イタリア出身で、その後イギリスで長く研究生活を送ったピエロ・スラッファは、不思議な魅力のある経済学者である。彼はケインズに才能を見出されてケンブリッジ大学へ招聘されることになるが、その時点で経済理論に関する論文といえば、「生産費用と生産量の関係について」(1925年)と「競争的条件の下での収穫の法則」(1926年)のイタリア出身で、その後イギリスで長く研究生活を送ったピエロ・スラッファは、不思議な魅力のある経済学者である。彼はケインズに才能を見出されてケンブリッジ大学へ招聘されることになるが、その時点で経済理論に関する論文といえば、「生産費用と生産量の関係について」(1925年)と「競争的条件の下での収穫の法則」(1926年)の二つしかなかった[1]。だが、イギリスで圧倒的な権威をもっていたマーシャル経済学の欠陥を突いた二つの論文は、リチャード・カーンやジョーン・ロビンソンのようなケイン