【島国大和】ゲームを作る立場で,どうやって落とし穴を回避するかを考えるよ。 ライター:島国大和 島国大和 / 不景気の波にもがく,正体はそっとしておいて欲しいゲーム開発者 島国大和のド畜生 出張所ブログ:http://dochikushow.blog3.fc2.com/ 皆様,お久しぶりの島国大和です。 デスマーチ,してますか? さて今回は,ゲームを開発していくうえで,ハマりやすい落とし穴をどうやって回避するのか,といったことをゲームを作る側の視点で書いてみようかと思います。 いつもとかなり毛色が違ううえに,ゲームを開発してない人には,何の役にも立たないことですが,愉快な他人事として話のタネにはなるかもしれません。LINEで主婦に知識をひけらかし,微妙な空気を作ってみたいときなどにご活用ください。 ゲームの要素を3つに分けると見えてくるもの さて,一口に落とし穴といっても,いろいろなタイプ
「艦隊これくしょん -艦これ-」はいかにして生み出されたのか。その思想から今後のアップデートまで,角川ゲームスの田中謙介氏に語ってもらった ライター:徳岡正肇 角川ゲームスがDMM.comでサービス中のブラウザゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」(以下,「艦これ」)。 しばしば「日本では,はやらない」と言われるミリタリーモチーフのゲームで,プレイヤー同士の競争や交流といったソーシャル機能を最小限しか持たない本作が,PC専用のブラウザゲームとして80万を超えるアカウントと驚異的なアクティブユーザー率を達成している。タブレット端末の出荷台数がノートPCの出荷台数を上回り,「これからはタブレットの時代だ」と言われる中で,である。 この驚くべきゲームである「艦これ」は,いかなるデザイン意図で世に生み出されたのだろうか? 本作のプロデューサー兼ゲームディレクターである角川ゲームスの田中謙介氏に,奔
自分の観測範囲の話だが、最近のプランナーの能力低下が目に余る。これらは本人の責任ではない。 まず、プランナーの仕事というのは、明確に規定されていない。 ゲームを作る仕事があるとして、プログラマ、デザイナー等がそれぞれが自分の仕事分を対応する。残った部分全てがプランナーの仕事になる。曖昧にも程がある。 そういう大ざっぱに「専門分野以外全部」な仕事だが、雑用というわけではなく、自己の専門分野もあるし、他の専門分野との調整も出来ないといけない。 また近年のゲームの複雑化で、やるべき事がとても増えた。 ゲームの中、プランナーがやるべきことはとても広範囲だ。 だからプランナーの能力が高ければ、その他職種の能力を引き出すし、プランナーの能力が低ければ、その分だけ他の職域に迷惑をかけ、クオリティを落とす。完成しない場合もある。 これほど重要な仕事だが、他の職域が優秀ならばヘボでもゲームは完成するし、場合
クーポンコレクター問題単語 クーポンコレクターモンダイ 5.2千文字の記事 15 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要結論具体例E(N)(購入回数の期待値)の早見表考察導出補足:調和数とオイラー定数終わりに関連項目掲示板クーポンコレクター問題とは、ランダムに出るn種類の商品を複数個買うとき、いったい何個くらい買えば全種類入手できるかを求める確率論の問題である。 概要 ガチャガチャやお菓子つきのおもちゃ、アイドルCDの生写真など等確率でランダムに封入されているものについて、どのくらい買えば全種類手に入れられるかをあらかじめ見当付けたい時に役に立つ。 ところで問題の名前の通りクーポン券を揃えたいという状況はいまいち思い浮かばないが、これはおそらく「(商品に封入されているなどする)クーポン券を全種類集めることで商品と交換できる」というようなもの(要はオフライン版コンプガチャ)だったのだろうか
知り合いのガンホーの方にオススメされた「大東京トイボックス」という漫画を「LINEマンガ」で読んでいます。先に言っておくとまだ全巻発売されていなく、途中までです。 「物語がおもしろい」とかよりは、僕自身がスマホゲーム業界にいるので、共感することが多いです。(もちろん、おもしろいから読めるのですが) 数シーンご紹介。 1)パクりの方が、「オリジナル性の高いゲーム」より売上が高い事実 ゲーム制作が強いA社と、キャラクター制作の強いB社が組むことに。B社の企画書へA社の人間が「これ去年ヒットした某戦国ゲームのキャラクター差し替えただけですよね?」 と指摘し、B社は「既に完成されたシステムを模倣した方がユーザビリティが高い」「私、驚いたんです。あんなにオリジナリティ性の高いA社のソフトがうちの半分も売れてないなんて」と言い返す場面。 う~ん。現実のスマホ世界でもパクりが売れ、オリジナル性の高いゲー
モバイルゲーム 物凄い勢いで勃興したモバイルゲーム業界は、いろいろな課題や問題に直面しながらも巨大化し、今日の時点でのスマートフォン向けゲームの市場へと継承されていきます。 モバイルゲームの歴史 2001 Javaアプリと3Dゲームの登場 Javaが利用できるようになったことにより、ダウンロード型のゲームが供給できるようになりました。 2002 携帯電話端末の大容量化・3D化競争 Java搭載携帯電話端末が登場してからごく僅か1年の間に、アプリのサイズに関しては10倍に広大化し、表現方法も2Dから3Dにシフトし始めました。J-PHONEは『ゼビウス』や『スペースハリアー』などといった昔のアーケードゲームを、ドコモはSIMCITYなどパソコンで世界的規模のヒットを飛ばしたゲームを主力商品としていました。 2003 モバイルゲームの一般化 メモリの制限が厳しいJava仮想マシン上ではなく、OS
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