タグ

ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (40)

  • なぜエヴァに宇宙戦艦が登場したのか ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(http://www.evangelion.co.jp/)を見た。以後ネタバレあり。 なぜターミネーター最新作はあんなにうるさかったのか ヱヴァンゲリヲンQをみて、たとえば映画ターミネーター4と似てるなと思った。ターミネーターのおもしろさは日常に突然ターミネーターが現れ、人を襲っていくサスペンスである。そしてまたこの日常を守るために核爆発による地球崩壊を阻止するというタイムリミットサスペンス。ようするに日常を担保に忍び寄る非日常(狂気)にスリルが生まれる。しかし回を重ねるごとにとうとう臨界を越えてターミネーター3で世界が崩壊する。そこでいままでのスリルの構造は崩壊する。 そしてターミネーター4からは崩壊後の世界が舞台になる。ここで難しいのは日常とのフックが切れると、残るのは非現実世界だけであとは何でもありになることだ。ようするにこれは「リアリティ」の問題だ。た

    なぜエヴァに宇宙戦艦が登場したのか ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2012/11/21
  • なぜ日本のネット空間は「2ちゃんねる的」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    のネット空間の2ちゃんねる化 日のネット上のコミュニケーション空間に独特なコンテクストがある。特に「2ちゃんねる」に特徴であるが、実社会への皮肉、若者世代論、オタク、ネットリバタリアンなど傾向が強く、「実生活」のコミュニケーション空間と比べると独特である。 ブログをやっていると、このネットコンテクストの強制力をすごく感じる。ネット上のコンテクストに同調するような強者叩き、若者応援、オタクネタなどはとても受けがよいが、コンテクストにそぐわない「あたり前のこと」を書くと反応か少なく、「つまらない」となる。 ネット空間は暇人がつくる このような独特なコミュニケーション空間はネット技術に依存しているだろう。匿名性によって言いたいことが言いやすい。また暇人ほど多く発言でき、同じ人が発言しても匿名なので一発言が一投票のような錯覚により、暇人の発言が影響力を持ってしまう。 そしてネットコミュニケー

    なぜ日本のネット空間は「2ちゃんねる的」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2011/09/25
  • なぜフクシマ後、すべての日本人は人生の屈折を迫られるのか 東日本大震災 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「電化」と高度資主義 いま起こっていることが人類史に残る出来事だが、考えるほどに今後の現実の生活にとっても重大なことだという実感が増している。日人はまだこの震災の意味の重大さを十分理解していないように思う。 エアコンが家庭に普及したのは90年代である。いまでは考えにくいが、エアコンがないとき夏は扇風機だけで、みな汗をかき暑さに耐えていた。冬の暖房は、石油ストーブの主流からエアコンの暖房へと切り替わっていった。 このような電気化の最近の流れは、オール電化だろう。すでに多くが電化しているが、残りのエネルギー消費の多くをすべて電化しようという。お風呂などの水回りのガス湯沸かし器、そしてガスコンロからIHヒーターにかわる。さらに次の世代で電化が進むのが自動車である。 このように電化が進むのは、クリーンで、安全で、管理がしやすくスマートであるからだ。たとえば石油ストーブとエアコン暖房を考えるとよ

    なぜフクシマ後、すべての日本人は人生の屈折を迫られるのか 東日本大震災 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2011/04/01
  • なぜ革命はいまも可能なのか 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「革命とは暴力ではなく、文学である」 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を---〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」(ISBN:4309245293)が好評である。ボクの近所の大型店でも、最初は哲学コーナーにあったが、最近店頭の話題のコーナーでも置かれるようになった。前書「永遠と夜戦」は(立ち読み程度だが)ラカン、フーコー解説書のようで、よく勉強している程度の印象だったが、書はインタビュー形式ということもあり、読みやすく言いたいことがよくわかり面白い。 内容をボクなりにまとめてみると、「革命とは暴力ではなく、文学である」ということを近代史を通じて現代へと語っている。ここでも「文学」は、小説ということではなく、もっと広義だ。決して理解出来ない書物を読むこと、そして読みかえるという決死の覚悟。ラカンでいえば現実界へ近接する狂気に陥る危険をおかすこと、だろうか。 またデリダに近く、「他者性」とい

    なぜ革命はいまも可能なのか 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2011/01/09
  • 東浩紀は楽観主義的右派のニュースターになれるか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「誇り高き下流」の登場 「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案 http://www.j-cast.com/2009/10/24052476.html インターネットというテクノロジーは10万人規模の直接民主制を可能にする。基礎自治体(市町村)のいくつかはミクシィ(mixi)とかのSNSで運営すればいい――。批評家の東浩紀さん(38)が深夜のテレビ番組で「政治の未来像」について大胆な提案をした。「そうなれば、政治家は今ほど必要ないのではないか」というのだ。 ちまたで東浩紀の朝生の登場が話題になっているとか。残念ながら見逃したのですが、東ファンとして便乗したいと思います。ようするにですね。古くは、 右派・・・ブルジョアジー(金持ち) 左派・・・プロレタリアート(貧乏人) の構図だったのにそこに中間層が現れたということなんです。 右派・・・ブルジョアジー(金持ち) 新

    東浩紀は楽観主義的右派のニュースターになれるか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2009/10/27
  • マクドナルドは身体のコインロッカー - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    現代の公共性としての「空気を読む」 現代は流動性が高く、見知らぬ人々が出会い、別れる場面が増えている。そのために暗黙の秩序が求められる。それを「空気を読む」といってもいいだろう。公共性(common)を他者と共有する利害のために秩序を維持することである、と考えれば、現代の公共空間は空気でできている。お互いの目的を尊重するために必要以上に干渉しないようにしようということだ。 流動性が高いとはそれぞれの目的をもち、人々が様々な場所で交差する。機能を重視することで、挨拶などの社会的な気遣いは面倒なものとなる。たとえば満員電車の中。見ず知らずの人々が肌の触れあう距離で接してある時間を過ごす。通常、人には他者との快適な距離を保つパーソナルスペースがあると言われる。社会的な関係では3m程度と言われている。だから満員電車は通常ではとても考えられない状況である。目的なくそのような状況におかれた場合に人に与

    マクドナルドは身体のコインロッカー - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2009/07/08
  • ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネット上に新たな経済活動は起こらなかった ネットが一般に普及して10年以上たったが、かつて「グローバルビレッジ」に代表されるような期待された「革命」は起こらなかったようだ。この理由の一番は、ネット上に新たな経済活動が起こらなかったためではないだろうか。 確かにネットの普及によって、企業活動は迅速に活発になった。またネット上に新たなビジネスも生まれた。しかしこれらは従来の資主義経済の延長上のものであって、下部構造としての経済活動そのものはかわることはなかった。 多くの人々はかわらず企業へ労働力を売ることで賃金を稼ぐ。ネットはこれとは別に社会関係を楽しむ娯楽である。すなわちネットは新たな経済構造生み出すことなく、社会的な関係を充実されるつながりのツールでしかない。 ネット上の社会関係のために実社会で働く ネット上では掲示板やブログなど長時間かけた活動が行われているが、そこでおこなわれる労力は

    ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2009/05/17
  • なぜグローバリズムは経済的コンベンションなのか 下部構造としてのコンベンション - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「万人に対する闘争」と慣習(コンベンション) 慣習(コンベンション)とはなにか。「コンベンション」は近代化の中で社会秩序はいかに可能であるかという議論からきています。ホッブズは「リヴァイアサン」(ISBN:4003400410)の中で自然状態では「万人の万人に対する闘争」が起こるので一人の主権者へ統治を委ねる。それが社会契約としての国家理性であると言いました。ここから様々な思想家が議論を展開しその後の思想へと繋がってきます。 その中で、ヒュームはまずあるのは「万人に対する闘争」ではなく、人々がいればそこにすでに慣習的な秩序(コンベンション)があると言いました。コンベンションは、慣習、黙契など様々に訳されますが、主権者の法による統治以前にある自生的、暗黙の社会秩序です。ヒュームは新たに施行される政策や法よりも、統治においてはコンベンションを重視すべきであると保守思想を主張しました。 構造主義

    なぜグローバリズムは経済的コンベンションなのか 下部構造としてのコンベンション - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2009/01/12
  • なぜオタクは女を抱きあきたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    商品として構造化される女性身体 形而上学の表れの特徴はデリダも指摘したように二項対立にある。精神と身体、動物と人間。まったく同様な意味で女性の裸体は形而上学的である。処女と非処女。性器と非性器、乳首と非乳首。 処女と非処女。処女信仰は古くからあるが、いまも男性に、すなわち社会で根強く信仰されている。乳首と非乳首。グラビアアイドルが乳首を出すか、出さないかは大きな境界となるだろう。異なる職業に分類されるといってもいい。 性器と非性器もまた不可思議だ。特に日では性器の描写は禁止されている。猥褻罪でつかまった写真家が性器の写真を前にどこまでが性器か線をひけと、警察に詰め寄ったという話がある。このように女性の身体は形而上学的二項対立により切り刻まれ、構造化されている。 ・・・化粧をする/髪をそめる/ピアスをあける/卑猥なことをいう/キスをする/ビキニ水着をきる/乳首をみせる/ペッティングをする/

    yuiseki
    yuiseki 2008/10/25
  • ドゥルーズ 管理社会と規律訓練 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    −−−−貴方は、精神分析学批判としていますが、このあくまでパラノイア系神経症への転移による治療を批判し、スキゾ系については無批判であると言うドゥルーズに対する私の見方については、どのように考えるのでしょうか。根的に、貴方の精神分析学批判についてどの様に考えているのか、何を問題としているのでしょうか。 精神分析は言葉によって治療するのですから、心的要因である神経症を対象としたものです。そして器質(身体)的要因が関係するとされる分裂病(精神病)は対象外です。その後、ラカンは精神病も精神分析で説明しようとしますが。ドゥルーズは精神分析が構造主義として知の権威となり、神経症重視した人間像が重視される中で、その反論として分裂病的な人間像を対置させます。ドゥルーズが分裂病を重視するのは流動性を強調するためです。精神分析=神経症=言語に対峙して、分裂病=器官なき身体=リゾーム(=管理社会)。 ドゥルー

    yuiseki
    yuiseki 2008/10/15
  • 「加藤」はなぜ「電車男」になれなかったのか 思想地図シンポレポを読んで - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    思想地図シンポジウム「公共性とエリート主義」 思想地図シンポジウム「公共性とエリート主義」に関してのレポートがいくつか上がっている。読んで考えたことを書いてみる。ボクは参加していなので、あくまでレポートを読んで感想である。 トラカレ! 『思想地図』発刊記念シンポジウム「公共性とエリート主義」レポまとめ http://torakare.com/archives/920 特に参照した 思想地図シンポジウムレポート - the deconstruKction of right http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080617/1213688976 宮台と東の考え方については、以下のようなエントリーでいままで言及してきた。東が考えるのは、「政治の環境管理化」、極端に言えば政治は環境管理システムによって行うことを目指せないか。宮台は流動性が高い今だからこそ、政治

    「加藤」はなぜ「電車男」になれなかったのか 思想地図シンポレポを読んで - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2008/06/19
  • なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 人が世界と関わる二つの方法、認知と行為とはどのようなものだろうか。そのわかりやすい例が人工知能の「フレーム問題」だろう。人工知能にチェスのような「閉じた」ゲームを遂行させれば、計算によって最適解を求めながら遂行するだろう。しかしたとえば有名なダニエル・デネットの「フレーム問題の寓話」のような「開放系」の状況では、その過程で起こる場面(フレーム)が無限に考えられるために計算を収束させることができず、フリーズしてしまう。これを「フレーム問題」という。 「フレーム問題の寓話」 http://www.johf.com/logs/20070422b.html 昔、R1という名のロボットがいた。ある日、R1の開発者たちは予備バッテリーを別の部屋に隠して、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は部屋をつきとめ、バッテリー回収作戦を立案し

    なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2008/05/24
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

    yuiseki
    yuiseki 2008/05/15
  • なぜ村上春樹はオタクよりもタフなのか その2 オタクよ、美しく咲きそして散れ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「なぜ村上春樹はオタクよりもタフなのか」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080204に質問をいただいたので、解説してみる。 「物語」とはなにか まず「物語」とはなにか。それは動物と違う「人間」とはなにか、ということです。動物は「世界において自分は多くの一人であるということ、そしてもし自分がいなくなっても明日は変わらずくる」世界を生きています。簡単にいえば、代替可能性です。自分がいなくなっても、誰かが代替するだけのことです。 しかし人間は、代替可能性を受け入れることはできません。たとえば子供を失った親は、違う子供で入れ替えることはできないということです。親にとって子供は唯一の存在です。そしてこの代替不可能性を支えるのが、その人の「物語」です。その人にはその人だけの物語があるのです。「自分の物語では自分が主人公」という歌がありましたが、人間であるということは、「

    なぜ村上春樹はオタクよりもタフなのか その2 オタクよ、美しく咲きそして散れ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2008/02/06
  • なぜオタクは現代をたくましく生き残れるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    情報過多による無気力と退避 子供は現実的な情報が少なく、突拍子もない様々な物語を作り出す。親はそこに適切な情報を与えることで、社会への順応性をつけさせる。しかし過保護による過剰な情報提供は物語る力を阻害する。物語は未来へと生きる力の源泉である。そしてまた折り合いをつけながら、物語と現実の間を生きることで、生きる持続力を養う。このために安易な情報提供は、物語ることを挫き、「結局人は死ぬんだから」という相対主義的な無気力、あるいは現実との衝突に耐えられず物語への退避し、現実から逃避する。 このような問題は、過保護な子供だけでなく、情報社会の問題である。情報化社会では大量の情報は失敗することのリスク回避に役立つが、人々が物語ることを困難にする。このために、生きる力と持続力を弱めて、人は安全な予測可能性の殻にに閉じ込もり、自ら動くことが恐くなる。 「癒し」の不健全さ このような情報過多の閉塞では、

    yuiseki
    yuiseki 2007/08/29
  • なぜ宇宙人が来襲しないと国家はなくならないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    考える名無しさん 国家が存在する以前から市場経済は存在した。国家が崩壊しても市場経済は残る。戦後の闇市。そして市場経済が必要としなければ国家は駆逐される。EUは欧州の国家の枠組みをブレイクスルーした。グローバル経済の進捗と共に従来の国家の枠組みは形骸化しやがて無くなる。国家とは市場の下僕である。 第三の波平 柄谷になりますが、国家は市場経済を前提に生まれています。国際的に市場経済を安定するためです。対立する概念ではないのです。 考える名無しさん EC・欧州経済共同体が発展し、EU欧州共同体が生まれた。欧州各国の国家は形骸化した。同一ルールの市場経済が発展すれば旧来の国家は関税や国境など経済発展にはり不要なものである。市場経済にとって国家は必要不可欠なものではない。必要とあれば使用するが不要と判断すれば排除していく。 第三の波平 市場経済を平等なイメージで語りすぎる。市場経済は駆け引きの世界

    なぜ宇宙人が来襲しないと国家はなくならないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2007/08/15
  • なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「なぜウェブは資主義を超えるのか」 池田信夫氏のインタビュー「なぜウェブは資主義を超えるのか」http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/は面白い。*1ここで重要なことは「ムーアの法則」でしょう。インターネットが成功しているのは、資源が無限にあることで、「ユートピア」が実現されている。 さらには、情報が溢れるように提供された時,相対的に希少になるのは、情報が消費するもの,すなわち「人間の関心」である。そして関心を取り合うことで、ネット上の経済は活発化している。「Googleの検索広告はその典型です。世の中に何十億もページがある中で,自分のページを見てもらうために1クリックいくらで費用を払う。(池田)」ということです。 「書き込みは必ず宛先に届く」 たとえば、ネット上にテクストを書くことによって他者に見られる

    なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2007/08/09
    [
  • なぜ情報化社会にマルクスの亡霊が回帰するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マルクスの亡霊がうろついている マルクスの唯物史観にある、生産、交通様式が上部構造を規定するという考えはある種の説得力をもつだろう。特にマルクスの時代の機械論が隆起した高揚の時代にはそうだった。しかしその後、違和感をもつことになるのは、生産様式もひとつの次元でしかないということである。たとえば構造主義では言語、すなわち欲望が下部構造におかれる。その典型がボードリヤールの消費論である。差異の体系によるシュミラークルな消費社会が先導する。 しかし情報社会において、再び、マルクスの亡霊がうろついている。インターネットなどの情報技術の発展の中で、下部構造としてのグローバルリズム、これはフラット化、帝国、環境管理、グーグルなど冷たいネットワークとして語られる。ここに唯物史観の質があるのではないだろうか。唯物史観は一つのパラダイムシフトに対する期待への高揚感である。この高揚感は「機械論への欲望」であ

    なぜ情報化社会にマルクスの亡霊が回帰するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2007/07/28
  • 動物化したら何が困るのか 「動物化」をめぐって その2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    考える名無しさん 動物化したら何が困るのか教えてください。 考える名無しさん 動物化はできるできないじゃなくて、人間工学が進んだ結果避けられないもの 考える名無しさん 「東京から考える」(ISBN:4140910747)の北田のような態度は確かに必要かも知れない。ただその「人間的」なものが当に必要なのかどうか。必要ならなぜ必要なのか。人間工学は快適な環境を提供してくれるけれど、その先、動物化する流れがなぜいけないのかということは誰も言えていない。社会学者よりも哲学者がもっと強く非難しないといけない立場なんだけどね。 第三の波平 工学的、そして経済学的にいうと以下のようになる。ボクはこれを「高速欲望」と呼ぶが、明らかに「動物化」だよね。isedでは「3秒ルール」の話として出ていたね。 2ちゃんねるとは板、スレと興味に分類された場にすみやかに到達し、耐えず誰かがいてすみやかにコミュニケーショ

    動物化したら何が困るのか 「動物化」をめぐって その2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2007/07/10
  • なぜ日本人のセックスは「オナニー化」するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「性交渉回数、満足度で日最下位」 回数、満足度で日最下位 http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070628-219281.html フランス公共ラジオは27日、世界26カ国で行われた性意識に関する世論調査の結果、性交渉の年間平均回数が最も多いと推定されるのがギリシャで164回、最下位は日の48回だったと伝えた。上位はブラジル、ポーランド、ロシアなどで、インド(同130回)が5位、中国(122回)は9位、フランスは11位。自身の性生活に対する満足度では「満足している」と答えた人が67%のナイジェリアが1位。日は15%で、これも最下位だった。米大手調査会社ハリス・インタラクティブが計約2万6000人を対象に調査したという。 これってほんとだろうか。日の年間48回って週一ペースですね。これって普通じゃないでしょうか?しかしギリシ

    なぜ日本人のセックスは「オナニー化」するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    yuiseki
    yuiseki 2007/06/30