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ブックマーク / kobayashihideo.jp (3)

  • 好*信*楽 | 小林秀雄に学ぶ塾 同人誌

    巻頭劇場 「不適切にもほどがある?」 荻野 徹 「居宣長」自問自答 もどかしさに「身交ふ」 多 哲也 居宣長の「告白」――やまと心と漢意からごころ―― 橋 明子 物語の生命を源泉で飲んだ紫式部Ⅲ――古代人の心ばえへ 坂口 慶樹 新連載 先人の懐に入り込む――小林秀雄と丸山眞男をめぐって(一) 多 哲也 連載 契沖と熊Ⅳ 坂口 慶樹 小林秀雄「居宣長」全景(三十八) 池田 雅延 * 編集後記 坂口 慶樹 入塾案内 私塾レコダl’ecoda(小林秀雄と人生を読む集い)のご案内 奥 付

  • 語釈は緊要にあらず――端緒としての契沖「百人一首改観抄」 | 好*信*楽

    居宣長は、「玉勝間」(二の巻)において、若かりし頃を、こう思い出している。 亡父の家業を継ぎ、家運挽回に努めていた義兄は病死、江戸の店は倒産した。そこで自分は、母のすすめもあり、二十三歳の時、医術を習うべく京都遊学に出た。 「さて京に在しほどに、百人一首の改観抄を、人にかりて見て、はじめて契沖(*1)といひし人の説をしり、そのよにすぐれたるほどをもしりて、此人のあらはしたる物、余材抄、勢語臆断などをはじめ、其外もつぎつぎに、もとめ出て見けるほどに、すべて歌まなびのすぢの、よきあしきけぢめをも、やうやうにわきまへさとりつ、……」 この告白について、小林秀雄先生は「たまたま契沖という人に出会った事は、想えば、自分の学問にとって、大事件であった、と宣長は言うので、契沖は、宣長の自己発見の機縁として、語られている」と評している(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集、p.56)。 私は、「宣長の自己

  • 小林秀雄における「ポスト真実」について 松井 孝治 | 好*信*楽

    昨年末、世界最大の英語辞典である「オックスフォード英語辞典」は、2016年を象徴する「今年の単語」(ワード・オブ・ザ・イヤー)に、形容詞「post-truth」を選んだ。客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を示す言葉で、英国のBrexitや米国大統領選挙などを反映した流行語だという。この選定に半ば納得しつつも、もし小林秀雄氏がご存命でコメントを求められれば、「物事が物か贋物かなどというのは必ずしも事の質ではないのだ」と一蹴されたような気もするのである。 昨今、こうした時流への危機感もあるのか、知識層を中心に、政治家の主張などが客観的データや科学的根拠に基づくものかどうかという議論が花盛りである。確かに、商品の効能、個別の施策の効果などにおいて客観的事実が重要であることは否定できないし、内外を問わず、あまりに客観的事実をないがしろにした情緒的な議論が幅を利か

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2017/05/12
    「問いかけが本源的であればあるほど、例えば、我々がいかなる人生を歩むべきかといった問いに対して、客観的な事実が容易に答えを導いてくれるとは思えないのだ。」
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