炉心溶融(メルトダウン)した東京電力福島第一原発の2号機格納容器に、遠隔カメラやロボットが相次いで入った。溶けた核燃料のような塊、崩れ落ちた足場、毎時数百シーベルトに達する強烈な放射線量……。原発事故から6年で、ようやく見え始めた惨状が、廃炉の多難さを浮き彫りにしている。 今月上旬、廃炉に向けた作業が進む福島第一原発に記者が入った。 海沿いに原子炉建屋が並ぶ。水素爆発を起こした1号機は、吹き飛んだ建屋上部の鉄骨がむき出しだ。3号機は建屋を覆うカバーの設置工事が進むが、その隙間から水素爆発で崩れた建屋がのぞく。 それらに比べ、間に立つ2号機の外観は事故前とほとんど変わらない。だが、この2号機こそ、原発事故で最大の「危機」だった。 2011年3月15日未明。2号機の格納容器の圧力が設計上の上限の倍近くに達した。その後、圧力は急激に低下したが、なぜ爆発を免れたのか、いまだにはっきりしていない。