能登半島地震から3年となる25日を前に、輪島市は地震発生から復旧・復興へ向けた市職員の対応を時系列で整理し、「復興までの実務と震災への備え」と題したDVDにまとめた。義援金や物資を送ってもらったり、震災後に視察で同市を訪れたりした100を超える自治体に25日から順次発送し、災害が発生した場合の実務文書集として役立ててもらう。 DVDは、視察や講演会資料向けに、市役所各課がパソコンソフトでまとめたものを整理して再構成。市災害対策本部の設置や救援物資、ボランティアの受け入れなどの初期段階から、復旧・復興へ向けての取り組みなどを時系列に沿ってまとめた。 民生委員による高齢者や障害者宅を記した「福祉マップ」作りなど震災前の取り組みのほか、小規模災害での被災者の生活再建を支援する市独自の条例などの今後へ向けての取り組みも紹介している。内容はA4判で95ページに及び、実際に使った各種申請書の書式などを
今日は能登半島地震から、ちょうど3年です。 3年前の今日、私は子供たちと映画(ドラえもん)を見る為に金沢に向かって車を走らせていました。 能登空港ICを走り出して間もない頃に、急に車のハンドルがとられ、突風が吹いたのかな?タイヤがパンクしたのかな?と思い車をとめると、周辺を走る車も一斉にとまりだしたので何かおかしいとは思ったものの、まさか地震だとは気付くはずもなく、、、 もう少し前まで進んでみて道路の陥没や橋のジョイントのズレに気付き、これは地震だと確信し、自宅や実家に電話をかけるけど電話が通じず、Uターンして慌てて家に戻ると、玄関の金魚鉢の金魚は廊下にピチャピチャとはね、2階の自分達の部屋に行くとキャビネットの本が投げ出され、グラスなども割れ、足の踏み場もなくて呆然としたのを思い出します。 あれから3年。 そして、能登半島地震の復興の象徴として位置付けらた記念館は、年中無休でお客様をお待
◇ユキワリソウ保全推進 自然生かしてまちづくり 強風が吹き荒れた今月20日。輪島市門前町の総持寺通り協同組合代表理事、五十嵐義憲さん(62)は、多くの人でにぎわう商店街を慌ただしく見回った。全国有数のユキワリソウの群生地とされる門前で毎年3月に開催される「能登・雪割草(ゆきわりそう)まつり」には、2日間で約1万人が訪れる。実行委員長を務める五十嵐さんは「これだけ広い範囲で自生しているのはここだけ」と目を細める。 07年3月25日の能登半島地震で、1人が死亡、住宅2426棟が全半壊した。震度6強を記録した総持寺通り商店街では28棟が全半壊し、五十嵐さんが経営する薬局や隣接する自宅が被害を受けた。 だが、地震後も店は開け続けた。混乱の中、買い物客はいなかったが、街が寂しくならないよう明かりを灯した。半年後、商店街の歴史や被災状況を掲載したホームページを立ち上げた。すべて、地域の復興のためだ。
トップ > 北陸中日新聞から > 能登半島地震特集 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事 【能登半島地震特集】 あの日から2年−3・25能登半島地震(9) 2009年3月25日 父昭七さんの遺影のそばで棋譜を見ながら将棋の駒を並べる大窪彦三郎さん=石川県輪島市宅田町の仮設住宅で 仮設を出て、新生活へ 『亡父の分も生きる』 仮設住宅の居間に大窪彦三郎さん(39)は正座し、棋譜を見ながら将棋盤に駒を並べる。趣味の時間、最も心が落ち着く。その姿を傍らの遺影が見つめる。父昭七さん。仮設住宅で孤独死した。七十五歳だった。 大窪さんと母智江さん(68)、昭七さんが暮らしていた石川県輪島市河井町の借家は、二年前の能登半島地震で大きく壊れ、住めなくなった。大窪さんと智江さんは二〇〇七年四月末、同市宅田町の仮設住宅に入居した。 しかし、昭七さんは同じ仮設住宅の別棟へ。「死ぬまで仕事をしたい」と再起を誓
忠谷住宅 重要文化財に答申 国の文化審議会(西原鈴子会長)は17日、輪島市門前町黒島町の「輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区」を重要伝統的建造物群保存地区(重要伝建地区)に、加賀市橋立町の「忠谷(ちゅうや)家住宅」を重要文化財に選定、指定するよう、文部科学相に答申した。認められれば県内の重要文化財(建造物)は43件に、重要伝建地区は昨年6月に選定された金沢市主計町に続き4件目となる。 「忠谷家住宅」は加賀橋立重要伝建地区(2005年12月選定)にある北前船の船主の住宅。天保年間(1830~43年)に建てられたとされる集落最古の住宅だが保存状態が良く、船材を利用した外壁や居間の奥に2列6部屋がつながる構造など、船主の住宅形態を伝えているという。 震災復興目指す 日本海に面した輪島市黒島地区は、黒色の釉(ゆう)薬瓦や、外壁の板を少しずつ重ね合わせて取り付けた「下見板張」など、伝統的な北前船の
輪島市議会は24日、臨時議会を開き、能登半島地震の教訓を将来に伝えるため、地震発生日の3月25日を「市民防災の日」とする条例案を全会一致で可決した。 市総務課によると、条例では25日から1週間を防災意識の啓発期間とし、市民が参加した地域防災力の向上を目指すとしている。 同課は「市も自主防災組織など地域の活動を支援していきたい」としている。【栗原伸夫】
昨年三月二十五日の能登半島地震の発生から二十五日で一年半。仮設住宅に入居している石川県内の約百八十世帯のうち、十数世帯がいまも具体的な退居手続きに入れていないことが輪島市などの調査で分かった。(2008年9月25日) [→記事全文へ]
トップ > 石川 > シリーズ現場 > 記事 【シリーズ現場】 定点ルポ 被災地を歩く 能登半島地震2年(1) 消える痕跡 心は癒えず 2009年3月17日 今なおブルーシートが残るものの、近く改修工事が完了する予定の祖父宅=輪島市門前町で 門前・総持寺通り 『教訓ずっと伝え続ける』 能登半島地震から二十五日で二年。被災地では、仮設住宅の退去期限が迫る中、災害公営住宅への引っ越しが始まった。一方、各所にはいまだに地震の傷も残る。地震後五十日と現在を比較しながら、五人の担当記者が被災地の定点・五カ所を歩き、町並みや商店街の移ろいをルポする。 地震から二年近く。輪島市門前町の総持寺通り商店街は、直後の惨状から日本家屋が整然と並ぶ町並みへと姿を変えつつある。その中に一軒、ブルーシートをかぶった家がある。地震直後に亡くなった祖父がそこに住んでいた。 祖父に代わり、家を守っている叔
◇ボランティアとのきずな、忘れない--「絆の木道」沿いなど 能登半島地震から2年が経過するのを前に、輪島市門前町道下地区の仮設住宅に隣接するグラウンドゴルフ場で21日、ろうそくの火をともすイベントがある。同ゴルフ場に復興モニュメント「絆(きずな)の木道」の設置を進める推進委員会が主催する。 絆の木道は、激励のメッセージを書いた板を仮設住宅から日本海に向かって敷き詰め、260メートルの道を造るもの。被災者と復興に汗を流したボランティアとのきずなを将来に伝えるため、輪島市教委が昨年から始めた。 当日は被災者が廃油で作った1000個のろうそくを、絆の木道の両側やゴルフ場に並べる。推進委は「2年を前に、助けてくれた多くのボランティアへ感謝を示し、震災を忘れないという決意を伝えたい」とし、参加を呼び掛けている。 22日昼には、諸岡、黒島両地区の住民と語り合う「感謝の集い」も、同ゴルフ場で予定されてい
◇高齢被災者に不安の影--10日から順次、鍵渡し ◇「提出書類が大変」「借家は初めて」自宅全壊「跡地の固定資産税心配」 07年3月25日の能登半島地震から間もなく2年を迎える被災地では、復興が徐々に進んでいる。輪島市では自宅を失った被災者が入居する災害公営住宅が順次完成しており、4日夜、入居の説明会が同市山岸町の仮設住宅で開かれた。だが、高齢の被災者には、年金だけが頼りで資金面で心配する声があり、課題も残されている。【栗原伸夫】 ピーク時に329世帯、736人が入居した仮設住宅の入居期限は4月末。輪島市では、自宅再建を断念した49世帯85人が市の災害公営住宅に入居する予定。10日から順次、鍵の引き渡しが始まる。 説明会には宅田地区(12戸)に入居予定の13人が参加。市職員2人が、所得に応じて決まる家賃や、入居に必要な敷金、提出書類などを説明した。市は13日を書類提出日としたが、入居予定者は
能登半島地震で住宅を失った被災者を入居対象とする災害公営住宅の建設が、輪島市門前町道下の市営住宅松風台団地で始まった。自力再建が難しい仮設住宅の住民は来年4月の入居期限までに市内に建設される公営住宅に移ることになる。25日で地震から1年半が経過。復興途上にある被災地を歩いた。【澤本麻里子】 ◇仮設住宅の女性「早く移りたい」 輪島市によると、市内8カ所に来年2月末までに災害公営住宅を計49戸建設する予定という。松風台団地では24日に始まったばかりの工事のごうごうという音が響いていた。2戸1棟型の5棟10戸が建つという。 道下地区は最大の被災地の一つ。67世帯150人が暮らす仮設の1室で、昨春から住む女性(82)がこぼした。「壁が薄くて音が気になるし、夏は蒸し暑くて息苦しい。あばら家でも自分の家の方がよかった」。足が悪いうえ、湯船が狭く、風呂はシャワーで済ませているという。 自宅が半壊。だが、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く