戊辰戦争で会津藩が1868年9月22日に降伏開城した後の会津藩戦死者約3000人の遺体埋葬で、同年10月に500人超の埋葬に携わった会津藩士が記した史料が見つかった。会津若松市史では、鶴ケ城城下を統治した民政局が「10月2日に埋葬を命じた」とあり、藩士側の記録からも埋葬を裏付ける結果となった。藩士側の埋葬の史料もほかに確認されているが、内容がより詳しい。 会津若松市の歴史家・野口信一さん(68)が2日発表した。会津藩士の子孫が1981(昭和56)年、同市に寄贈した史料174点の中から発見した。「戦死屍取仕末金銭入用帳(せんししかばねとりしまつきんせんにゅうようちょう)」との史料名で、10月3~17日の戦死者埋葬とその費用を記載する。筆者不明だが、藩士の武田源三、赤羽彦作、斎藤茂助、水野平八が遺体の捜索や埋葬に携わった。 4人が鶴ケ城の城下や郊外などを捜索し、64カ所に567体を埋葬したこと