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キャリアに関するyuyaiwskのブックマーク (10)

  • 「つくば市をアジャイル行政に」——26歳財務省官僚がつくば副市長に転身した理由

    近年、地方行政に携わりたいという若者が増えている。以前別の記事で紹介した、ぼくいち・後藤寛勝さんや名古屋わかもの会議・水野翔太さんは、東京の大学に通いながら地方行政と連携して活動し、2017年1月には元外務省職員の東修平さんが28歳(当時)で全国最年少市長として大阪・四条畷市の市長に就任した。 そうした中、2017年4月、つくば市としては歴代最年少の26歳つくば市副市長が誕生した。元財務省官僚の毛塚幹人さんだ。 毛塚さんは、2013年に東京大学法学部を卒業後、財務省に入省し、2017年3月に退官。「安定した」キャリア官僚を辞め、なぜ地元でもないつくば市の副市長に就任したのか。 1991年2月生まれ。栃木県宇都宮市出身。宇都宮高校から東大法学部へ。2013年4月に財務省に入り、国際機構課企画係や近畿財務局、主税局などを経て、2017年3月に退官。 「役割分担」を意識して財務省へ 毛塚さんが意

    「つくば市をアジャイル行政に」——26歳財務省官僚がつくば副市長に転身した理由
  • 「『プログラマー35歳限界説』はある」Rubyの父・まつもとゆきひろさんにその真意を聞いた | HRナビ by リクルート

    IT業界でささやかれる「プログラマー35歳限界説」。体力や学習能力の低下、マネジメント層へのキャリアチェンジといった理由が引き合いに出される一方で、35歳を越えてもなお最前線で活躍するプログラマーが登場し、この説が否定されることも多くなった。 「プログラマー35歳限界説」は当にあるのだろうか? それともまったくの幻想なのか? Rubyの父・まつもとゆきひろさんに聞いてみたところ、意外にも「この説は成立する」と言う。その真意は? まつもとさんにプログラマーのキャリアについて話してもらった。 「35歳限界説はある」 まつもとゆきひろさんがそう答える真意とは? ――IT業界では、古くから「プログラマー35歳限界説」についての議論がありますが、まつもとさんは率直に言って、どう思いますか? 私の見る限り、「プログラマー35歳限界説」は実際に成立しています。そしてその理由は、組織にあると思っています

    「『プログラマー35歳限界説』はある」Rubyの父・まつもとゆきひろさんにその真意を聞いた | HRナビ by リクルート
  • 「好きを仕事に」という欺瞞に騙されず、心の底から気持ちよく好きなことをやる方法 - 分裂勘違い君劇場

    「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」 って言う人は、たいてい、「好き」と「稼げる」の積集合が大きい。 (これを「一致タイプ」と呼ぶことにする) 一致タイプの人には、 「なんで、みんな、やりたくもない仕事をやってるの? 好きなことを仕事にすればいいじゃないか!」 って、思ってる人が多い。 太古の昔から、一致タイプの成功者は、佃煮にするほど生息数が多い。 それほどまでに、一致タイプは、成功しやすい。 けれど、「好き」と「稼げる」の積集合が、空集合になってる人もたくさんいる。 (これを不一致タイプと呼ぶことにする) 不一致タイプの人たちにとっては、 「自分の『好き』を極めれば、それで生活できるようになります」 という一致タイプの人たちが唱える言説は、人生を蝕む呪いとなる。 経営者や上司が一致タイプで、部下が不一致タイプだと、悲惨だ。 経営者や上司は、仕事が好きなのは当然だ

    「好きを仕事に」という欺瞞に騙されず、心の底から気持ちよく好きなことをやる方法 - 分裂勘違い君劇場
  • 会社を辞めて7年経った。一人親方(個人事業主)で生きてきて意識していることをまとめてみる。安定はしてないけど楽しいよ - 何して遊ぼう

    2020、6月 この度、節税のためもあって法人化、合同会社設立しました。お時間のあるときにぜひ見ていってください。 ✔︎check一人親方(個人事業主)が合同会社を作ったので、自分で手続き、法人化する方法を書いていきます どうも一人親方として働くニコ(@makokankkoo)です! ぼくの簡単な経歴としては、周りに流されてなんとなーく大学に行って途中でやめてー、って感じなので就職活動というものはしたことはなくテキトーな人生を進んできました。仕事を始めたきっかけも何にも考えずに周りを頼ったものであって、自分の力ではありません。そんなこんなで誇りを持てるような生き方はしてきていないんだけど、よく出来たと、可愛い娘に囲まれて楽しく生きれてるのは運がいいなと感じる。実力はないけど運はあると思うんです(←根拠のない自信) ぼくの仕事は建築現場での作業員。よく言えば職人と呼ばれるもので、「手に職を

    会社を辞めて7年経った。一人親方(個人事業主)で生きてきて意識していることをまとめてみる。安定はしてないけど楽しいよ - 何して遊ぼう
  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度

    先日、「ジョブなのか、キャリアなのか、それが問題だ」というエントリーの中で、ジョブとキャリアを明確に分けないから、日人はホワイトカラー・イグゼンプションを理解できないと書いたのだが、ちょうど今日、こんな記事を見かけた。 <労働時間実態調査>時間減らしたくても仕事が終わらず https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170722-00000086-mai-soci これは、ジョブとキャリアを分けて考えていないから出てくるひどい考え方の典型である。日で言われている「高度プロフェッショナル」(高プロ)というのは、キャリア職の中で、さらに自分の裁量で業務量を調節できる立場の人間である。そして、その高プロ制度の導入に対して、ジョブ職の人間たちが反対を唱えているのである。おかげで、高プロの待遇も、その他のキャリアの待遇も、もちろんジョブの待遇も、ほとんど変わらない。

  • 「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない - シロクマの屑籠

    三十代から四十代にうつる間に、私は、できることがものすごく増えた。 今まで蓄積してきた知識の量が増え、それと関連書籍をリンクさせながら読書するようになったことで、一冊の書籍から汲み取れる情報量が飛躍的に増えた。十年前の私と現在の私では、読書の方法と効率がまったく違う。 読書だけでなく、ゲームを遊ぶ時のプレイ集約性も、オフ会に参加する時のノウハウもますます高まった。自分で言うのもなんだが、この十年間で、私は驚くほど成長したと思う。体力や集中力の衰えを埋め合わせて余りあるものを、私は獲得してきた。 ただ、できることが増えたけれども、体力や集中力が減った結果として、「できるけれども諦めなければならないこと」が増えた。 あのゲームもこのゲームも面白そうだからやりたい。 でも、体力や集中力が続かない。もちろん時間も足りない。 今なら、あのスポーツもこの芸事も、若い頃よりよほど効果的に始められるだろう

    「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない - シロクマの屑籠
  • 糸井重里から働く人へ ちゃんとメシ食って、風呂入って、寝てる人にはかなわない | AERA dot. (アエラドット)

    AERA創刊2000号 時代を歩く AERAは今年創刊35周年、11月20日号で通巻2000号を迎えました。 さまざまなニュースから社会を読み解き、AERAは時代と共に歩んできました。 2023年のいま、私たちは未来をどう歩くのか。一緒に考えてみませんか? 東京が進化する <再開発ルポ> 虎ノ門・麻布台・渋谷・日橋、下北沢――。 いま、東京は「100年に一度」と言われる再開発ラッシュだ。 成熟期にある国際都市として、首都・東京はどう変貌を遂げるのか。 模索されているのは、”個性”を生かした街づくりだ。

    糸井重里から働く人へ ちゃんとメシ食って、風呂入って、寝てる人にはかなわない | AERA dot. (アエラドット)
  • 留年について-カウンセリングルーム(京都大学)

    高校生までは、留年(原級留置)は、全日制の普通科の高校であれば、たいていの学校においては1パーセントにも満たない少数の生徒のことであろうかと思います。 けれども、大学ではそうではありません。文部科学省の学校基調査によれば、4年制学部を4年で卒業するのは、入学者のおおよそ8割弱です。超過して在籍せずに4年で退学したり、それ以前の学年ですでに退学している学生もいますので、残りの約2割のすべてが5年目に突入するわけではないのですが、それでも高校の場合と比べれば桁違いに多くの学生が既定の年限を超えて在籍します。留年も含めてとにかく卒業までこぎ着ける人は、入学者のおおよそ9割です。 京都大学においても事情はほぼ同じです。ただし学部により留年の発生率はかなり違っており、入学定員の3割台に上る学部もあれば、1割台に留まる学部もあります。けれども、大学全体ではおおよそ2割の学生が留年しています。 これだ

    留年について-カウンセリングルーム(京都大学)
  • 会社員を辞めて学振をとるということ - 日記なんで。

    明神池@上高地 会社を辞めて学振を取って博士課程に出戻ってくる、という選択はかなりレアなキャリアだと思う。僕も進路に迷っていた時にネット上を色々と検索してみたけど、そういう前例はほとんど見当たらなかったし、リアルでも「そんな(アホな)ことするやつ初めて見たぜ!」という意見しか聞かなかったので、やっぱ相当にレアだし、アホなんだと思う。文科省は「研究者のキャリアパスの多様化」とか言ってるけど、戻ってくるための手ほどきや支援など特になく、独力の実力勝負で戻ってくるしかなかった。やっぱりストレートで修士で上がってくる人と比べると、色々と違いを感じることがあるので、実際にやってみてどんな感じだったか、簡単に書いてみる。 申請書提出まで 学振とは、文科省下の日学術振興会の「特別研究員」制度のこと。ネットで調べれば情報はいくらでも出てくるけど、博士課程の学生を対象にするタイプ(DC)の場合、月20万円

    会社員を辞めて学振をとるということ - 日記なんで。
  • プログラマとして30年以上の経験から得た教訓 | POSTD

    私は、プログラマとして30年以上仕事をしてきた中で、学んだことがあります。そのいくつかを以下にご紹介します。もっと挙げることもできますよ。 実物を見せないと、顧客の希望は分からない。 このことは最初の仕事で学びました。顧客は、実物を見るまでは、何が当に必要なのかがよく分かりません。言葉で長々と説明するよりも、機能検証のためのプロトタイプを提示する方が確実に役立ちます。 十分な時間があれば、あらゆるセキュリティは破られる。 現代社会において、セキュリティを保つことは信じられないほどの難題となっています。プログラマは常に完璧を求められますが、ハッカーは1回でもハッキングができれば成功なのです。 セキュリティが破られた場合、事前にその状況に備えた対策を講じているかどうかで結果が変わってくる。 最終的にセキュリティが破られることを想定する場合、その時に起こることに備えて対策を立てておく必要があり

    プログラマとして30年以上の経験から得た教訓 | POSTD
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