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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (11)

  • チラシ配りの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    長い人生で戸別のチラシ配り、つまりはポスティングをやったことが何度かある。ポスティングの求人のチラシがたまにポスティングされているが(ややこしい)、そういう専門の事業としてではない。事業なら数種類をまとめて投函するので1枚あたりのコストが下がるのだが、そうではないため、かなり効率が悪かった。 直近でそれをやったのは、十年ほど前、どういう行きがかりか家庭教師でっていくことになったときだった。細かいことはほかで書いたことがあるので省略するのだけれど、ある家庭教師の会社から委託契約で生徒をもらうことになったが、なにせ時給が安い。自前で生徒をとればずっと実入りがよくなる。さらにいえば、会社からもらう生徒は遠方のことが多い。片道1時間かかるとかはザラだ。何年かやるうちにそういうのはうまいこと断る方法も身につけたにせよ、片道30分以内の生徒で揃えても移動時間はボディブローのように効いてくる。けれど、

    チラシ配りの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    zakkicho
    zakkicho 2023/10/08
  • 認知症のことはよく知らないけれど - 老母との日々 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    老母、その後 去年の春、生活のパターンを変えた。年老いた母親の体調が急速に低下したからだ。3年半ほど前に父親が死んで以来、母親の住む実家には週に1回ぐらいの割で顔を出していた。高齢であるし、コロナが流行していることもあったから。ちなみに、父親が死ぬ前には何人か実家の近くに訪問指導で家庭教師に行く生徒を抱えていた。これは父親が入院したタイミングで会社に頼んでそのあたりの生徒を入れてもらったものだ。そうすることで週に2回は仕事で実家付近に行くことになり、そのついでで入院周りの用事を片付けることができるようになった(交通費つきで)。父親が死んでもすぐに生徒が全員いなくなるわけではなく、週1回のペースはしばらくはそうやって維持された。生徒がいなくなって以後も、母親はまあ高齢でもあるし、週に1回ぐらいは顔を見にいくかなという感じだった。ときどき休ませてもらって、月に3回ぐらいになることが多かったよう

    認知症のことはよく知らないけれど - 老母との日々 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    zakkicho
    zakkicho 2023/02/15
  • 「貧困」という言葉を誤解していたらしい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「実家が太い」と言ってしまっていいと思うのだが、私は貧しさと無縁な生活を送ってきた。無縁というのもちょっとちがう。いろいろな局面で貧しさと隣り合わせになりながら、そこにつきものの苦しみから質的に遠いところにいた。事業がうまくいかなくなって畳むときには現金が足りなくて当に困ったが、それでも三度の事を欠かすことはなかった。定収入なしで結婚したときも、どうにかなると思っていたらどうにかなった。不景気の風が吹いて仕事がなくなったときにも、安い給料でかまわないやと思ったら雇ってもらえるところがあった。実家が太いと、「親の老後のために貯金をしとかなければ」というプレッシャーがない。子どもができていろいろと金がかかるだろうといっても、高価なものは頼まなくてもやってくる。祖父母の楽しみなのだから、そこは譲ってもかえって親孝行ぐらいなものだ。結局、自分がべていければそれで十分であり、べるだけなら1

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    zakkicho
    zakkicho 2023/02/02
  • 「元首の器」は、美談ではない - 一般庶民にも帝王学を - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    天皇陛下がオリンピック開会の辞を訂正されたということが報道され、ここ、はてなでもブコメが集まっている。「さすが」とか、あるいは先の「原稿糊付け事件」とあわせて「首相とくらべてどうよ」みたいなコメントがあって、それはそうだろうとは思う。 dot.asahi.com 東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさり気なく訂正 開会宣言に垣間見えた元首の器 (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット) 一般庶民とは教養がちがうわ、と、私でも思う。そして、思い至った。なるほど、百年前、二百年前の人々は、そんなふうに感じていたのだろうと。 歴史とか政治史、思想史的なことを教えていて、困惑することがある。私が現代民主主義のもとで教育を受けた人間だからなのだろうが、なぜ、アメリカ独立以前の人々が、唯々諾々と君主制を受け入れていたのか、どうにも説明しにくいと感じる。「むかしっかっらそうだったか

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    zakkicho
    zakkicho 2021/08/08
  • 価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてないから、曖昧になっている。曖昧なぶん、ときには真逆に受け取られることもある。これまでも何度かそういうことがあった。そして、昨日も。 問題のブックマークコメントは、これだ。 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5) 「良いこと」とか「悪いこと」という言い方が、そもそも歴史に向き合う態度じゃないと思う。 2021/06/27 10:49 b.hatena.ne.jp 元の記事は、「ナチスもよいことをした」と主張する人々に対して、「それはおかしいよ」と、を紹介しながら述べるものだ。私は基的に

    価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    zakkicho
    zakkicho 2021/06/28
  • なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。 b.hatena.ne.jp もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。 もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかっ

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  • BlackLivesMatterは「黒人の命は大事」なのか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    合衆国を吹き荒れる#BlackLivesMatterの嵐は、けっして他人事ではない。現代社会がコロンブス以降のグローバル化の果に成立していることを思えば、そのなかで植民地支配の歴史と人種差別の歴史はすべての人々の生活に分かちがたく絡まり合っているといえる。だから、合衆国に依然として残る人種差別の問題は、世界にすむすべての人々の問題でもある。 ということはなにも私が言うまでもないことなのだが、この記事のタイトルを見て「?」となった。いや、誤訳じゃない。これはこれで正しいのだけれど、それでいいのか?と。 www.bbc.com 「黒人の命は大事」、ホワイトハウス前に巨大ペイント 米ワシントン - BBCニュース 議論があるにしても、「black」がかつてアフリカ大陸から暴力で連行された人々にルーツを持ち、一部その他の人々も含みながら現在も合衆国で差別されている人々を表す言葉であることは間違いな

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    zakkicho
    zakkicho 2020/06/06
  • たねをとるのは自然権 - 種苗法に寄せて - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    種苗法改正を巡って、いろいろな人の声を聞くようになった。私は以前、自家採種に関するの編集に携わったこともあって、この方面には決して無関心ではない。けれど、法制度に関してはそのの著者グループの間でさえ温度差があり、私のようなシロウトがあまり踏み込んではいかんのだろうという感覚もおぼえた。現行の制度を変えるべきかどうかはともかく、現行の制度でさえ、問題点がないわけではないことも理解できる。なので、改正するのであれば、それはきちんと有識者が議論して、正しい方向性で改正されるべきであり、そういうことであれば、いまさら私がどうこういうことでもなかろうと、近頃では距離をおいていた。 種苗法にかぎらず知的財産関連の制度では、それをタテにとったグローバル企業の世界戦略との関連性が必ずとりあげられる。細かい話をすると長くなるので一言で乱暴に端折ってしまうとそういう世界戦略は概ね人類にとって好ましいもので

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    zakkicho
    zakkicho 2020/05/23
  • 「うちで踊ろう」の一件について - わかっちゃいない大人たち - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    星野源の「うちで踊ろう」動画を官邸ツイートに利用した件で、ネットは今日もにぎやかだ。来なら私はこの件になにか一言はさむ資格はない。というのは、テレビを見ない私は星野源というシンガー(一応、さっきからあえて「さん」は付けずに書いてる。そのぐらいにはアイコンであろうという認識はある)のことはほとんど知らないからだ。もちろん、この時代、テレビなんか見なくても動画を探せばいくらでも出てくる。たとえば www.youtube.com トップアーティストであることが十分わかる歌唱力、曲作りだろう。好みかどうかはおいておいて、実力は申し分ない。 今回の騒動は、彼がカバーやダンスで多くの人に乗っかってくるのを呼びかけた「うちで踊ろう」に、なんと官邸オフィシャルのTwitterが反応して首相が家でくつろぐ動画をアップしたことによるものだ。日曜の朝、これを見たとき、私は「あ、これは確実に炎上案件」と思った。

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  • なぜ子どもに家事を手伝わせるべきなのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    つい数日前のことだ。中学1年生の親御さんに「夏休みに何をさせたらいいでしょうか?」と質問を受けた。小学校から中学校に上がるに際して成績が下がることが不安だからと4月から新たに教えることになった生徒だ。ご両親の不安は的中して、家庭教師を付けたにもかかわらず、定期テストの点数は下がり続けている。 「夏休みに何をさせたらいいか?」という質問は、こういう文脈で出てきたものだ。だから、当然それは、「成績をあげるためには、どんな勉強をさせたらいいのでしょうか?」という相談であり、期待されているのは、「この教材を毎日これだけの時間やりなさい」という「勉強」の具体的な指示だ。けれど私は、あえて言った。 「じゃあ、料理を手伝わせてください」と。 家庭教師は、成績をあげるのが仕事だ。特殊なニーズがあるケースがないわけではないが、ふつうは、それ以上でも以下でもない。だから、生徒に特定の思想やライフスタイルを植え

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    zakkicho 2019/07/07
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

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    zakkicho
    zakkicho 2019/01/02
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