングセンター、研究機関などを整備し、駅からケーブルカーを通すという。西ジャワ州のヘルヤワン知事は「とても重要だ」と協力に意欲を示した。 この記事は有料記事です。 残り1797文字(全

    チャイナセンセーション:第1部 一帯一路の行方/3(その2止) 鉄路の夢「画餅」懸念 - 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2016/01/01
    高速鉄道網をこんなに広げるということに驚き。
  • 憲法のある風景:公布70年の今/1 9条に迷い救われ 被爆、渡米、ベトナム戦、脱走 日米の間に生きた - 毎日新聞

    原爆ドームの前で9条について語る清水徹雄さん。生後5カ月で被爆し、米兵としてベトナム戦争に送りこまれ「脱走」した体験を持つ=広島市中区で、川上晃弘撮影 米国による広島への原爆投下から70年となった昨年8月6日、広島市の清水徹雄さん(70)は被爆者として(67)と平和記念式典に参列した。そろそろ平和について考えてほしいと、初めて小学3年の孫娘も伴った。 約5万5000人の参列者とともに目をつむって祈りをささげた時、自分を心配し続けた亡き母を思った。しかし、今、横にいるや孫らにきちんと伝えていないことがある。 憲法9条を持つ国民ながら米兵としてベトナムで銃を撃ったこと、そして帰国後に9条を巡って翻弄(ほんろう)されたこと。 この記事は有料記事です。 残り2304文字(全文2544文字)

    憲法のある風景:公布70年の今/1 9条に迷い救われ 被爆、渡米、ベトナム戦、脱走 日米の間に生きた - 毎日新聞
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2016/01/01
    広島で被爆しながらアメリカ在住中に徴兵されベトナム戦争に行った。戦争に翻弄された人生と言える。憲法9条の意義を体感している人と言える。
  • あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日の近代とは、欧米

    あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    yoshihiroueda
    yoshihiroueda 2016/01/01
    今年も「戦争をしない国」、「尊敬される国」を目指す戦いは続く。それは何のためなのか、国民それぞれの尊厳のためなのだ。飯田氏の言葉は肝に命じたい。